第10話 過去編③
王妃の間ではマーラが子供をあやしていた。
前国王よりも早く他界したアーサーの母親。だからこの子供にも祖母になる人はいない。
マーラは子供をあやしながら、自分がこの子の祖母代わりになろうと思っていた。
最初はアルトディーテの家に仕えていたマーラ。しかしアルトディーテがこの家に嫁いだ時に、そのアルトディーテと一緒にこの城に来た。
しかしそのマーラの残りの人生もそう長くはない。
だがアルトディーテに仕えられたことは、マーラにとっては幸せな時間だった。それならばこの命が尽きるまでこの王妃と生まれたばかりの王女に仕え続け、恩義を返すのが礼儀だと思っていた。
しかしその決意は早々に揺るがされる。
ドアをノックして入ってきたのは、自分の足では歩けずにメイドの方を借りながら帰ってきたアルトディーテ。
呼びかけても返事はなく、メイドに事情を聴いても知らないようだった。
マーラは国王にも会おうとしたが、今は誰とも会いたくないとのこと。
しかしそんな時にカルエナが声を掛けてきた。
カルエナとしては、マーラは今までカルエナを良くは思っていなかったので今回のことでも変に考えを巡らされては困ると思ったのだろう。
先に適当な噂話を聞いて邪魔をされるよりも、カルエナ自身でマーラに話し、マーラを説得しようと思ったのだ。
カルエナは国王の間であったことをマーラに話した。少し歪曲させて。
アルトディーテが生んだ子供は悪魔の子で、アーサーもアルトディーテもそのことを認め、今のうちに殺すことを認めたと、そうマーラに説明した。
もちろんそれで納得するマーラではない。
「正気ですか?まだ生まれて間もない子供を殺すなんて」
「国王の決定です」
「あなたにも子供がいるでしょ。それでも殺すというの?」
「国王が望まれるのでしたら」
「嘘を言わないでちょうだい。もし国王や王妃様が望んだのなら、なぜ寝込んだりしているのですか?」
「もちろん国王も王妃も喜んでするのではありません。でも国民のことを思えばそうせざるを得ないと」
マーラは言葉に詰まる。
国民のことを出されたらマーラには口出すことはできない。国民のことを考えるのは国王の責任であってマーラの仕事ではない。
「たとえどんな理由があろうと子供は殺させません。最悪の事態が待ち受けているとしても、最後まで諦めないようにと、王妃様にはそう教えてきました。」
だから今アルトディーテは混乱していて理性的な判断が出来ないでいるだけだ、とマーラは言った。
「今がもう最後の時なんです。時間の猶予はないですよ」
「その猶予もあなたが決めたんじゃないの?」
カルエナの眉がピクリと動く。
やはりマーラは鋭いところをついてくる。だがカルエナには切り札がある。
「あなたも先日の化物を見たでしょう?それが答えです。今度はいつ来るか分からない」
「それを迎え撃つのが軍隊でしょ」
「次元が違います。先日の一体だけでもここの軍隊は遅れを取った。複数で来られたらひとたまりもありませんよ」
「だからって赤子に責任を取らせるなんて」
「国民全員の命には変えられません」
「王家を支えるのが国民の義務でしょ」
もう老齢でありながら、カルエナに対して一歩も引かないマーラ。
カルエナは内心驚くのと同時に、やはり自分でこの芽を摘んでおいて良かったと思った。
「なるほど立派な心構えです。あなたはどうぞ王家への忠誠を貫いてください。しかし…」
そうしてカルエナは歩き出した。
「あなたの理想論を貧弱な国民に押し付けないでください」
マーラの脇を通って行こうとするカルエナ。
「待ちなさい!」
「そうそう、この件に関しては私が一任されています。もしこれ以上楯突くなら……」
振り返り際に見せたカルエナの視線にさすがのマーラも怯んだ。
殺されることへの恐れよりも、命を軽視するカルエナのような存在がいることに恐怖した。
もう何を言っても無駄だった。
その夜、結局アルトディーテの意識が戻らないうちにカルエナは赤子を取り上げ兵士に渡した。
悪魔の子供ゆえに普通に殺してはどんな影響があるかわからない。
