第6話

この門をくぐるのは何年振りだろう。


私は石と鉄格子でできた大きな建物へと続く道を入っていった。

その石造りの門の上部には王家の紋章が入ってくる者を威圧するように彫り込まれている。

丸の中に獅子が月を喰らうような姿が彫り込まれている。そしてその下にはアルファベットで『アルスフェイト』と書かれている。

ここがアルスフェイト公国の一番大きな入口だ。

しかし威圧の対象は私のような旅客ではなく、この関所で受付を済まそうと並んでいる行商人だ。

金のためなら命も惜しまない行商人は、少しでも納税額を減らすため上手に商品を隠したりする。そんな姑息ことをすれば国王が黙っていないとばかりに、紋章が輝いているのだ。

つまりここは行商人専用の入り口。私は行商人たちが納税のために並んでいる横をすり抜けて歩いていた。

旅客のための入口は別にあるのだがこちらの入口の方が近い。この町には旅客が税を収める義務はないからどこから入ってもいいだろう。

荷馬車に轢かれると危ないと言われるが、狼すらも黙らせる私の視線を向ければ馬から避けてくれる。


関税を抜けて一番最初に感じるのは暖かいスープの香り。

寒い森を抜けてきた行商人を真っ先に捕まえようと、入り口付近にはこのような店が並んでる。冷え切った体にこの匂いを嗅がされたら、財布の紐が固い行商人もたまらないだろう。

