マナ
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりですか?」
俺の言葉に続くマナの言葉を、俺はもちろん知っている。なぜならマナは、いつも同じメニューを頼むからだ。
マナのメニューはいつもと同じ。ブレンドコーヒーと本日のおすすめケーキだ。
今日もきっとそのセットに違いない。そしてそれを言う時の彼女の口元を盗み見るのが俺の密かな楽しみでもある。
「カフェラテとフルーツのタルトで。」
「え?」
俺は思わず自分の気持ちを声によって吐露してしまった。
接客業たるもの、自分の感情を最小限に抑えて、いかに親切に、いかにわざとらしくなく振舞うのことこそが俺の長年のアルバイト生活の中で培ってきた唯一の戦略術だ。
これがいつか、自分の描く物語の展開のキーポイントとなる日がくることを、俺は今か今かと待っているのだ。
しかし今日はその考えをぶち破る展開が待ち構えていた。
マナの注文するメニューがいつもと違う。これはいったいどうゆうことなのだ。
シナリオにはない展開がくる。これが、現実というものなのか。
「あの、何か?」
マナがこちらを見ている。いけない、これではいけない。ファミレスの店員というのは、物語において、お客様より目立ってはいけない。
店員が主人公の場合は例外ではあるが、この物語の主人公はまぎれもなく、俺の前で俺のことを不思議そうに見つめるこの女性、マナなのだ。
「あ、申し訳ございません。カフェラテとフルーツタルトですね、かしこまりました。少々お待ち下さいませ。」
俺はすぐにメニュー表を下げてその場を立ち去ろうとした。顔が赤くなっていないか。口元が緩んでいないか。
初めて俺は、その時、マナと目を合わせられたのだ。こんなに嬉しいことはない。
俺は物語の主人公と、ファミレスで日常茶飯事に行われる客と店員の会話以上のことをついさっき体験できたのだ。
ここまでファミレスでアルバイトをして嬉しいと思ったことはない。
時給が100円プラスされた時の嬉しさを忘れるくらいの喜びだった。
俺にとっての些細な喜びリストに今日の出来事が堂々と書き込まれたのだ。
その時だった。
「結局、サチコさんは犯人だったんですか?」
俺の耳に聞こえてきたのは、サチコという名前と、疑問符の付いた音を持った言葉の羅列だった。
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