第7話

「本当にありがとうございました!」

大通りに出るまでビクビクしていた少女も、明るいところに来て安心したのか大きな声でお礼を言ってきた。

「いいのよ。それにしてもなんであんな奴らに追いかけられてたの?」

私はそれだけが疑問だった。姫と言うのはいつでも護衛が付くのではないだろうか。

「あの……実は内緒で城を出てきてしまって。いつもはお世話してくれる人が一緒なんですが、それだと自由に遊べないから」

なんと安易な考えだ。

「もしかして今まで何回も?」

「……はい」

少女、いや、姫は申し訳なさそうに言った。

それもそのはず。その姫の安易な好奇心の結果がこれだ。

きっとあいつらも姫が何度も一人で城を抜け出していることを知っていたのだろう。

それで今回の計画を実行しようとしたのだ。

「まったく。帰りも大丈夫?」

「はい、大丈夫です。ところでお礼は本当にいいんですか?」

「いいのよ。お礼が欲しくて助けたわけじゃないから」

「城に来ていただければ、父に言っていくらでもお礼させていただきますのに」

「いいって言ってるでしょ。城なんて私みたいな庶民が行くところではないわ。それに王に言ったら、あなたが城を抜け出したこともバレるわよ?」

「あ……」

姫は自分の口に手を当てて驚いた。そこまで頭が回っていなかったようだ。

まったく、一国の姫がこんなんでいいのか。まぁ年相応だとは思うが。

「じゃあこれで失礼します。ありがとうございました」

そう言って私は姫と別れた。

ここからならもう城も見えているから迷うこともないだろう。


姫は再び振り返ってお辞儀をした。私は小さく手を振る。

こう見ると、やはり王族の姫君という感じだ。

服装もシンプルではあるが高級な布を使っていると分かるし、醸し出す雰囲気が町の娘たちとは違う。

つくづく住む世界が違うと思った。

が、姫はいきなり路地に入っていった。

「ちょっとちょっと、なんでそっち行くのよ」

私は慌てて追いかける。

「え、あ、近道かと思って」

私は今日このあたりをずっと歩いていたから分かる。この道を行っても城の近道とはならない。

ダメだ、この子は。今日の教訓を全然理解してない。

きっと今日のような出来事は万に一回の確率とかでも思っているのだろう。

しかし世の中そんなに安全ではない。この帰りにまた誘拐に遭う可能性だってあるのだ。

「はぁ。……いいわ。私が城まで連れて行ってあげる」

城といえば姫の家だろう。それをなんで赤の他人が案内しなくてはいけないのか。

不思議な状況だと思いながら私は姫を連れて城を目指した。


「そういえばあなたは何であんなところにいたのですか?」

森を走っているせいか思わず早歩きになってしまう私は、ゆっくり歩く姫に合わせて意識的に速度を落として歩いた。

そんなゆっくりの散歩中に姫が話しかけてきた。

「薬屋を探していたのよ。まぁあまり真剣に探していたとは言えないかもしれないけど」

あの道に薬屋がないことはすぐに分かった。

あんな暗い路地に薬屋がある訳ないし、例えあったとしても怪しくてあまり買いたくないものだ。

「だれかご病気で?」

「私のおばあちゃんがね。腰が痛いって。もう年だから」

「じゃあ城のお医者様にお願いしてあげます。きっといい薬を下さいますわ。今日のお礼もしたいですし」

「あら、本当?」

先ほどはお礼などいらないと言ったが、薬屋を探す手間が省けるのと王家御用達のいい薬が手に入るというのはかなり魅力的な話だ。

町の薬屋で自分で選んだだけではいい薬が買えるか不安だったため、私は遠慮なくお願いすることにした。


姫と一緒に歩いていて分かったことがある。

姫が歩いているのに、町の者たちは気づかないのか?と思ったがそうではなかった。

さっきも言ったが、姫が一人で町に出てくるのはいつものこと。町の人間もそれが分かっているのだ。だから姫が一人で歩いていても不思議に思わない。

逆に呼び止めてお菓子を上げているぐらいだ。

この姫は町の人間との隔たりがないのだ。だから町の者たちも変に畏まらずに、でもそんな姫を愛しているのが分かる。

「愛されてるのね」

私が店の人から飴をもらっている姫の背中に向かって言った。姫の笑顔がとても純粋だったから。

しかし店の人と別れてから姫がポツリとしゃべりだす。

「この町の人はみなさん優しいですから」

私は「は?」という顔をしてしまったが、さっきの私の一言が聞こえていたらしい。

「聞いた話ですけど、私が生まれて間もない頃はこの国も戦争もいっぱいしたみたいです。私も今の父からは想像でいません。でも城には戦いの跡が今でも残っています。きっと厳しい時代もあったと思います。それでもこの町の人はここに住み続けてくれている」

