第12話

冬が近づき寒い日が続く中で、今日は久しぶりに暖かくて過ごしやすい日。

家の窓を開けて空気の入れ替えをし、洗った洗濯物や布団を外に干す。

しばらく森に行く用事もないからと、いつものワンピースに白いエプロンと赤いずきんも洗って干した。

その代わりに白い長袖のブラウスに赤いスカート、そして黒い革のベストを着ている。


洗濯が終わったらお昼ご飯の仕上げ。

今日のお昼はシチュー。

洗濯物を干している間に煮込んでおいた肉と野菜にミルクと小麦粉を入れる。

肉は先日捕まえた鹿の肉。

鹿肉は高タンパク低カロリーで健康にいい。

それに食べやすい上に体も温まる。今のおばあちゃんには一番合ったメニューだ。

最近シチューばかりの気もするが、それも致し方ないだろう。


おばあちゃんから私の出生について聞いてから五日。

王家の薬を飲んで多少元気になったおばあちゃん。でもそれも二、三日で終わってしまった。

薬は飲み続けているのにおばあちゃんの容体は元のままか、もしくは元より悪くなっているかもしれない。

原因は分かってる。もう薬でどうこう出来るレベルではないのだ。

最初こそ薬を飲めたことによる精神的安堵から元気になったが、おばあちゃんの体はそんなことで良くなるようなものではなかった。

しっかり医者に見せたわけではないからはっきり病気だと言い切れないが、それでも確かなのはもうお別れが近いということ。


医者なら知ってる。

ルカ王女にお願いすれば王家御用達の医者に見てもらえるかもしれない。

でも今おばあちゃんを独り家に残して行くわけにはいかない。

それにおばあちゃんは、今になって王家の者に自分の存在を知られることを望むだろうか。

もしそれでいいなら、例の手紙など書かずに自分で城に出向いて自分で事情を話したはずだ。その方が説得力がある。私に頼めばこの森を安全に抜けられる事は分かっているはずだから。

それでもおばあちゃんが今回の方法を取ったのは、きっと王妃アルトディーテのためだ。

だったら私がその思いを無下には出来ない。


きっとおばあちゃんはこのまま静かに終わることを願っている。

病は気から。

もしかしたらもう自分の役目を果たし終えたと思い、そして自身の終わりを察しているのかもしれない。


それなら私にできることは一体なんだろうか。

その答えを探しながら、ここ数日はずっと家で過ごしてる。

料理をしたり、掃除をしたり、冬に備えて屋根や窓の修理をしたり。

今年の冬も寒くなりそうだから、おばあちゃんの部屋の窓は念入りに補強する。おばあちゃんは寒いのが苦手だから。

その窓の修理をしていた時にたまたま森の奥の方に鹿を見つけた。

今日のシチューに入っている鹿肉はその時獲りに行ったものだ。


出来るだけおばあちゃんのそばにいたかった。

あとどれぐらい一緒にいられるだろうか。

考えたくないのに、でも必ずやってくる別れを避けて通ることはできない。

それならその時を少しでもいい形で迎えたい。

それは私のおばあちゃんのために。


そんな事を考えているとドアをノックする音がした。

しかし誰が来たかと確認する必要はない。この家に来るのはあの家族しかいない。

しかし向こうから出向いてくるのは久しぶりだ。最近行ってなかったから心配したのかもしれない。


私は少し暗くなった気分を払拭すべく軽く頭を振り、元気な声で「はーい」と言ってドアを開けた。

そこには予想通りキャンベル親子が立っている。

二人でこの森を来るのは不安だっただろうと思ったが、二人の表情は怖がった様子も緊張した様子もない。

でもキャンベルお母様は無事に家について少し安心した表情だ。

それに対してジョアナは楽しそうな顔をしている。

それもそうだろう。

私と一緒の時だって家のすぐ近くの森に行くぐらいだ。森の中を通ってこんな遠くまで来たことはないだろう。

お母様も思い切ったものだ。

そしてジョアナが嬉しそうな顔をしているのにはもう一つ理由があるのかもしれない。

それはジョアナのしている格好。

白いブラウスに赤いずきん。私と同じような格好。

そして自慢気な表情。

早くこの姿を私に見せたかったのかもしれない。


「こんにちは、ずきんちゃん」

「こんにちはー」

お母様に続いてジョアナも元気よく挨拶する。

「こんにちは、お母様。ジョアナ、可愛い格好をしてるわね」

自分と似たような服装を“可愛い”と言うのには抵抗があったが、ここは素直にジョアナの服装を褒めておくべきところだろう。

「へへー。うん!」

ジョアナはできるならその場でクルッと一回転してお気に入りの服をもっと見せたいところだろうが、両手でしっかり荷物を持っているせいでそれができない。

代わりに満面の笑みで大きく頷いた。


「どうぞ入って」

二人とも荷物を抱えているのでとりあえず中に入ってもらう。

そうでなくても久しぶりなのだ。お茶ぐらいしていく時間はあるだろう。

それに、おばあちゃんにも会ってもらいたい。


「ずきんちゃん!みてー」

荷物をテーブルに置くと、ジョアナがすぐに私のところに来た。

服装はさっき見たし、さらに何を見せたいのかと思ったら、今度の今日の髪型らしい。

後ろを向いてずきんを少し上げる。

そこには小さく結んだ髪と髪飾りがあった。

そういえば前回ジョアナの家に行ったとき、私の髪型を羨ましがっていた。ジョアナはショートヘアーだったから、その時私がしていたシニヨン風の髪型はまだできないと諦めていたが、ようやく少し結べるようになったのか。

