第6話 苺
ベッドの上で
「あたし今からお風呂に入るから。……覗いたら急所に氷魔法放つわよ」
「大丈夫。俺は魔王だからそんなしょぼいことはしないよ。覗くぐらいなら一緒に入るし」
「絶ッ対! 入ってくんな!」
まるで猛獣のようにがるるる! と犬歯を剥き出しにした後、勇者は勢い良く脱衣所のドアを閉めた。
ここは田舎の宿だが、各個室に浴室と脱衣所まで備えてあった。設備だけなら都会の街の宿と比べても遜色はない。これぞ祭の経済効果の賜物であったが、そんなことなど知らない勇者は「田舎なのにやけに設備が整っているなー」と服を脱ぎながら少し不思議に思うのだった。
浴槽に湯を張る太い水音が響く。
勇者は白い浴槽の中で膝を両手で抱えながら、少しずつ
「何を考えてんのかしら……。
そしてポツリと独り言を洩らす。
泊まる部屋がなく困っている自分に、同室でゆっくり休めと親切な申し出をしてきた挙句、自分が勇者だとわかっても敵意を全く見せる様子がない魔王。むしろ好意すら感じるのは気のせいであろうか。
「本当は、悪い奴じゃないのかな……」
無意識に呟いたその自分の言葉に、勇者はハッとして首をぶんぶんと横に振る。
「い、いや! 今まで魔王のせいでどれだけの人間が迷惑を掛けられてきたか! 野菜泥棒に家畜泥棒にえっと、あと、何だっけ? …………。と、とにかく、魔王は私が倒すべき悪よっ」
決意と共に拳を握るその手が、ちゃぷん、と音を立てて湯に沈む。気付いたら湯は既に胸の高さにまで溜まっていた。勇者は慌てて蛇口を捻って湯を止める。
水音がなくなった浴室内に、白い湯気と静寂が渡る。そこで突然勇者は顔を上げ、浴室のドアがある後ろを振り返った。何かの気配を察知したのだ。
(ちょっ――!? まさか本当に覗いてくるつもりじゃ!?)
口ではああ言って魔王を脅した勇者だったが、実のところ彼女の魔力は既に空っぽで、簡単な火の魔法一つ撃てる状態ではない。つまり本当に覗きを実行された場合、勇者は反撃することすらままならず、視姦され放題になってしまうのだ。
思わず冷や汗を流す勇者だったが、一向に浴室のドアが開かれる様子はない。改めて神経を研ぎ澄ませるが、脱衣所に何の気配も感じることはできなかった。
どうやら気のせいだったと結論付けた勇者だったが、ふと壁際に置いてあった予備のタオルが目に入る。と、次の瞬間サッとそれを手に取り、素早く体に巻きつけた。
「――って何してんのよあたし!? これじゃあまるで、あいつが覗きに来るのを待っているみたいじゃない!」
だが一度巻いたタオルを取る気にもなれず――。わしわしと黒髪を掻き毟り、勇者は「あー」やら「うー」やらと、苦悶の呻きを洩らすのだった。
「ふー。いいお湯だった」
濡れた黒髪をバスタオルで拭き取りつつ、勇者は思わず息を吐いた。疲れきった体にはやはり湯浴みが一番だよねと、彼女はささやかな幸せを実感していた。
勇者の全身を濡らしていた水滴は、瞬く間に柔らかなタオルの中へと吸収されていく。一通り体を拭いた後、用意していた清潔な下着を身に着ける。そしてその上から、部屋に常備してあったバスローブに袖を通した。
「
きゅっと紐を括りそう呟いた後、勇者はあることに気が付いた。
カゴの中に入れていた、今日一日着用していた服。その中に入っているはずの、ある物が見当たらなかったのだ。カゴを豪快にひっくり返して探してみるも、どうしてもそれだけが見つからない。
まさか――。
確かに魔王は風呂を覗いてはこなかった。覗いてはこなかったのだが……。
勇者の顔色がサッと青くなる。次の瞬間、勇者は脱衣所のドアをバン! と音を立て乱暴に開けていた。
そのまさかだった。
勇者の視線の先には、ベッドの上で口元をにへらとだらしなく緩めている魔王の姿。その魔王が手に持ち眺めていた白い物体は、間違いなく『勇者の』であった。
そう、それは彼女の下着――。もっと有り体に言えば、パンツである。
「…………」
拳を強く握り、わなわなと震わせる勇者。そんな勇者に気付いた魔王は、悪びれもせず堂々と言い放った。
「え? だって脱ぎたてのパンツだよ? 可愛い女の子の脱ぎたてのパンツがそこにあるってわかったら、そりゃ手に取るでしょ?」
「ふっざけんなぁぁああああッッッッ!」
「げふっ!?」
勇者の放った跳び蹴りは、魔王の左頬にクリーンヒット。せっかく魔王が手にした勇者の脱ぎたてパンツは、あえなく没収となってしまった。
だが魔王はその跳び蹴りをくらった瞬間、見てしまっていた。そう、確かに目にしていたのだ。バスローブの下からチラリと覗く乙女の秘境を――。
(苺パンツ、か……。なかなか可愛い趣味を――)
(苺がどうされました? 魔王様?)
