第4話

 家に帰る前にもう一度キャンベル家の様子を見に行った。灯りは着いているし笑い声も聞こえる。いつもと変わらない。

 私は安心してそのまま家に戻った。不必要な不安を与える必要はないし、そもそもこの格好で会いに行けない。

 泥だらけの靴、汚れたエプロン、そして赤く染まった髪。顔は近くの川で洗ったけど、血の匂いはなかなか取れない。私はさっきとは違うルートで家に帰った。


 家に帰り、おばあちゃんに帰宅の報告をする。もちろんドアは開けない。できればお風呂に入りたかったが、今からお風呂を沸かす気力はない。私は風呂場で水を浴びて、返り血を洗い流すことにした。

 こんな日は大抵お風呂で一息ついた時ぐらいに異常な嫌悪感が襲ってくる。いくら”ブルートウ”とはいえ、元人間を殺したことへの罪悪感。それを楽しいとさえ思ってしまうもう一人の自分。透明な水と共に流れていく赤。私は風呂場の壁に寄りかかる。震えているのは、水を被ったせいだけではない。


 翌朝。

 私はおばあちゃんに心配をかけまいと、いつも通りに過ごしてきた。おばあちゃんを起こし、朝食を食べ、談笑する。いつもと違うことと言えば、家事もそこそこに出かけたところか。私はやはりキャンベル家が心配で、様子を見に行くことにした。口実がなければ怪しまれると思い、以前に作ったぶどうのジュースを持って。

 昨日のお礼といえば納得するだろう。

 頂いたアップルパイも朝食のあとにおばあちゃんと食べた。とても美味しくて、逆に悲しくなった。こんなに美味しいアップルパイは、もっと気分が晴れやかな時に食べたかったと。


 今日は腰の鉈に加えて斧・ラブリュスも持っていく。やはり昨日”ブルートウ”と戦った場所は通りたくなくて、別のルートを選択した。

 昨日キャンベル家に向かうときは、こんな気持ちのなるとは想像もしていなかった。こうも容易く、さっきまでの日常は壊れてしまう。以前はこんな生活が当たり前だったのに。最近は平和過ぎたのか。楽な方へはすぐに慣れてしまう。

 争いが私の日常を蝕んでいったのか、平和が私の日常を犯していったのか、今となっては分からない。この日々を終わらせるには、この森を出るしかないのか。でもおばあちゃんがいる以上、それは出来ない。

 じゃあおばあちゃんが死んだら……。おばあちゃんが死んだら私の生活が平和になるだなんて、そんなことは考えたくもない……。


 自分のこの先のことについて考えていたら、周りの気配に気づくのが遅れた。いつの間にか私のスピードに合わせてついてくるモノがいる。姿は見えないほど森の奥だが、確かに私を意識してついてきている。

 私はラブリュスに手を掛けようとしたが、昨日の今日でまた”ブルートウ”と戦いたくはない。私は一気にスピードをあげて走り出した。向こうも私に合わせて走り出す。

 しばらく走ると、私の後方でガサッという音がした。振り向くと、狼が私の後ろにいた。私は立ち止まる。落ち着いて周りに気を配ると、やはり姿は見えないが何物かの気配が数箇所からする。

 狼は単独で襲ってきたり、一匹が囮となるような狩りの仕方はしない。群れで獲物を取り囲み、確実に仕留めるために一気に襲って来る。私は目の前に狼から視線を外さずに周りにも気を配った。

 早くキャンベル家に行きたいというのに、こんなところで足止めを食うなんて。しかし目の前の狼も森の狼も襲う気配も動く気配もない。まるで何かを待っているように。

 すると森の奥から一際大きな音を立てて近づいてくるものがいる。私はさすがに目の前の狼から目を離しそちらに意識を向ける。そしてラブリュスに手をかけた瞬間、何者かが私に飛びかかってきた。私はラブリュスでその攻撃を受け止めるが、下半身の準備が出来ておらず勢いに負けて吹っ飛ばされてしまった。私は空中で体勢を立て直し、相手と十分距離をとって着地する。

 挨拶もなしに攻撃してくるなんてどこの礼儀知らずかと思ったが、その姿を見て私は驚愕した。

「……”ウルフェン”」

 私は思わず呟く。しかし昨日のような化け物じみた姿ではない。

 二本の足で立ち、上半身も人間の体を思わせるが、胸囲と腹筋以外は毛で覆われている。腕も肩から分厚い毛で覆われており、手も指は五本あるが、鋭い爪が伸びている。顔も狼の顔をしており、口から鋭い犬歯が覗いている。

