第2話
昼食を終え、庭に並べておいた薪を数十本ロープで縛る。自分の部屋に戻って
赤いずきんも忘れずに。
それからおばあちゃんの部屋に顔を出し、「ちょっと出かけてきますね。夕飯までには帰ってきますので」と言って、おばあちゃんの笑顔に見送られて家を出た。
縛った薪を背中に背負う。斧を手で持ちながら歩くのは大変だから、今日は鉈を二本。腰の両脇に携えていく。
目指すは三十分ほど離れた知り合いの家。
毎年この時期になると薪を届けているのだ。早くに父親を亡くし母と娘の二人暮らしのその家では力仕事をできる人がいない。だから私が時々顔を出しては力仕事を行っている。この薪もいつの間にやら恒例となっていた。
この森もそろそろ紅葉を迎える頃か。
屋根のように生い茂る森の木々を見上げながら歩く。この道は何往復もしたし、森全体だって私の庭のようなものだ。目をつぶったて歩ける。
ここの木は大きくて根も地面を押しのけて突き出てるため、少しスカートをたくしあげて跨がなくてはいけない。ここは枝が下向きに生えているのでしゃがむ必要がある。何往復もした道だから感覚で覚えている。でも背負った薪がガサッと枝にぶつかってしまった。そうだ。ここ最近の冬はいつもより寒いから、薪も多めに背負ったんだった。
それにしても今日は本当にいい天気で、私はまた空を見上げる。木々の隙間から見える空は突き抜けるように青かった。そこを自由に飛ぶ鳥。かなり高いところを飛んでいるようだが、それでも大きく見える。鷲だろうか。翼を大きく広げて空中で止まっている。鷲は上昇気流を捕まえるのが上手いから、あんな高いところまでも簡単に行けるのかもしれない。
暖かくて気分の良くなった私は、大きくて太い木の根から根をぴょんぴょんと渡るように飛び跳ねて軽やかに走っていった。
枯葉の多い森に私の足音が響く中、もう一つの足音を私は聞き逃さなかった。すぐに歩みを止めてその音に耳を澄ます。もしかしたら狼だろうか。最近狼の群れのボスが変わったとか、群れが二つに分かれて縄張り争いをしてるとか、そんな噂を聞く。物騒な話だ。
しかし私はすぐにこの音の主が狼ではないことを悟った。狼は頭のいい動物だ。隠れながらこんなに音を立てるようなバカはしない。
私は音のする茂みの方に近づいた。そこからぴょこっと顔を出したのは間抜けそうなたぬき。
「あら、かわいい」
警戒心もなく姿を現したまるまる太ったたぬきを見て私は思わずそう言った。そして腰の鉈に手を掛ける。森の木の実を沢山食べたたぬきは、さぞ美味しいことだろう。友人の家に行くのに、薪だけでお土産もないというのは少し寂しい。たぬきの肉とはいえ肉もあれば、あの家族も喜ぶだろう。
そう思って鉈を抜いたが、たぬきはすぐに走っていってしまった。追いかけようかと思ったけど、薪を背負ったままでは分が悪い。それにこれを届ける約束もあることだから、今回は諦めることにした。
友人の家までもう少しだ。
もうしばらく歩いていくと急に森が開けて家が建っているのが見える。狼避けの為に背の高い柵に覆われたその家の門には「キャンベル」という表札が付いている。
このキャンベル家とはどれぐらいの付き合いだろうか。お婆ちゃんが、私が一人だと寂しいだろうからと小さい頃に連れてきてもらってからの付き合いだ。もしかしたら十年ぐらいは経ってるのかもしれない。
門のところにある鐘を鳴らす。一目散に出てきたのは、私の二つ下の女の子、ジョアナだ。待ってましたと言わんばかりに走ってくる。手を振りながら「ずきんちゃーん」と声を上げて。
今にも舌を噛みそうだ。そんな危なっかしところがジョアナにはある。一応長女だが、どこか妹っぽい感じもする。もしかしたら物心ついた頃から私といるから、私を姉のように思っているのかもしれない。現に実の姉妹のように好いてくれている。まぁ悪い気はしないけど。