(うおおっ!?)
突然脳内に大臣の声が響いたので、魔王は口から心臓を飛び出さんばかりに驚いた。どうやら蹴りをくらった瞬間、無意識の内に精神を繋げてしまっていたらしい。
(ほ、本当にどうされたのですか!?)
(いっ、いや! 何でもない! マジで何でもないって!)
(そうですか。それなら良いのですが……。てっきり私が今日下ろしたばかりの、秘蔵の苺柄
プツッ!
魔王は慌てて大臣との精神会話を強制終了させた。
(あいつ、下着は
彼は大臣が褌派であることを、今初めて知ったのだった。しかし魔王にとっては物凄くくだらない、かついらない情報である。できればすぐにでも忘れてしまいたかったのに、逆に魔王の頭の中は、苺柄褌を装備して得意げにふんぞり返る大臣の姿でいっぱいになってしまった。その姿はどんどん分裂を始め、じわじわと魔王の脳内を蝕んでいく。
忘れたいことほど忘れられなくなってしまう、あの現象である。
(やべー! このおぞましい映像が何か頭から離れないんだけど! このままでは俺の精神が崩壊してしまうっ!)
魔王は思わず頭を抱えた。自分で撒いた種とはいえ、何という精神拷問であろうか。
頭を抱え悶え続ける魔王に、勇者が訝しげな視線を送る。さっきのとび蹴りがそんなに効いたのだろうか、でも頬を蹴ったのに頭を抱えるなんて変な奴――と勇者は見当違いなことを思っていた。
と突然、魔王が両手と頭を地に擦りつけた体勢を取った。俗に言う、土下座だ。
「……勇者ちゃん。折り入って頼みがある」
「なっ、何よ急に?」
いきなり土下座をする魔王に、勇者は少しうろたえる。もしかしてさっきのとび蹴りで頭がおかしくなってしまったのだろうか、と。
魔王は顔だけを上げ、勇者に向ける。その表情は真剣そのものであった。黙っていたらこいつもなかなか格好良いのに、何でこんなに残念な性格なんだろう――と勇者がそんなことを考えているなんて知る由もなく、魔王はおもむろに口を開いた。
「パンツを見せてくれないかな? できればバスローブをぺろっとめくって、大胆に。かつ恥じらいながら『優しくしてね』って言ってくれたら完ぺ――」
「死にさらせええええええぇぇッッ!」
めぎゃずぼふぅっ!
勇者は魔王を蹴り上げ、身体が浮いたところで捻りを加えたアッパーを繰り出した。そのアッパーは魔王の顎を見事に直撃。
人類の身体ではどう頑張っても出ない音を部屋に響かせた後、魔王は口から泡を噴き、錐揉みしながら床に倒れ伏した。
『乙女のパンツをもってミノタウロスの褌を制す』という魔王の作戦は、花と散るのであった。
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