数奇なる運命

「つけられています」

 香奈は歩きながら、小さく智だけに聞こえるように呟いた。

「そう、みたいだね」

 後ろをちらっと確認して智も同意する。

 今日は昨日一緒に暮らすようになってからはじめての一緒に気象観測に出かける日だ。まぁ、仕事ですけどね。智は善意以外の何者でも無いが、香奈は有難いものです。

 今日も二人が出会った場所に昨日通った道を抜けて行こうとしている。周りは昨日と同じ住宅街で、真っ青とした晴れ空だ。

 しかし、後ろの電柱には、見えないつもりであるだろうが、黒いコートが丸見えとなって見えている追尾者の方が一人いる。

 フードまで被って隠れる気まんまんじゃないですか。

「誰でしょうかね」

「誰だろうね」

 香奈のメモリーにも、つけている方についてのデータは記録されていないようである。

 困りましたね。本当に不審者なら通報しなければいけませんが、勘違いならあまりにも相手の方に失礼です。いや、でもあれは追尾している以外にありませんけど……

「心をスキャンできないの? 昨日みたいにさ」

「そうでしたね。してみましょう」

 スキャニングを開始します……これは動けなくなるのが難点なんですよ……スキャニングを終了しました。

 ぽーん、ぽーん、ぽーん、と今日も同じ電子音が鳴る。

「何も考えがありません」

 香奈にとって驚愕の結果であった。無心なんて聞いたことが無い。これまで誰しも何かを考えているのは当たり前の行動だと思っていたのだが。

「考えが無い、ってどういうこと?」

「そのままです。無心なんです」

 こうしてロボットである私でさえも考えているというのに、さっきからつけている方は何なのでしょうか。私みたいな一ロボットを追っても楽しみというものは皆無だと思うんですけどね。

「さっさと行って巻くか」

「そうしましょう」

 それから、いち、にの、さーんで全力速で駆け抜ける。昨日通った道であるので、楽々と駆け抜けることが出来るが、相手の方はそうもいかない。あたふたとして電柱から出てきて走り始める。

 背丈は成人男性ほどで、全身黒と、いかにも悪の組織を絵に描いた感じの服装をしている。香奈には追われる義理が見当たらないが。

 数分走り続けると、昨日いた商店街の付近に出た。たばこ屋と商店街の入り口の間にある曲がり角だ。

 香奈が後ろを振り返ると、幸いさっきまでいた追尾者の方は全く見当たらない。

 その旨を智に伝えようと試みるため、再び前方を向いた。

「こちらにはいませんが、巻きましたか?」

「いや、まだだね」

 智は言葉とともに前方を向いた。香奈もそれに倣い前方を向く。

 昨日香奈がいた街頭樹の下に追尾者の方はいた。

 そして、その人も気づいたのかこちらを向き、すぐさま隠れ直す。

 もうバレバレですからでてきていいんですよー。

「どうしましょう」

「そうだなぁ……」

 そう言い残して智は一人その人の方向へと歩いていく。

 危ないですよ! 光線銃とか持っていたらどうするんですかっ。

「えーと、そこの方」

「はい?」

 追尾者は間の抜けた声と共にフードを外した。そこから見えたのは綺麗な顔つきのいわゆるハンサム、というような方だ。

 え、もうハンサムって使われていない言葉なのですか。アップデートが必要ですね。

「何か御用ですか?」

「その言葉はただ立っている通行人に言う言葉ではないと思いますが、そちらこそ何の御用ですか?」

 言い返し方流石ですね。これから参考に致しましょう。って、そんなに関心してる場合じゃないでしょう! 何をしているのか、聞きたいんですよ。こっちは。

「御用、ねぇ……じゃあ単刀直入に言うけど」

「はい」

「何で僕たちを追ってきたの?」

「…へ?」

 智の問いを聞くや否や、逃げ出すその人の背中。香奈はその姿を認識して、出せるだけの速度を出す。全速力を。同時に自身の警備レベルを二ランク上昇させる。智も追いついてくるが、香奈の早さの比ではないことは歴然だ。

 数秒経つとようやく香奈は追尾者に追いつき、そのままぶつかる。そのまま追尾者は地面へとずばーっと倒れこんだ。香奈は少し痛むが、自分の痛覚センサーを切れば大丈夫だ、ということで遮断。