「いらっしゃい、ずきんちゃん!」
そういってジョアナは門を開けてくれる。
この門と柵を作ったのも私だ。
今でこそそうでもないが、キャンベル家のお母様は狼に対して強い警戒心と恐怖を感じていた。私がこの柵を作る前はジョアナを外で遊ばせなかったほどだ。私がこの柵を作ったり、またお母様が私の力を認め始めてからは森で遊ぶことも許すようになった。そんなに長時間は無理だけど。
でも狼たちも私がキャンベル家と仲がいいのは知っているはず。そのキャンベル家に手を出そうとするほどバカでもあるまい。
「こんにちは、ジョアナ」
「あ、今日は薪の日だね」
私が背負ってるものを見てジョアナが言った。
「じゃあこっち」とジョアナは手を引くが、私は「まずお母さんに挨拶するわ」と言って玄関の方に向かった。
「分かった!」と言ってジョアナは走って玄関を開ける。
「ママー。ずきんちゃんが来たー」
扉を開けて大きな声で叫ぶジョアナ。
そして奥からはエプロンを着けた女性が出てきた。
「あ、ずきんちゃん。いらっしゃい。いつもありがとうね」
「いえ、うちの分を割るついでなので。じゃあ、裏に積んできます」
一礼して玄関を出る。
ジョアナも後から付いてきて、「こっち」と案内してくれる。
と言っても、私は何度もこの家に来てるし、薪を届けるのだって初めてじゃないから置き場所も分かる。 しかしジョアナからしたら、どうしても私の役に立ちたいようだ。
あまり自分と同年代の子供を見たことがないからはっきりとは言えないが、ジョアナは年齢より幼い感じがする。私が十五歳なのに対してジョアナは十歳だが、五歳差以上の差があるように感じる。それはやはり幼い頃から年上の私と遊んでいたからかも知れないし、またジョアナが体の弱い子だということも関係しているかもしれない。肌が白く体も細いジョアナは昔から体力がなく、外では遊ぶこともあまりなかった。お母様が狼を恐れてジョアナを外に出さなかったのも、それに輪を掛けたのかもしれない。
前を歩くジョアナを見ながらそんなことを思った。
薪を家の裏に重ねたあと、ジョアナのお母様に紅茶を入れていただき、お菓子も食べた。
「あ、ずきんちゃんの髪の毛、キレイ」
ジョアナがお菓子を口に入れながら私にそう言った。確かに長くてもしっかり手入れをしたこの金色の髪は私の自慢でもある。しかし「青い」というジョアナの言葉から、彼女が言ったのが髪の毛ではなくヘアゴムの石であることに気づいた。
「ママー、私もずきんちゃんの髪型がいい」
「ジョアナには無理よ。もう少し髪が伸びたらね」
お母様にそう言われ、ジョアナは自分の後ろ髪を触る。 まだ首元までしか伸びていないジョアナの髪ではシニヨン風の髪型は無理だろう。
その後、私がお母様と談笑してる間にジョアナはさっさとお菓子を食べてしまい、私の手を取って森に行こうと言い出した。普段ならジョアナが家の柵の向こうに行くことは許さないお母様も、私が一緒の時は許してくれる。だからジョアナにとってこのチャンスを逃す訳にはいかないようだ。
「いいわ。行ってらっしゃい。ずきんちゃんから離れちゃダメよ。お母さんはアップルパイを焼いてるから、焼き終わる頃には帰ってらっしゃい」
お母様の言葉にジョアナはすぐに立ち上がって出かけようとするが、思い出したように席に戻ってミルクティーを飲んだカップとお菓子のお皿を流し台に片付けた。私はまだ紅茶の飲み途中だというのに。
ジョアナに連れられて森に行く。今日はどうやら木の実やらきのこを探したいらしい。リンゴなどの果物系は先日お母様が獲ってきたとか。そういえばアップルパイを作ると言っていたな。
ジョアナは早速落ち葉を払って、落ちている松ぼっくりやどんぐりがないか、またきのこが生えていないか探していた。体が弱いくせに好奇心旺盛なジョアナは、興味の有ることにはどんどん惹かれていく。ほとんど家にいるせいもあると思うが、虫だろうがなんだろうが新しいものにはすぐ手に取って見せてくる。
