先生

「私、ここでずっと待ってたんですよ。気づいてくれないと思ってたけど、ずっと先生が気づいてくれるのを。」


マナが言う、その気づいてほしいというのは、俺がマナを覚えているということなのか。

サイン会の記憶なんて、もうとっくの昔に消え去った過去の話だ。

あの時は一日、一時間、一秒の時間が早く感じたとても不気味ではあったが、充実という言葉がある意味当てはまる毎日を過ごしていた。


「先生。私、待ってますから、ずっと。」


マナはそう言うと、すっと席を立って歩く体勢を整えた。

俺は思わずマナの肩に手を触れた。触れてしまったのだ、つい。


「マナ、気づいてほしいというのは、いったい何なんだ。」


俺は聞きたい。俺の物語の、俺だけの主人公が思う、その台詞の意図をどうしても聞きたい。

俺は少しだけ力を強めにマナの肩を掴んでいる気がした。

本気を見せるには、それくらいのことしかできない自分がとても嫌になった。

でも今の俺は、その程度の存在なのだ。


「“あなたのいるべき場所は、ここではない。”ということですよ。」


マナは少しだけ体を引いて、自分の肩に乗った俺の手が自然と離れていくように誘導した。

これが何よりの答えで、これが俺にお似合いの仕打ちなのだろうと、自分の手が自分の体に引き寄せられる経緯を見ながらそう悟った。

俺の物語は、ここで、完結してしまう。

また、俺は、物語を曖昧な状態で終わらせてしまうのか。


「あ、それからもう一つだけ。」


まだあるのか、マナ。どこまで俺を痛めつけたいのだ、マナ。

そんな性格だったのか、マナ。俺はそんなマナは、知らないぞ。


「私、真奈美なので、次からは真奈美って呼んでくださいね。」


マナはもう一度その本を見せてくれた。彼女のいかにもいい匂いのしそうな鞄の中から取り出された一冊の本。

俺の小説だ。


「あ…」


そこにはこう書いてあった。


“真奈美さんへ。いつも応援ありがとうございます。斉木進一”


俺はまだ、やれる、そんな気がした。

マナミが俺を先生と呼んでくれる限り。


誰が何と言おうと、俺は、小説家なんだ。

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