 これが”ウルフェン”の本当の姿。悪魔の所業が成功したケースだ。幸いにも、と言っていいのかどうかは分からない。

“ウルフェン”が現れたところで、さっきまで森の奥にいた狼たちがゾロゾロ姿を現した。なるほど。この”ウルフェン”がこの群れのボスというわけだ。

「まさかこんな完全体の”ウルフェン”に会えるとは思わなかったわ」

 言葉が通じるのかどうか分からなかったが、昨日の奴よりかは理性的に思えた。なぜなら、現に今も静かに私を見ている。さしずめさっきの一撃は挨拶がわりというところか。

「昨日、俺の仲間を殺したのはお前だな?」

「あら、しゃべれるのね」

 少なからず私は驚いた。今まで完全体に近い”ウルフェン”は何体か見てきたが、言葉をしゃべれるモノはいなかったから。その声は見た目に似合わず若い男の声だった。

「答えろ。昨日”ウルフェン”を一人殺したな?」

“ウルフェン”が興奮を抑えて質問してくる。

 ここまで流暢に会話ができる”ウルフェン”も珍しい。悪魔契約に基づく魔術の所産であるため、その結果は安定しない。昨日のように理性を全く失ったモノ、”ウルフェン”の姿に変わりはしたが言葉を忘れたモノ。様々なパターンがあるが、こいつは私が見てきた中で一番完全体に近い”ウルフェン”だろう。

 会話ができるなら、平和的解決も望めるだろうか。

「確かに殺したわ。でもあれは向こうが……」

 と言い終わる前に、”ウルフェン”が「ガアアァァァ」と吠えながら私に飛びかかってきた。

「ちょっと!話は最後まで聞きなさいよ!」

 今回は距離が十分あったため不意を突かれることはなかったが、戦わずに済ますことを望んでいる私は、ただ”ウルフェン”の攻撃を受けるだけになった。

「聞き上手じゃない男はモテないわよ!」

 ラブリュスの側面で”ウルフェン”の攻撃を受けながら苦情を並べ立てる。

「だいたいさっきもいきなり飛びかかってきたわよね!」

 しかしそれで攻撃の手を緩める”ウルフェン”ではない。いい加減イライラしてきた私は、興奮して大ぶりになった”ウルフェン”の攻撃をしゃがんで避け、相手が体勢を整えている隙に間合いを取る。

「いいわ。相手をしてあげる」

 私はぶどうジュースの革袋を肩に掛け、ラブリュスを構えた。このままではラチがあかない。それに気が立ってるのはこちらだって同じだ。昨日も今日も、相手から仕掛けてきたこと。私は悪くない。それなのに言いがかりをつけられるなんて心外だ。少し相手をして頭に登った血を出させるしかなだろう。せっかく会話ができる”ウルフェン”だ。殺してしまうのは惜しい。私にだっていろいろ聞きたいことはあるのだ。でも腕の一本ぐらいはいいだろう。私は両手でラブリュスをしっかり持った。

 こちらの気配を察したか、今度は急に飛びかかってくることはしない。私も慎重に間合いを詰めるが、やられっぱなしも良くない。今度はこちらの番とばかりに私は大地を蹴った。足を狙ってラブリュスを振る。それに対して”ウルフェン”はジャンプして避けた。でも攻撃に対して中途半端に空中に逃げるのはよろしくない。私はすぐにジャンプして後を追う。空中なら羽根でもない限り次の攻撃を避けることはできない。案の定、”ウルフェン”は私の蹴りをまともに受けて体勢を崩したまま地面に着地する。そこをラブリュスで狙う。もう避けられるタイミングではない。

 とりあえず腕一本!