意外な反応が返ってきた。

言葉は悪いが、もっと能天気かと思っていた。

姫に興味が沸いた私は、質問を続けることにした。

「みんな住む場所は必要でしょ?」

「中には市民から暴動を起こされた国もあると聞きます。でもこの町の人たちはそれをせず、今でもこの王国を支えてくれている」

「市民が王国を?逆じゃないの?」

「母から言われました。市民がいて平和に暮らしてこその国王だって。私たち王族も、国に住む人たちがいなければ王にはなれません。ただの一家族です。支えとなるものは何もない」

さっきまで道に迷っていたとは思えない、立派な姫の横顔を私は見つめていた。

「だから私はこの国の人々を愛しています。私はまだ愛することしかできないから」

この娘は私よりも年下のはず。それでも国の未来を考える立派な王女だった。

「……ごめんなさい。あまり同じ年の方とお話する機会がなかったものですから、ついつい喋り過ぎちゃいました」

「いいのよ。あなたは立派な王妃になると思うわ。でも、勝手に城を抜け出すのはどうかと思うけれどね」

私は意地悪な笑みを浮かべていった。

姫も顔を赤くしながら照れ隠しのように笑った。


しばらくして城の入口が見えてきた。

しかし何やら慌ただしい。

それもそのはず、姫がいなくなっているのだから。

「ローズッ!」

姫が城の門に立っていたタキシードを着た白髪の紳士に近づいた。

きっとこの城の執事なのだろう。

「姫!」

姫を確認した執事はいい歳なのに今にも泣きそうな表情で駆け寄ってきた。

「ルカ姫!どこへ行かれていたのですか!」

「ちょっと友達に……ね」

姫は私に話を合わせるように視線を配りながらそう言った。

私は『はい』とも『いいえ』とも付かない表情をする。

「ルカ姫。これからはお出かけになられる前にこのローズめに一言おっしゃって下さい。そうすれば護衛の者を付けますので」

「それが嫌なのよ」

「そう言われましても……」

執事は心底困った様子だ。それは執事なら当然。

しかし姫もただ単に好奇心で町に出ている訳ではない。


「紹介します。こちら、執事のローズウェル」

「初めまして。ここの王にお仕えしております、ローズウェルと申します。この度は姫をお連れいただいて、誠にありがとうございます」

私は軽く会釈する。

しかしさっきから姫と執事の会話を聞いている限り、この執事は今まで姫が何度も城を抜け出していることは気づいていないようだ。

この姫の隠密能力もなかなかなものだ。


「ローズ。ビルは?」

「ビルスタインならいつもの医務室にいると思われますが……。ど、どこかお怪我をされたのですか!?」

国王から世話係を任されている執事だ。姫に怪我をさせたなどとなれば城から追い出されるか、最悪の場合命はない。

「違うの。この方のおばあさまがご病気なの。だから薬を差し上げたくて。私の命の恩人なのよ」

私の代わりに説明してくれるのはありがたいが、最後の一言に吹き出しそうになった。

「姫!命の恩人とはどういうことですか!いったい何があったのですか!」

「もう!そんなことはいいのよ、ローズ。あなたが呼んでこないなら私が直接行くから!」

そう言って姫は逃げるように屋敷の中に入っていった。執事も今度は逃がさないとばかりに後を追っていく。

これからは外からの侵入者を警戒するだけでなく、城から出て行く人にも警戒が必要だ。


しばらくすると、姫が戻ってきた。ローズと呼ばれた執事に加えて白髪の老人も一緒だ。きっとこの人が王家の専属医なのだろう。

姫もさっきの服装とは違って白いドレスを着ていて、いかにもお姫様という感じに変わっていた。

きっとこちらが正装。さっきのはお出かけ用なのだろう。

「お待たせしました。私の専属医を連れてきました。ビルスタインです」

「あ、どうも……」

「姫からお話は聞いております。この度は姫を無事に送り届けてくださってありがとうございます」

ビルスタイン氏が頭を下げる。

「これ、腰の痛みに効く塗り薬だそうです。こっちは栄養剤」

姫が私に薬が入った袋を渡してくれた。

王家の紋章が印字されている立派なものだ。

「どうもありがとう」

「申し訳ございません。本来なら姫を守ってくれたお方には王家を上げて感謝の意を示すべきなのですが、ルカ姫が王妃には絶対内緒と言われるものですから」

「ごめんなさい」

ルカ姫が本当に反省してるのかどうか分からない口調と表情で言った。

私もこんな城の中に通されたって落ち着かないだけだ。

何事にも身分相応というものがある。私には薬を受け取れるだけで十分だ。

「本当にありがとうございました。また町にいらしてください。またお会いしたいですわ」

それはまた抜け出すことを暗示しているのか。