「ジョアナがね、ずきんちゃんと同じ服を着たいって言ったからエプロンとずきんを作ってあげたの。そしたらすぐに会いに行きたいって言ってね」

お母様が今日うちに来た理由を説明してくれた。

「うんうん。可愛いわよ、ジョアナ」

そう言って私はジョアナの頭を撫でてあげた。

ジョアナは少し顔を赤くして喜んでいた。


「ずきんちゃん、お婆様の様子はどう?」

お母様が持ってきた荷物をテーブルの上に広げながら言った。

何かと思ったが、その匂いからパンであることがすぐに分かった。

「最近よくありません。もしかしたら……」

私はジョアナが自分の荷物を開けるのに夢中になっているのを確認しながらお母様にそう言った。

「……そう」

もしかしたらお母様は最近私がキャンベル家に顔を出さない理由を察してわざわざ出向いてくれたのかもしれない。

きっとお母様もこれが最後の覚悟で来ていたのだろう。

だから本当は怖いはずの森を来てくれたのだ。


「ずきんちゃん、みてー」

先ほど言った言葉をジョアナが再び繰り返した。

なにかと思ったが、今度見て欲しいのは自分ではなく袋に入ったものだった。

紙袋に入っているので中身は分からなかったか、これも匂いで判別できた。

「あら、これはパンかしら?」

しかしお母様が持ってきた香ばしい香りのパンとは違って、こっちのパンは甘い香りがした。

「うん!」

またもや満面の笑みで頷いたジョアナは、袋からパンを一つ取り出して私にくれる。

手渡されたパンは雪だるまのような形をしていた。

「まぁ、可愛いブリオッシュ」

その茶色い雪だるまはハチミツやヨーグルトを入れる甘い菓子パンだ。

「もしかしてジョアナが作ったの?」

そう質問するとまたもやまるで花が開いたかのように笑って「うん!!」と答える。

しかし「ジョアナがやったのは生地を丸めて乗せただけよ」とお母様。

流石に生地から作るのは、まだジョアナには無理か。

「食べてみて!」

「そうね。ちょうどお昼でお腹も空いたし」

そして上に乗った小さい部分を一口で食べた。

ハチミツの甘さに加えてバターも多めに使っているようで、とてもおいしいブリオッシュだ。

「うん、美味しいわ。ジョアナ」

そう言うとまた頬を赤くして天使の笑顔を浮かべた。

「じゃあ残りはテーブルで食べましょ」

そう言ってジョアナを椅子に座らせる。

「お母様。お昼を食べていく時間はありますか?ちょうどシチューを作ったんです」

「ありがとう。でもその前にお婆様に会いたいんだけど……」

「あ、そうですね。でも今は寝てるかも。最近は寝てる事の方が多くて」

「それでもいいわ。お顔をひと目だけでも」

「……分かりました。ありがとうございます」


そして私たち三人はおばあちゃんの部屋に行った。

思った通りおばあちゃんは寝ていたが、お母様はおばあちゃんの手を握ってくれた。

あとで聞いたが、この時おばあちゃんは弱々しくお母様の手を握り返したらしい。

確かにあの時お母様は目を潤ませていた。

そしてすぐに部屋を後にした。

あのままだと泣いてしまいそうだったらしい。

ジョアナもさっきまでの勢いは一旦仕舞って大人しくしている。

おばあちゃんが寝ているからと思ったのか、それとも私はお母様のいつもと違う雰囲気を察したのか。


「お婆様は食事は取れているのかしら」

おばあちゃんの部屋を出て台所に向かう間にお母様が聞いてきた。

「はい。一日に一回ぐらいですけど。夕方に少し」

「そう……。できれば無理にでも食べた方がいいんだけど」

でもそれができない事はお母様も分かってる。

「パンを焼いてきたの。シチューならちょうどいいから、夕方にお婆様が食べる時に一緒に出してくれる?シチューに浸して食べればお婆様も食べやすいわ」

「ありがとうございます。お母様はどんなパンを?」

ジョアナの持ってきたブリオッシュは甘くてあまりシチューには合わないが。

「コミスよ。コミスブロート」

そう言ってテーブルに出していたパンを持ち上げた。

黒い色のそれは濃いライ麦パンで栄養バランスに優れている。きっとおばあちゃんのためだろう。


そのあと私たちは三人で出来たてのシチューと持ってきてくれたパンで一緒に食事をした。

薄く切ったコミスブロートをシチューに付けて食べるととても美味しかった。

夕方におばあちゃんが起きたらぜひ食べさせてあげよう。

食事が終わったらお茶を入れ、ジョアナの作ったブリオッシュを少し食べた。


最近おばあちゃんとしゃべる機会も減りキャンベル家に行っていなかったため、誰かと話すのは久しぶりだ。