 ……しかし。

「嘘……」

 確かにラブリュスは“ウルフェン”の右腕に直撃したが、それを切り落とすどころか傷をつけることすらできなかった。いくら獣の毛で覆われている側だとはいえ、完全体の”ウルフェン”はここまで強化されているとは思わなかった。今まで”ブルートウ”と戦ってきた時も、毛の硬さ、爪の鋭さでラブリュスが刃こぼれすることはあったが、止められたのは今回が初めてだ。

 驚いて一瞬動きが止まってしまった私を”ウルフェン”は見逃さない。左手をくりだし、鋭い爪で私を襲ってきた。見るよりも先に、何かが迫って来る感覚に私は咄嗟に体をひねって避けようとした。紙一重で交わしたが、背負っていたぶどうジュースの革袋がうまい具合に回転して”ウルフェン”の爪の餌食になり、中身が吹き出してしまった。

 私の白いエプロンが濃い紫色に染まっていく。せっかくジョアナが喜ぶと思ったのに……。

「そう、とことんやりたい訳ね」

 私は用のなくなった革袋の紐を肩から外し、再びラブリュスを構えた。こうなったら向こうが力尽きるまでやり合うしかない。私たちは再び大地を蹴った。


 あれからどれぐらい経っただろうか。最初は僅差だったが、やはり強化された狼の毛も完璧な盾とはならず次第に血を流すようになった。また私は防御にラブリュスを使っていたが”ウルフェン”は自分の腕に頼っていたため、終盤は流石に腕が上がらなくなっていた。

 こうなったら勝負の行方は歴然。

 そして今、”ウルフェン”は私の攻撃に耐え切れず岩に背中を預けて立つのが精一杯の状況になっている。私も肩で大きく息をしているが生殺与奪の権利は私にある。

 私はゆっくり”ウルフェン”に近づいた。“ウルフェン”も睨みはするが反撃の気配はない。すでに負けを認めたようだ。しかしそれを黙って見ていられなかったのは狼たちだ。

 私の前に立ちはだかり唸り声をあげる。それでも歩みを止めない私に、とうとう一匹が飛びかかってきた。

『どきなさい!』

 私は口には出さず眼力で狼をいなす。狼は空中で体勢を崩し、私の横に背中から落ちた。私たちの戦いに他者が手を出すことは許さない。尻尾を丸める狼の横を普通に通り過ぎ、私は”ウルフェン”の前に立った。この状況になってまだ諦めていない目に腹が立つ。

 私はラブリュスを大きく振りかぶった。そして”ウルフェン”にそれを向けて投げつける。


 ラブリュスは”ウルフェン”の頭ギリギリのところに突き刺さった。まだ殺さない。私には今までずっと知りたかったことがあるのだ。

「一つ答えてちょうだい。あなたたち”ウルフェン”はどうやって生まれるの?狼の群れにいながら、なんであなたは狼を犠牲にするような禁忌に手を出したのよ」

「……お前に教える必要はない」

「分かってないわね。今の一撃であなたは死んでるはずなのよ。あなたに決定権はないの。それともここにいる狼たちを目の前で殺しましょうか?あなたと戦った後でだって、私にとっては余裕なのよ」

 そう言って私は腰の鉈に手を掛けた。

「……分かった。ただこいつらの安全だけは保証してくれ」

 ”ウルフェン”周りを見回しながら言った。そこには狼が五匹。

「それはこいつら次第ね。向かってくる者に容赦はしないわ」

“ウルフェン”はゆっくり目を閉じ、観念したように腰を落として座り込んだ。

「何が知りたいんだ……」

「全部よ」

 私は岩からラブリュスを抜き取って言った。

「俺も全部を知ってるわけじゃない。だから俺がどんな目にあったかぐらいしか話せないが……」

「それでいいわ」

 私は全てを”ウルフェン”から聞くことにした。私もある程度情報を持っているが、変に先走って真実をあやふやにされたくはない。私はじっくり聞く態勢で近くに石の上に腰を降ろす。その隙に狼が私と”ウルフェン”の間に入ってきたのが少し気に障ったが、“ウルフェン”がしゃべりだしたので許してやることにした。

「お前は信じないかもしれないが、俺は狼に育てられてたんだ」

 私はいきなり驚かされた。狼の群れのボスをする”ウルフェン”なのだから常識的な生い立ちではないだろうと思っていたが、まさか狼に育てられたとは思わなかった。てっきり”ウルフェン”となって狼の群れに入ってきたのかと思ったが、最初からこの群れにいたとは。

「経緯は知らない。ただ物心着いた時には狼の群れにいたし、姿は違えど家族同然に思っていた」

“ウルフェン”がこちらを見る。色々興味はあるが、私は小さく頷いて先を促す。こいつがどこでどのように育ったかは今は重要ではない。ただそんな人間が同じ森に居るなら私の耳にも入ってきてもいいと思ったが、この森も広い。街を挟んだ向こう側の森の事となれば、情報はこちらまで来ないのかもしれない。