案の定、執事のローズウェル氏が姫に厳しい視線を向けている。

「あ、名前を伝えていなかったですわね。ごめんなさい。私はアルスフェイト公国第一王女、フィリス・ヴォン・ヴェスバニア・ルカです」

ルカ姫は堂々と自己紹介をした。

いかにも、……いや、すでに立派な一国の姫だ。

「私は……赤ずきんと、親しい者にはそう呼ばれてるわ」

「私をその親しい中に入れて下さるのですね。嬉しいわ」

そう言ってルカ姫は右手を差し出した。

私も右手を動かし……しかし握手はしなかった。

「悪いわね。ちょっと手が汚れてしまっているから」

「そうですか?」

私は構わないのに、というような表情でルカ姫は手を下げた。

目上の人が好意でしてくれたことを無下にするのは抵抗があったが、それでも私はどうしても姫の手を握れなかった。

私の手は汚れている。

そんな手で清く純白なドレスを着た姫と握手するのは抵抗があった。

「じゃあ陽が陰らないうちに帰るわね」

そう言って私は城の門に背を向けた。

姫は最後まで私を見送ってくれた。



予定通り明るいうちに森を抜けた私は、夕方には家に着くことができた。

すぐにおばあちゃんに腰の塗り薬を塗ってあげようと部屋に直行する。

部屋に入るとおばあちゃんは起きていた。

暖炉で温めていた昼食はちゃんとテーブルで食べてくれたようだ。

「おばあちゃん、とってもいい薬が手に入りましたよ」

そう言っておばあちゃんに薬の袋を渡した。

「一つは腰に塗る薬。もう一つは栄養をしっかり取るための飲み薬ですって。腰の薬はすぐ塗りましょう。飲み薬は夕飯のあとね」

これでおばあちゃんの体調が良くなると思うと、自然と声が明るくなる。

「その前に手を洗ってきます」

そう言ってベッドのテーブルに置いてあった昼食の食器を台所に下げた。

そのテーブルにインクと筆が置かれているのが少し気になった。誰かに手紙でも書いたのだろうか。

「きっと楽になりますよ。たぶん高級な薬ですから」

そう言って私はおばあちゃんの部屋を出た。

その間、おばあちゃんがずっと無言だったのが少し気になった。


食器を台所に置いて、そこで手を洗う。

自分の部屋に鉈を置いておばあちゃんの部屋に戻ると、おばあちゃんは真剣な顔で私を見た。

「ずきんちゃん。この薬、どこでもらってきたの?」

私はドキッとした。

別に隠すつもりはなかったが、改めて聞かれると緊張する。

「町で偶然アルスフェイト公国の姫と会ったんです。変な男たちから助けてあげたら、お礼にその薬をくれたんです。王家が使ってる薬ですからきっと効果ありますよ」

「……姫に会ったのかい」

「……はい」

おばあちゃんは複雑な表情をしている。

きっとおばあちゃんは薬の袋に書かれている王家の紋章から、この薬の出処を知ったのだろう。そして私にどうやって手に入れたのかを確認した。

別に私が王家から盗んできたと思ってる訳ではないだろうが、それならなぜ複雑な表情をするのか。

「ずきんちゃん、ここに座って」

おばあちゃんはベッドの横にある椅子に座るよう私を促す。

私は息を飲みながら椅子に座った。

「そこにインクとペンが置いてあるでしょ?」

私はさっき見たインクとペンにもう一度目をやった。

「今日ね、とある人に手紙を書いてたのよ。それはずきんちゃんにもとても関係のあることで、でも話すのはもう少し後にしようと思ってたんだけど。でも話すわね」

「……。」

私は背筋を伸ばす。

今まで狼に面しても”ウルフェン”に面してもこんな感覚にはならなかった。

おばあちゃんが話そうとしている内容が怖いものに思えた。

私にはまったく予測できないが、私にとって果たしていい話なのだろうか。

「きっとおばあちゃんももう短いと思うから、どうしてもその前にと思って……」

「おばあちゃん、そんなことない!この薬を飲めば元気になるわ!だから無理に話さなくても……」

私は思わず立ち上がり声を荒らげた。

おばあちゃんがこれを話したら、もう役目を終えて本当にいなくなってしまいそうで。

しかし……。

「ずきんちゃん。まず私の話を聞きなさい」

「……」

私はなにも言えずに座った。

今までこんなおばあちゃんを見たことがない。

ある決意に満ちた目だ。

「もしかしたら今まで話さなかった事を怒るかも知れないわね。私も話す気はなかったの。でもずきんちゃんの今後を考えたら、どうしても伝えておいたほうがいいと思って」

私は黙って頷く。

「怒ってもいいから、最後まで聞いてちょうだい」


そう言っていつもはあまり喋らないおばあちゃんが、ポツポツと語り始めた。

私が生まれた時の話を。

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