カルエナは魔術で強化した(と思わせた)王家のナイフを兵士たちに渡し、森で殺してくるように言った。城の中では当然殺せない。それはあまりにもアルトディーテにとって酷だし、それに悪魔は場所に着く。万全を期するとは言え、この城が呪われては大変だ。
しかしこれもすべてはカルエナによるでっち上げなのだが。
夜の暗い中、兵士たちは城を出て城壁を潜って森の奥へ行くことにした。
とても嫌な任務だ。
夜の森は怖いが、出来るだけ城から離れたところで殺すように言われている。
しかも殺すのは子供だ。
最初は断ったが国王の命令と聞かされれば拒否はできない。
しかし要はこの子供が死ねばいいのだ。それなら何も自分が手を下さなくてもいいのではないかと兵士たちは考えた。
この森は狼の住む森だ。
森の奥に行って赤子を置いてくるだけで、あとは狼が始末してくれるだろう。
そんな話し合いをして、意を決して森へ入っていこうとした二人を呼び止める声がした。
振り向くとそこには一人の老婆。アルトディーテの世話係の長、マーラがいた。
そして「私が行きましょう……」と言う。
寝込んでしまったアルトディーテの代わりに最後まで子供を殺すことに反対したマーラが心配になってここまでついてきたのだ。そして今の兵士の会話を聞いていた。
兵士の代わりに自分がその任務を果たそうというのだ。
「いや、大丈夫だ。今いい方法を思いついたから」
名案を思いついたように話すがマーラは納得しない。
「国王には殺すように言われているのでしょう。それならしっかり殺さないと」
「それはそうだが……じゃああんたにこの子を殺せるのか?」
「こんな寒空に放置してしかも狼に食い荒らされるくらいなら、苦しまずに殺してあげる方がよっぽどいいです」
マーラの言うことはもっともだ。
兵士たちは顔を見合わせる。
本当にこの老婆に子供を殺すことなどできるのかと思ったが、こんな嫌な任務を代わってくれるならそれに越したことはない。
兵士は赤子をマーラに渡した。
赤子は大事にローブに包まれ、木の籠に入っていた。
一人の兵士が松明に火を点け、殺す場所までは付き合おうと言った。
そしてマーラと二人で森に入っていく。
だいぶ歩いたが、どれぐらい離れるのがいいのだろうか。
兵士はそろそろいいかと思ったが、マーラはさらに奥に行こうとする。
それに従って兵士も仕方なくついていく。
だがいくら何でも奥に入りすぎだ。
これでは自分の帰りも危ない。
マーラの心配よりも自分への心配が勝ったとき、ついに兵士は口を開いた。
「マーラ殿。そろそろこの辺でいいのでは?」
辺りを見ると少し開けた場所だ。
「分かりました。ではここに穴を掘っておいてください。せめて埋めてあげたいのです」
「分かりました。あなたは?」
「私はもう少し先の、あの木の裏まで行ってきます。人を殺すところを見られたくないのです」
兵士はゴクリと唾を飲む。
マーラは本気だと改めて認識する。
マーラは兵士から王家のナイフを受け取り、兵士が穴を掘り始めたのを確認して大木の方へ歩いて行った。
どれぐらい掘ればいいのだろうか。
赤子だからそんなに大きくなくていいだろう。でも浅いと狼に掘り返されてしまうかもしれない。マーラの思いを考えると、それはあまりにも惨すぎる。
そして兵士はもっと深く掘っていった。
しかしあらかたいい感じに掘れた時に気づいた。
マーラが遅いと。
もしかしたら躊躇っているのかもしれない。それも当然だ。
しかしいつまでも夜の森にいては、自分たちが狼に襲われてしまう。
兵士は松明を持ち直し、さっきマーラが指さした木の方へ近づいた。
「マーラ殿。そろそろ帰らなければ、我々が危険です。心苦しいのは分かりますが……」
兵士は呼びかける。しかし返事はない。
恐る恐る兵士は木の向こう側を見る。
しかしそこにはマーラも赤子もいない。
ただ、赤子が入れられていた籠があるだけだった。
その後、マーラと赤子がどうなったか、知る者は誰もいない。
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