その隣には焼きたてのパン屋もある。

しかしこういうところにあるスープ屋もパン屋も出す物は粗悪だ。

大手は町の中心部のもっと人通りが多い場所で大きく店を構えてる。この辺りで開いている露店は、そこに入り込めなかった弱小店たちだ。

それゆえにいい素材を揃えることはできないため、森から入ってきたばかりのどんなものでもいいから口に入れたいという人の欲求に訴える場所に店を構えている。


でも私がこの町に来た目的は粗悪な生温いスープを飲むためではない。


"ウルフェン"との一件があってから数日。

私はキャンベル家に注意を払ってきたが、大きな動きはない。

逆に私の心配はおばあちゃんに向いていった。


最近おばあちゃんの調子が良くない。前から良くなかったが、それでもご飯の時は頑張ってテーブルまで歩いて食事をしていた。

しかし最近はそれすらもキツいらしく、ベッドの上で食事をすることも多くなった。

食事の時だけ歩いたからといって健康にあまりいい効果はないかもしれない。

しかしそれでも歩いたという実績は残る。それが限界のある体での拠り所になればと考えていた。

しかしそれすらもそろそろ出来なさそうだ。

私だっておばあちゃんの限界はわきまえている。だから無理に歩かそうとは思わない。

でもそれによって一気に体の状態が悪くなることは心配している。


今日の朝もドキドキしながらおばあちゃんの部屋のドアをノックした。

いつかこのドアを開けても返事が聞けなくなる日が来るかも知れない。

私はブンブンと頭を振って嫌な考えを振り払う。

ドアを開けて部屋を覗くとおばあちゃんはすでに起きていて顔をこっちに向けた。

私はホッと胸をなでおろして部屋に入る。

「おはようございます、おばあちゃん。朝ごはんできましたよ」

「そうかい?」

おばあちゃんは小さく返事した。

最近は返事を聞くことすら少なくなってきたが、今日は調子がいいのかもしれない。

「今から持ってきますね」

私はおばあちゃんの部屋のカーテンをシャッと開けながら言った。


私が台所に戻り朝ごはんを取ってくると、おばあちゃんは自力で体を起き上がらせていた。

私は急いで朝食を乗せたお盆をテーブルに置き、おばあさんの背中に枕を数個当てた。これで後ろに倒れることはない。

私はベッドでもご飯が食べれるようにと改良したテーブルをおばあちゃんの前に持っていき、スプーンを渡した。

最近は消化によくあまり噛まなくてもいいような食事が多い。

でも今日はいつもより少し多めに食べてくれた。

本当に調子が良さそうだ。


食器を下げお茶を淹れた私におばあちゃんが言った。

「ずきんちゃん。今日、町に行って薬を買ってきてくれるかい?」

「薬……ですか?」

私は急なおばあちゃんのお願いにびっくりした。

今まで私が薬を買ってくるといっても、いらないといって頑なに拒んできたおばあちゃんが、いきなりどうしたのだろう。

「うん。最近寝てばかりでどうにも腰が痛くてね。腰に効く薬か何か探してきてくれるかい?」

やはりベッド生活の弊害が出ていた。

「あと病気に効く薬もあればいいね。最近は調子がいいから、そのついでに薬を飲んでみようかと思って。また具合が悪くなったら薬を飲む元気もなくなっちゃうからね」

なるほど、そういうことか。

病は気から。薬を飲むのにも気力がいるらしい。


私は朝の食器を洗ったあと、すぐに昼食の準備をした。きっと今から出かけたら昼までに帰ってこれるか分からない。だからといって昼過ぎに家を出て夜にこの森を帰ってくるというのも嫌だ。