ジョアナは大好きだし明るい笑顔を見ると私も幸せになるが、虫を見せに来ることだけはやめてほしい。本人に悪気とかイタズラ心がない分、余計に厄介だ。
まぁ最近は私も慣れてきたし、中には本当に綺麗な虫もいるからいいのだけれど。
ジョアナは木の実やきのこ、そして自分の興味のあるものをどんどん自分の鞄に入れていく。ジョアナはこの鞄が大のお気に入りだ。特別おしゃれでも可愛くもない鞄だが、これに食べられるものをいっぱい集めてお母様に持っていくとお母様がとても喜んでくれるので、ジョアナにとってこの鞄はお母様を喜ばせられる特別な鞄なのだ。
ジョアナは黙々と集めている。途中、汗や顔についてしまった土を私がエプロンで拭いてやる。もうこのぐらいの年齢の女の子は、土いじりはやめて家の中で遊ぶのではないかと思うのだが、ジョアナが元気なら私はそれで十分だった。
少し森の奥に行くと、きのこが沢山生えているところに出た。きのこは特別お母様が喜んでくれるもの。ジョアナは喜んで集めていた。私も一緒になってきのこを獲ってあげる。
と、その時、不穏な気配が私の背中を撫でた。
獲ったきのこをジョアナの鞄に入れようとした私の手が一瞬止まる。森の奥に来すぎて、縄張り意識の強い狼の神経を逆撫でしてしまったか。しかしそんなに奥でもない。今日はジョアナが一緒なのだ。家までの距離、狼の縄張りに関しては十分注意を払ってきた。
それにこの気配まではかなり距離がある。それでも注意は私たちに向けられている。私は決してそちらの方は見ずに、でも神経は鋭く張り巡らした。最近、森の狼たちの縄張り争いが激化しているらしい。その影響が、こんな森の外れまできているのだろうか。
「あ、このきのこは大きいですね。鉈を使って取りましょうか」
そう言って私は、ジョアナが引っ張っていたきのこを獲る手伝いと見せかけて腰の鉈に手を掛ける。相手の動きはない。むしろ私たちを観察しているかのようだ。
狼?
違う、それよりももっと異質なものだ。
私は嫌なことを思い出した。
いや、この森に住んでいる以上忘れることなど出来ないが、久しぶりの奴らに対する警戒心で嫌な汗が流れる。
”ウルフェン”。
奴らがそう名乗ったのか、それとも誰かに付けられたのかは分からないが、これが奴らの総称だ。この世に存在してはならないもの。神の領域に手を突っ込み、そして神に嫌われたもの。狼の化物。そしてその成れの果て。
私の少ない情報源で得られた知識だが、要は魔術だ。それも悪魔契約による禁忌の魔術。命を扱う所業。悪魔と契約を交わした魔術師は、悪魔を生み出すことができる。人間と動物の命を融合させ、人間の姿を捨ててその替りに力を得る。
話によれば動物の種類は問わないみたいだが、この地方で一番多いのは人間と狼を掛け合わせた悪魔。つまり”ウルフェン”だ。
狼が更なる力を求めることはない。自然は自然のままが一番いいことを知っているからだ。だからこの悪魔の所業は人間が私利私欲のために狼の命を奪って行っていること。私なそんな考え方をする人間が大っ嫌いだ。
「ずきんちゃん。もう鞄に入らないよ……」
ジョアナにそう言われ、私はふと我に返った。よく見ると、足元には狩り過ぎたきのこ。森の奥からの気配に注意を集中しすぎて、無意識にきのこを狩っていたようだ。
「あら……。まぁ大丈夫です。私のエプロンに入れていくので」
そう言って私はエプロンを広げ、ジョアナにきのこを集めてもらった。
「じゃあそろそろ戻りましょうか。アップルパイも焼き上がってるかも」
「うん!」
そう言って私たちは森を後にした。
ジョアナと歩き始めた時には、もう異質な気配はなくなっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます