呼び捨てでいいですよ。

 それまで一部企業が開発、使用していたに過ぎなかったロボットが人間と同じ姿を得て自立して行動をはじめたのは年代後半のことだ。

 初めて家庭用ロボットとして出たロボットは成人男性型のロボット、シータ・イクリプスである。表面が人工皮膚に覆われ、人間と同じ格好であり同じ知性を持つ、という触れ込みで社会は大いに議論に沸いた。十数年経った今でも彼は現役でその彼を購入した家庭に仕えているという。ここは確か現代社会の教科書にも掲載されている。現代史の一環としてだ。

 対して彼女が仕えるのは、気象庁第二気象観測室だ。そこには彼女の同型ロボットが何十人も配備されている。彼女はその一人で、彼女側からも相手側からも直接的な面識は無いので、どのような方が在籍するのかも分からない。彼女は製造された時点で既に人工皮膚のついた成人女性型の身体である上に、仕事というのがインプットされていた。

 その主な仕事というのは気象観測だ。その為に決められた場所で一定時間立っていなければならない。

 その中には今日のように雨で濡れることもしばしばある。世間がロボットに対してどうやら偏見の目を持っているので、何処へ行くにも制限が掛かってしまうのがひとつの要因だ。

 今日彼女が濡れていたのも、ロボットには傘を売らなくていい、という偏見の目が為したことだ。

 逆に言えば、それ以外の時間は自由だ。ロボット賃金も人間並みでは無いが、貰っているには貰っている。

 だから、行動範囲は対象地点と充電場所のみ。充電場所はコンセントさえあれば大丈夫である。彼女の場合、持ち物は数着の替え衣装があるが、既にそれは無くなっている。今朝方睡眠先の公園で鳥につつかれて飛ばされいった。

 だから、今回初めて智にこうやって声をかけてもらえて、とても嬉しいです。あ、嘘じゃありませんよ? 本心ですって。

 本心と言ったが、、身体が機械で出来ているか有機物で出来ているかだけの違いだ、ロボットと人間かなどということは。子供を産むことはでき無いが、生殖器はついているし、それ以外の性能は完全に人間と一緒である。心もちゃんとある。材質が違うだけであるが。

 ロボットは身体の構造上、“死ぬ”というよりは“壊れる”かスクラップということで生命が終わることが多い。少なくとも、彼女はまだ製造されてから一年ちょっとしか経っていない身体なので、まだ生命が終わることや身体が朽ち果てることはは無い。

 ロボットは偏見の目で見られているので、住居はおろか、睡眠場所も日によってまちまちである。今朝の彼女の睡眠場所は公園のベンチの上であった。


「具体的に言うと、私を智さんの家に泊めてはくださいませんか? お願いしますっ」

 香奈は智の差し出していた左手を自分の左手で握った。握られた張本人はというと、顔を赤くして言葉を詰まらせている。

「えっと、うちに泊まるの?」

 詰まりながらもようやく出た言葉は疑問系であった。

「そうです、駄目ですか?」

 このままだと断られてしまうかもしれません。それもそのはずだ、彼は話の相手をすると言ったに過ぎないのだから。

 もっとも強欲なのは私です。断られるのも無理ありませんけど……。今日も公園泊まりですかね、あそこの鳥さんはとても怖くて、あまりいたくないからまた放浪ですかね……

「いいけど……」

 智の表所と語尾が暗闇がちだ。

 やりました! 智さんありがとうございます。これで当分野外で寝ることはないですね、雨ざらしだけは避けたかったんです。あの公園とも遂におさらば! 鳥さんさよなら!

 しかし香奈は智の語尾が暗やんだのかだけが理解出来ていない。やはり、ロボットなんかじゃ泊めるのが嫌なのでしょうか、嫌々なのでしょうかと内心で怯えている。

 私みたいなロボットじゃ家に上げたら汚れてしまいますよね、すみませんすみません。嫌々ならいいんですよ、断っても!

「いいんだけど、今僕しかいないから汚いよ……?」

 案外謙遜した応えが返ってきた。

 そこでしたか、詰まっていた場所は。

「いえ、十分です! もし本当に汚くても私が片付けますから! お掃除します、それくらいやらせてくださいっ!」

 香奈が元気良く言うと、智は驚いた。

 それほど、私が掃除できることが意外でしょうか……? 私は得意なんですよ? 家政婦ロボットではありませんが、趣味なんです。

「えっと、もうその命れ……仕事は終わったの?」

 不意に智が尋ねてくる。

 命令であることは事実だから、別に言い直さなくていいのに。

「はい、もう終わりましたよ?明日の同じ時間まで暇を貰っています」

「じゃあ行こ」

 香奈が言い終えると智は、彼女と握っているその左手を持って、今いる街頭樹のある通りを西へと歩き始めた。

 どちらへ行かれるのですかー!