私はおばあちゃんの部屋の暖炉の熱で温められるお鍋を作って、暖炉の前に置いておいた。

トイレに行ったついでにでも暖炉から下ろして暖かくして食べてもらえるようにだ。


滅多に使うことのないお金を自分の箪笥の奥から取り出して巾着袋にいれて首から下げた。

今日はラブリュスは置いていく。町の中で無用に呼び止められても厄介だ。

鉈を一本だけ腰にぶら下げていく。一応カモフラージュして分かりにくいように。

そして最後におばあちゃんの部屋に顔を出して、行ってきますの挨拶とお昼ご飯を絶対に食べるようにと言いつけて家を出た。


久しぶりの遠出の機会に森の様子も感じ取りながら歩いていたが、最近は狼も"ウルフェン"も動きがあまりない。なによりだ。

そんなことを考えながら私は森を抜けて町についた。

それが昼前のことだ。


そして今、町の中心区に来た。時間帯もあってか人がごった返している。

昼間からお酒を煽っている者、午前中の礼拝を終えて教会から出てきた者、そんな人たちの間を避けながら走っている小間使いの子供たち。

この中心区の一角に教会が建っており、その教会の背後から見下ろすように城がそびえている。

小さい頃この町に紛れ込んだ時にもこの城は大きく見えたが、時が経ってもこの城は相変わらず大きい。

私はその城に背を向けて町を歩き出した。

そんな慌ただしい町の中から私は薬屋を探さなくてはならない。でも薬屋はこんな中心区にはないだろう。

私は路地から路地へと歩きながら薬屋を探した。きっと他にも市が立っている場所はあるだろう。もう少し落ち着いた場所なら人に聞けるかも知れない。

早く家に帰らなきゃという思いもありながら、それでも久しぶりの町に好奇心が勝ってしまい、途中でお昼を買って食べながら町を歩いていった。


町の外れの路地をフラフラ歩いている。

常に見える城の位置から自分がどこにいるのか迷うことはないが、それでも薬屋はなかなか見つからない。

普段おばあちゃんとジョアナとお母様ぐらいしか話し相手がいないためか、いざ人に聞こうと思ってもなかなか言葉が出ない。

私にもまだ苦手なことがあったとは。これも一つの発見だ。

でも日の加減からしてそろそろ二時だ。この時期は日が短いから早く見つけて帰らないと午前中に出てきた意味がなくなってしまう。


まだ行ってないところは……、と考えながらちょっと小走りに歩き出したら、曲がり角でいきなり人とぶつかってしまった。

「きゃっ」という声に、相手が女の子だと知る。

私は相手が倒れる前に咄嗟に腕を掴んで支えた。

相手は私より少し小さい少女。ちょうどジョアナと同じぐらいか。

ただジョアナとは違い、黒髪ブルネットが印象的だった。

……この子、どこかで。

と考えを巡らす前に少女が私の両腕を掴んできた。

「た、助けてください!」

何から?と言う前に複数の足音が聞こえてきた。音からして大人の男だろう。

「お願い……」

少女は私の腕をギュッと掴む。

助けるのは構わないがいったいどうゆう状況なのだろう。

しかし四方から近づいてくる足音からして、すでに囲まれている。私は腰の鉈を手で確認した。

そうしているうちに二人の男が現れた。男たちは腰に剣をぶら下げている。

大の大人がか弱い少女一人を追いかけるなんて……、情けないものだ。

「あれ?知らねぇのが一匹増えてやがるな」

頭の悪そうな方がしゃべりだした。

「こいつも一緒にさらっとくか?」

「現場を目撃されちまったんだ。逃すという選択肢はないな」

「じゃあ攫うか殺すかのどっちかだな」

『殺す』という言葉を聞いて私の後ろに隠れた少女がビクッとなって私を見上げる。

私もまさかこんな事に巻き込まれるなんて思わなかった。

「お友達も災難だったな。姫に会ったばっかりにこんなことに巻き込まれちまって」

私が災難なのは少女に会ったからじゃない。馬鹿二人に囲まれたことだ。

でも姫って……。

「ところでお友達の家も金持ちかい?それなら生かしておいてやってもいいぜ」

なるほど金目当てか。この子を人質に取って親に金を要求しようという訳だ。

「残念。私の家は金持ちじゃないわ。この町に住んでるわけじゃないのよ」

「へぇ。けっこう可愛い声をしてるじゃねぇか。こいつはどっかの盗賊に売るか?」

「やめとけ。計画をあまり複雑にすると失敗の可能性が高まる。逆にこいつの分も国王に金を要求しよう」

「でもどこのどいつかも分からないやつだぜ?」

「それでも少女を見殺しにしたとなれば国王の威信に関わる。必ず要求を飲むさ」

まったくこいつらはどこまで馬鹿なんだ。まさか国王を相手に身代金を要求するとは。

でもじゃあ……。

「あなた、この国の姫なの?」

私は後ろを振り返って少女を見た。改めてみると着ている服も私のと違って高級そうだ。

なるほど。

どこかで見たことあると思ったら、ずいぶん前に町に来た時に馬車に乗ってるのを見たんだ。あの頃はまだ王妃に支えられてやっと窓から顔を出していた感じだったが……。


「あんたら、友達じゃねぇのか?ますます災難だな。見ず知らずの奴にこんな事に巻き込まれちまって」

「あななたち、姫を人質にして金をもらおうだなんて馬鹿なことはやめなさい。お金を受け取ったところでもう命は無いわよ」

「ふん、問題ないね。金をもらったらさっさとこの町を離れて別の国に行く。この国と友好条約を結んでない国はもう調査済みだ。そこなら身柄を引き渡されることもない。それにこの国の国王は平和を愛する貧弱国王でな。戦争なんて仕掛けられる王様じゃねぇ。俺たちは金を手にしながらなお安全というわけだ」

一応馬鹿なりに考えたわけだ。

「その国に着く前に殺されるわよ」

「その辺も考えてある。要は姫さんが見つかるまでの時間を稼げればその間に逃げれるわけだ。それぐらい簡単さ」

私は呆れるように一つ息を吐く。

「てめぇ、今の自分の状況分かってんのか?」

「もういい。あまり時間をかけるな。そろそろさらって次の段階に移るぞ」

そう言ってもう一人の男が剣を抜いた。

女の子相手に剣で脅すとは。男として恥ずかしくないのか。

「じゃあこんな状況は考えた?」

私は戦闘モードの声に変えて喋った。男たちも立ち止まる。

「今、目の前にいる女の子が実はすごく強くて、あなたたちなんか一瞬で殺せちゃうとしたら?」

……。

一瞬の沈黙。

そして男たちが笑いだした。

「ぶはは!お嬢ちゃんが俺たちを殺すのかい?そりゃ怖ぇわ!」

「くくく。お嬢ちゃん。女の子ならもっと可愛く、魔法をかけちゃうとかそんな嘘をつきな」

ふー、と息をついて私は鉈を抜いた。

「あら、私は嘘が嫌いなの」

私は鉈を振るう。素人の目には追いつかない速さで私はリーダーっぽい男の剣を切り抜いた。

「私は魔法使いじゃない。ただの女の子よ。とっても強い女の子」

そう言うと男が持っていた剣の上半分が切り落とされ地面に落ちた。

「……お、お前。何者だ……?」

いきなり男たちの声が小さくなる。

「だから言ったでしょ。見ての通り、可憐な女の子よ」

そう言って私は男の後頭部目掛けて鉈を振るった。

しかし刃ではなく柄の方で打ち抜いて男を気絶させるに留めた。もう一人の男の方も同じ。

これで後は大人を呼んでくればどうにかしてくれるだろう。


それにしても……。と、私は後ろを振り返る。

まさかこの国の姫を助ける事になるとは。

こんな大きい城の人間となんか関わることはまずないだろうと思っていたのに。

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