「そして今から三年ぐらい前。森を母親の狼と歩いていたら突然狼に襲われたんだ。一方的にやられた俺と母だったが、その狼は止めを刺していかなかった。しばらくして現れたのが俺をこの体にした張本人だ。奴は自分のことを魔術師と言っていたな」

 やっぱり私の情報は間違っていなかった。最初は魔術というものに半信半疑だったが、今こうやって目の前に”ウルフェン”が存在する以上、魔術の存在を認めざるを得ない。

「俺たちは動けずに意識も失いそうだったため、奴のやろうとしている事に抵抗できなければ逃げることもできなかった。そして意識が戻ったらこの姿だったんだ」

「そいつが魔術でその姿にしたというの?」

「俺も見ていたわけじゃないが、結論からいうとそうだろう」

「いったいどうやって……」

「魔法陣だ。仕組みや魔法陣の意味は分からないが、俺が目覚めた時には二つの魔法陣があった。俺はその一つの魔法陣の中心に寝かされ、もう一つの魔法陣の中心には黒い何かがあった」

「それって……」

 私は息を呑む。

「俺の母だ」

「……」

 ある程度知っていたこととは言え、直に経緯を聞くと言葉を失う。やはり禁忌の魔術と呼ばれるだけはある。

「……それは本当に母親だったの?」

 否定したいという思いが私の口から出る。

「俺にも分からない。ただ言えるのは、母はいなくなり俺は”ウルフェン”になったということだ」

 もし母親だったとして、こいつはうれしいのだろうか。自分が死ななかったこと。そして少なからず母親も自分の中で生きていることに。

「その魔術師も驚いていたよ。ここまで完璧に融合が成功するケースも少ないらしい…」

 そうだろう。なぜなら今まで”ブルートウ”はたくさん見たが、”ウルフェン”を見るのは滅多になかったのだから。

「そして……」

“ウルフェン”は言葉を続ける。

「俺と母を半殺しにしたのも、その魔術師が仕掛けたものだった」

「な…なんでそんなこと…」

 魔術師の肩を持つわけではないが、そんなことは是が非でも否定したかった。自分の魔術のために無関係の者たちを、いわば実験体のように死に追いやるなど……。

「その魔術師はあるものを持ってきた。それは俺の父狼と母狼の間に生まれた正真正銘の子供だ。そして俺が弟のように可愛がっていた狼だった」

 もちろんその狼も瀕死だったという。そして魔術師は”ウルフェン”に告げた。その魔法陣の中で自分の血を飲ませればそいつも”ウルフェン”として生まれ変われる、と。

「俺はすぐに直感した。俺の弟を半殺しにしたのもこの魔術師だと。きっと魔術師は”ウルフェン”の血を他者に飲ませたらどうなるのか知りたかったんだろうな。俺は血を飲ませるよりも先に魔術師に飛びかかった。単なる好奇心で弟を奪ったそいつを殺さないと気がすまなかったからな。でもその時現れたのが、さっき俺たちを攻撃してきた狼だ。正確にはそいつも”ウルフェン”だったがな」

 つまり最初に襲ってきた”ウルフェン”と魔術師は仲間だったということだ。魔術師はこの親子を実験台にするために”ウルフェン”に半殺しにさせたのだ。

「今しがた”ウルフェン”になったばかりの俺がそいつに叶うはずもなかった。また一方的にやられたよ」

“ウルフェン”は今でも悔しそうに拳を握る。

「それで……その狼というのは?」

「俺の血を飲ませたよ。そのままだと死ぬのは目に見えてたからな。魔術師が『死ぬより”ウルフェン”となって生きる方がマシだろう』と言ってね。俺もそう思ってしまった」

 そう言って”ウルフェン”は言葉を切る。その先はどうなったのだろう。”ウルフェン”がもう一匹この森にいるのだろうか。

「……」

 私が黙っていると”ウルフェン”は私を睨んだ。

「昨日お前に殺されたよ」

 私は冷たい汗が背中をつたうのを感じた。つまり”ウルフェン”の血を飲んだその狼は、”ウルフェン”となることに失敗した。そして”ブルートウ”に成り下がってしまったのだ。きっと人間の部分はこいつの遺伝子が副作用したのだろう。