「御用です」

 その地面へと伸びている様は凄く滑稽だが、追ってきて逃げるくらいなんだからやましいことをしているのだろう、と香奈は悟る。

 ようやく智も遅れてその場へと到着する。香奈が智の来た方向を見ると結構商店街が小さく見えた。

 そんなに逃げるなんてそれほどヤバイことに絡んでたんでしょうかこの人は。

「で、何をしていたんですか? 氏名も同時にお願いしますね?」

 香奈は伸びている追尾者に問う。気絶はしていないはずだ。それくらいのスピードできちんと計算してぶつかっている。

 おーい、おーい。分かってるんですよ、あなたが起きていることぐらい。そうでしょう、ロボットさん。

「そうさ、俺はロボットさ。スキャニングさせてもらった」

 追尾者は言いながら起き上がった。智は驚いているが、香奈は完全に想定内である。

 だってスキャニングできないのってロボットくらいなものですからね。

「そうそう、俺はできないようにできてるの。あーあー、こんなに服汚してくれちゃって。高かったんだよ、これ」

 はたきながら応えているが、智と香奈はお前の服のことのなんてどうでもいいと言いたげな表情だ。

 そんなことお構い無しです。何でつけてきたかと、氏名を話してくださいよ。

「あぁそうだったな」

 コートの中からタバコをひとつ取り出し火をつけて吹きはじめる。

 ロボットでもタバコ吸えるんですね。記憶しなくては。

「俺は探偵ロボット、上谷浩三。製造ナンバーはG-02」

「で、お前は気象観測ロボット、篠宮香奈。製造ナンバーはF-04。そうだろ、違うか?」

 製造ナンバーは、確かに香奈のものと一致している。

「それで何で追ってきたか、という話だったな。そこの智とかいったか、お前さんだお前さん。理由を話してやる」

 やっと理由ですか。お願いします。

「このF-04はな、去年製造された気象観測用ロボットだ。今は国が放つ電波でその電波が届かない場所以外は天気が国によって決められているな、そこまでは常識のはずだ、こいつらはそのサービスの誤作動が無いか調べる為に生み出された。ここまでは知っているはずだ」

 ここまでは一般的常識と香奈が昨日言ったことだ。智も分かっているような顔をしている。

「俺はとある依頼人からこいつを調べろ、と指令を下されている。何でも内容は監視さえしていれば接触しようが構わない、というものなんだがな。確かに胡散臭いが依頼人の所在は確かだ、だから受けて今やっている」

 その依頼人って誰なんですか。私を調べて何か利点があるんでしょうか。教えてくれればいいのに。

「たまにいるんだが、全く依頼人とは関係の無いロボットだから何故そんな命令を下したか知るために拷問とかやられても困る。依頼人は別にいるからそいつをあたってくれ。誰とは言わないが。情報保護の観点もあるからな、すまん」