だから思わず口数が増え、長いあいだおしゃべりをしてしまった。

しかし二人の帰りを考えると、あまり長居させることはできない。

だからまだ日は高かったが帰る準備をする。

「家まで送ります」と言って庭に干しておいた服を取りに行こうとしたら、お母様に止められた。

「今は少しでもお婆様の傍にいてあげて。私たちは大丈夫だから」

ここで私はお母様が苦手な森をわざわざ歩いて来てくれたのかが分かった。

もちろんおばあちゃんに会いたかったのもそうだろうが、もうひとつの理由は私を安心させるためだ。

こうして森を怖がらずに来れるなら、私も安心してキャンベル家を残して森を出られる。

それを証明するために来てくれたのだろう。

ジョアナも早い帰宅に文句を言うことはなかった。

夜の森の怖さは家の窓から見るだけで実感しているだろう。

それに家を出る前からお母様に説得させられていたのかもしれない。

私はそんな二人に心の中で感謝した。

できれば鹿の肉の余りを持たせてあげたかったが、狼に狙われるリスクをこれ以上増やしたくはない。今度私がキャンベル家に行くときに持って行ってあげよう。


そして、荷物を整えたお母様と嬉しそうに赤いずきんを被ったジョアナを、森の入口まで送っていった。


その夜。

私は、流石にいくらかでも食べないとと思っておばあちゃんを起こした。

日に日におばあちゃんが軽くなるように感じるのは、食事をしていないという意識があるからか、それとも本当に体重が落ちているのか。

だぶん両方だろう。

私はおばあちゃんの体を起こし、絶対倒れないように枕やクッションをいっぱい敷き詰めて座らせた。

温めたシチューと、それにしっかり浸して柔らかくなったコミスブロートをおばあちゃんに食べさせる。

一口を食べるのにもかなり時間が掛かっていたが、その間に今日の事をいっぱい聞かせた。

キャンベル親子が来たこと。

このコミスブロートはお母様が作ってきてくれたことや、ジョアナがガンバってブリオッシュを作ってきたこと。

二人がおばあちゃんを見舞ってくれて、お母様がおばあちゃんの手を握ってくれたこと。

お母様の話ではおばあちゃんが微かに手を握ったらしいが、おばあちゃんは手を握られたことは覚えていなかった。


まだ数口しか食べていないが、おばあちゃんが私の話に反応しなくなったので、今日はここまでと思ってシチューを下げた。

最後に薬を飲ませようと思い、コップを持って水差しから水を入れているとおばあちゃんに「ずきんちゃん」と呼ばれた気がした。

でもおばあちゃんは相変わらず寝ているようだし、それに今のおばあちゃんにはベッドから離れた私に聞こえるほどに声を出すことはできない。

空耳かと思ったが、でもおばあちゃんの手が微かに動いている。

やっぱりおばあちゃんは私を呼んでいた。

コップに水を入れてベッドの傍に行き「おばあちゃん」と声をかける。

するとおばあちゃんの手がさらに動き、そして少し目を開けて私を見ようとした。

私はすぐにコップを置いておばあちゃんの手を取る。

「なぁに?おばあちゃん」

久しぶりにおばあちゃんと目を合わせられたような気がした。

おばあちゃんが私を見てくれるなら、私はいつでも笑顔でいたい。

私は出来るだけ穏やかな笑顔でおばあちゃんを見る。

そしておばあちゃんの手を一生懸命握る。

手を握るだけなのにこんなに一生懸命になったのは初めてだ。


おばあちゃんが少し咳き込む。

私はおばあちゃんの背中をさする。泣きそうになるのを必死にこらえる。

おばあちゃんの前で泣いちゃいけない。

咳が落ち着いてきたので、おばあちゃんを横にさせてあげた。

まだ薬を飲んでいなかったが、もう気にならなかった。

おばあちゃんが窓の方を見ているように感じた。

部屋にはロウソクの灯りしかなかったが、部屋は明るかった。

閉め忘れていたカーテンの隙間から月明かりが差し込んでくる。


「今日は月が綺麗ですね、おばあちゃん。雲一つありません」

風も大人しく、窓を揺らすことなく静かな夜を演出している。

暖炉の火が微かに灯っているが、その音すら聞こえなかった。


おばあちゃんが私の手をゆっくりと握る。

私はそっと立ち上がり、おばあちゃんの顔を見つめ、そしてそっとおばあちゃんの顔に触れた。

「おばあちゃん……」


私の手を握るおばあちゃんの手がゆっくりと開いていった。


「……おばあちゃん、ありが…と…う。


……おやすみなさい……」


涙の雫が、おばあちゃんの穏やかな顔に落ちた。

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