「魔術師は実験の成果が出て満足そうだったよ。笑いながら森へ消えていった。魔術師の高笑いと”ブルートウ”になった弟の叫び声が、今でも耳鳴りのように残ってる」


 悪魔の所業だ。負傷しているとは言え、まだ生きている人間と狼を無理やり融合させる。失敗すれば自我を失った化け物になる。そこにはなにも生まれない。ただ失うだけだ。

 さらに最悪なのは、今回はそれが肉親だったということ。もちろん狼から人の子が生まれてくるとは思わないが、共に過ごした時間は変わらない。“ウルフェン”は確かに家族を失ったのだ。しかも母と呼ばれたものは自分の中にある。それは幸福なのか。不幸なのか。

 でも同情はしない。

 私たち家族だって、それで今までどれぐらい命を脅かされたことか。昨日の”ブルートウ”だって、殺さなければ私が死んでいた。それにこの”ウルフェン”は一つの大事な事実を見損なっている。

「そんな風に私を睨まないでちょうだい」

 気づけば周りの狼も唸り声を上げている。逆恨みも甚だしい。私は立ち上がる。

「あなた、”ブルートウ”が戦いの中で必ず呟く言葉を知ってる?」

「……なんだ」

 そんなことも知らないで私に怒りをぶつけてきたのだ。

「コロシテ、よ。昨日の”ブルートウ”もそう言ってたわ」

“ウルフェン”は目を見開く。嘘だと言わんばかりに。

 でもこれは本当。

 昨日の”ブルートウ”に限らず、会ってきた"ブルートウ”はみんなそう言う。

「狼の姿を失い、自我も忘れた”ブルートウ”がどうなるか分かる?」

“ウルフェン”は立ち上がろうとするが、腕が震えるだけで立ち上がれない。きっとこの”ウルフェン”には”ブルートウ”となった弟とも共に生きる覚悟があったのだろう。もし狼の群れから追い出されても弟についていくことを願っていた。だからこんな反対側の森まで来たのだ。しかしその願いも虚しく、”ブルートウ”は死を望んだ。

「最後の望みを叶えてあげるのが、せめてもの愛じゃないかしら……」

 きっと”ウルフェン”も気づいている。自分が弟を救えなかったことも。自分が弟を”ブルートウ”にしたことも。責めるべきはあの魔術師だ。しかしそれがいない今、怒りのぶつけ先に私を選んだのだろう。

 でも弟を救うために同じ魔術に頼った”ウルフェン”も、やはり弱さがあったと思う。共に狼として生きてきたなら、そのまま狼として死なせてやるのも一つだ。私は、狼はとても誇り高い生き物だと思っている。その最後が、”ブルートウ”という化物で終わってしまうのは何とも悲しい。


“ウルフェン”はうなだれたいた。もう殺気も闘争本能もない。

「……あなた、顔が」

 よく見ると、”ウルフェン”の顔が人間の顔になっていた。体の部分はそのままだが、顔が狼のそれから人間の少年のような顔になっていた。耳はそのまま狼のものが頭部に残っていたが。さしずめ、狼の顔は戦闘モードというところか。

 でもこれで知りたいことは知れた。

“ウルフェン”と”ブルートウ”の出どころ。この”ウルフェン”の正体。魔術師の存在。まだまだ不安要素はあるが、今のところはこれで十分だろう。それにこれ以上この”ウルフェン”から新しい情報は望めそうにない。

「さてと。まったく騒がせてくれたわね。おかげで服は汚れるしぶどうジュースはなくなるし……」

 私は未だに座り込んでいる”ウルフェン”に近づいた。狼は唸り声を強める。

「昨日、森から私たちを見てたのもあなたたちね?それとも”ブルートウ”の方かしら?」

 私はラブリュスを振り上げて肩に掛けた。しかし”ウルフェン”の反応は鈍い。

「なんのことだ……」

「何って……、昨日私を見てたでしょ?ここから少し先に行った森の奥から」

「俺たちじゃない。俺は昨日は反対側の森にいた。弟だってそうだ。一緒にいたからな」

 ……じゃあ別の”ウルフェン”ってこと?今更”ウルフェン”が嘘を言うとも考えられない。私は「嘘……」と言いかけたが、それより先に体が反応した。ここで”ウルフェン”と戦ってる以上、キャンベル家は安全だと思った。そして今、不安の現況である”ウルフェン”を倒した。

 そう思っていたのに。


 私は”ウルフェン”をその場に残して、キャンベル家に向かった。

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