 情報保護なら仕方がない。香奈は妥協する。

「何で逃げたかは、あれだ。何か相手の会うっていうのは認められてるが性に会わなくてな」

 探偵ロボットはプライドが高いというのはこれまた常識である。

「ということだ。理解してくれたか? 俺が不審者じゃないと」

「よく分からない」

 すぐ応えたのは智だ。初耳で理解しろっていう方が酷である。香奈ももう一段階踏み入った説明を要求した。

「仕方無ぇなぁ……」

 浩三は頭をぽりぽりと掻きながら、またも内ポケットから何かを取り出した。それはひとつの萎れた紙である。

「それは?」

「これはな、これからの気象予報データだとよ。こいつの監視にはこれが必要って言われて貰ったんだが、俺にはさっぱり分からん」

「どれどれ見せてください」

 その萎れた紙は浩三から香奈へと渡った。

「これは、本当の気象データですね」

「落書きじゃ無くてか?」

「はい。確かに以後の予定と重なります」

 その萎れた紙には紋章と思しき、日本語ではなく英語でもない言語が記されていた。それは落書きのようにか周囲には見えていない。

「落書きのようにしか見えないんだけど……」

「だろう? 探偵ロボットである俺でさえ解けない。まぁ、俺はバージョンアップデートもしていない旧式のポンコツだけどな」

 探偵ロボットには数々の犯罪を解くためのアプリケーションが内蔵されているが、それで解けないということは相当のセキリティーがかかっていることと同意である。

「いつ製造?」

「ざっと13年前」

「アンティークの領域じゃないですか」

「動いてるのをアンティーク扱いするな。シータ・イクリプスの例を考えろ、あいつだって未だ現役で動いてるじゃないか」

 智と浩三が談笑している間、香奈は萎れた紙を持って一歩も動いていない。彼女の集中は全てその萎れた紙一枚に注がれている。

 浩三がふと、香奈を視界に捉えた。

「……そんなにそれを見て、どうかしたか?」

「どうかしたからこうやって見てるんです」

 智も浩三もその萎れた紙一枚に視線を注ぐ。しかし、何度見ても落書きは落書きである。そこに気象予報なぞは書かれていない。

「しかも、何故でしょう」

「何がだ」

 ここです、ここ、と紙の下部に指を指し、浩三へと突き付ける。

「私でさえ知らない来月の予報が記録されているんです」

 浩三はその萎れた紙をぺた、ぺたと指で弾いて遊びはじめた。

「つまり、予報を知る人物が私を付けてくるように命令したというのが私の推論です」

「ほぉ、探偵ロボットの目の前で気象観測ロボットが推理をご披露とは恐れ入った」

 弾くのをやめると同時に、タバコをコートの中から取り出した携帯灰皿の中に入れ、懐へとしまう。

「しかしな、間違ってる」

「何がですか?」

 浩三は香奈から、萎れた紙を取り戻す。

「お前さん」

 その呼称は智に対するものだ。智が応える。

「何?」

「これ、どう見える」

 萎れた紙を智に見せた。

「落書き。幼児の書いたものとしか思えない」

 どうだ、と言わんばかりの表情で浩三は香奈へと向き直す。

「つまり、こういうことだ。『私でさえ知らない来月の予報』はここにいる場では確認できる者が他にいない。よって証拠不十分だ。まだその推論は仮定でしかない」

「それはそうですけど、考えても見てください。その予報を知ることが出来る、いや、創ることができるのはただひとつしかありません」

「QED」


「その通り。依頼人は気象庁第二気象観測室だ」

 依頼人話しちゃっていいのかよ!

 智は驚愕の表情を隠せないが、香奈は納得しているふうである。

「やはりそうでしたか。理由は」

「話せるわけ無いだろ。ここまででもセーフギリギリラインだ。俺を廃棄処分にさせたいつもりか」

 いや、もう探偵としてヤバい気がするけど。

「そこのお前さん、意見ならちゃんと言えよ? スキャンなら俺だって出来るんだ、こいつみたいにいちいち音出さなきゃいけない仕様でも無くね。でも、無駄にさせないでくれ何しろアンティークだからな」

 香奈は浩三はから萎れた紙を再度取り、再びそこに刻まれた紋章を見つめる。

「で、何て書いてあるんだい」

「少なくとも一ヵ月後、二ヵ月後までぎっしりと、予定が書き込まれています……」

「ちなみに今日の予定は?」

 智が見上げると、間違うこと無き晴天だ。

「快晴、です」

「お見事」

 浩三が拍手をすると、香奈は口を膨らませ、

「当たり前じゃないですか! 気象庁の予定は絶対に間違うことはありません!」

 意地を張り、浩三に向かって言い放った。しかし、

「俺の知ってる限りだと、一昨年長野の村を集中豪雨で水没させて、死者と故障者何人も出たろ」

 何だっけ、その事件。

 ぎくっ、と香奈はいきなり青い顔になり、

「それは、まだシステムが不完全だったときの話です。その上に私は生まれていませんので、お答えできません」

「そうか、そうか。自分の仕えているところの歴史くらい覚えとけ」

 閑話休題。仕切りなおし。

「それで、それがあると何がマズいの?」

 智が問うと、香奈がすかさず応える。

「はい。私みたいな気象観測用ロボットでさえ教えられているのは十日以内の情報のみです。智さんみたいな一般の方は、一週間までが精一杯の情報範囲ですよね」

「うん」

 智が情報を知ることが出来るのはテレビニュースの天気予報――無論一週間以内の予報しか報じられていない。それ以降の予報は情報規制がかけられているという。

「ですが、気象庁は半年以上もの気象予定を既に組み立てています。では何故報じないのか、分かりますか?」

 え、何で?

 智が考える最中、浩三が呟く。

「不埒な輩が意図的に天気を改ざんするため、だな」

「ご明察です」

 その言葉を受け、智は思い出す。

 そうだ、長野の事件って。

 思い出した瞬間、膝を地面につき愕然とする。

「お前さん、ようやく思い出したか。あれを忘れるたぁ、お前さんもあれでトラウマ貰ったクチか」

 浩三が冗談めいて言うも、智は外の音は聞こえない。自分の殻の中に閉じこもってしまった。

 なんで、こんな重要なことを忘れていた?

「……今の智さんにはあまりに酷です」

「でもな、言わなきゃならないんだよ。これも依頼のうちだ」

 浩三はそのまま腰を低くして、地面に膝を突いて愕然としている智の正面を向く。

「お前さんは、長野の事件唯一の生き残りだ」

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