 智の手に引かれるままなので、香奈は進むのには足手まといになっている。ビニール傘もあっちやこっちに方向が移動して行くので、傘の意味を成していない。寧ろ無駄だ。

 しばらくして、智が振り返り香奈の方を見て、どうやらその旨を表情や動作により悟ったようだ。

「あ、ごめん。僕の家に行くのでいいんだよね?」

「はい、大丈夫ですっ!」

 どうやら智の家に向かっていたようだ、と香奈は把握した。そういえばそうだ、今までの話の結論として、家に行くということになっていた。

 それから数分の間何も話さずに智の家に香奈は一緒に向かって行く。

 そして。

 住宅地の一角、交差点を曲がったところで智の足が不意に止まった。

 智は香奈と繋いでいた手を離す。

 そして離した右手で自分の左手に建つ家を指差した。

「ここが、僕の家だよ」

 そこは小さな一階建ての家だった。

 年季の入った瓦に、雨ざらしになっている雨戸が今も出ている。

 だんだん雨脚は弱まってきましたので、もう必要は無いレベルではあるが。

 ずっと呆然としている香奈に対して、智は既に家に入ろうとしていて、智は玄関先で首を傾げた。傘はもう閉じられている。

「えーと、入らないの?」

「入ります、入りますっ!」

 香奈は急いでそこまで走り、傘を閉じ、そのまま扉を開けて、家の中へと入った。傘は玄関にある傘立てに立てる。

 開かれた玄関は綺麗で、きちんと掃除が成されているような感じが醸されているのを香奈は感じる。智は本当に謙遜をしていたようだ。

「汚いけど、ゆっくりしていって? これから、ここで暮らすことだし。うち親いないからさ、本当に大丈夫ね」

「またまたご謙遜を」

 智はそのまま家の奥へと行く。どうやら自室で学校の片付けをするようだ。

 智さんの制服濡れていましたからね。

 そして、香奈は玄関に濡れた服のまま智さんを待ち続ける。周りをきょろきょろと見渡して、どういった家庭なのかを思案しながらだ。

 その香奈の右手に見えるのは靴入れの収納だ。その上には水槽がある。中には智が子供のころに縁日で取ったのだろうか、大きな金魚が悠々と泳いでいる。

 いいですね、いくら小さな檻になっているとしても、育ててくれる人間がいるだけ。まぁ、いないと死んじゃいますけど。残酷ですね、そういう点は。いいとか言ってすみませんでした、大きな金魚さん。

 そしてもう一方、左手に見えるのは額縁に飾られた小学生が書いたと思しき絵だ。

 丸い大きな顔に塗りつぶされた目、四角い胴体、線の手足。そしてその人らしき者が見つめるのは遠く先にあるオレンジ色の線で描かれた太陽。

 もしかして智さんが昔描いた絵なんでしょうか。斬新で私はとても好きな絵調ですが……

 何なんでしょう、この絵が何か懐かしい。

 しばらくその絵を見続けていると、智は何やら紙袋を持ってさっきと変わらない服装で玄関へと戻ってきた。

 あれ、濡れた服を着替えに行ったんじゃないんですか? まさかまた私の早とちりですか? その節は本当に申し訳ありませんっ。

「これ、良かったら着て?」

 香奈は智が言葉と一緒に目の前に差し出した紙袋を受け取る。そして、その中身を香奈は勢い良く開いた。

 中に入っていたのは、紫の服だ。

「えーと、これは一体?」

 香奈は疑問に思ったそのままに、その疑問を智にぶつけた。

「それはね、僕の姉さんの服だから。今いないからさ、使っていいよ。というかその濡れた服と交換して? 寒いでしょ?」

「あ、いや、私はロボットですから、寒くても別に関係ないですよ。それにお姉さんに悪いですから、泊めていただく上にそんな衣服の提供まで……」

「でも、他に衣服無いでしょ? 見たところ持ってないけど」

 香奈は言われて思い出す。

 昨日、公園で野宿していたとき衣服が鳥さんにつつかれてぼろぼろになって何処かに持っていかれてしまいましたね。今頃あの服は何処でどういう目に遭っているんでしょう……。

「それでは、ご好意をありがたく頂戴します」

 香奈はその紙袋を水槽の隣に置いて、中から服を取り出す。中から出てきた紫の服もワンピースタイプである。

 紙袋をたたんでその上に紫のワンピースをそのまま置く。しかし着替えるためにこのワンピースを脱がなくてはならない。

 香奈は両手で肩の所を持って上へ持ち上げ、ワンピースを脱いだ。

「ちょ、ちょっち、ちょっと! タンマ、ストップ!」

 急いで、大声で言い放った智の方向を見る。

 何事でしょう、何か害虫でも出たのでしょうか……

 智は両手を自分の目の前にかざして、何も見ないぞ! という宣言をしている。

 香奈がスキャニングした智の思考は「見てない、見てない」という言葉が繰り返されているだけだ。

「何を見ていないんですか?」

 私は智さんに尋ねる。

 智さんはそれにその体勢のまま応える。

「着替、えるなら、お風呂場、でお願い……」

 たどたどしいその一言で香奈は全ての状況を理解する。

 そうでした! 智さんは男性で、私は女性型ロボットです。それは、いきなり男性の目の前で着替え始めるなんておかしい行動ですよね。失礼しましたっ!

「では、何処がお風呂場、でしょう……。教えて頂けたら嬉しいです……」

 智さんがとても恥ずかしいようなので、こちらも恥ずかしい気持ちになってきました。脱いだワンピースを左手で持ち、前を隠します。これでも後ろは丸見えですけど、まだ良いですよね……? 流石に玄関で下着姿だけってのも、一般的にはおかしいですよね。

 智は静かに片方の手を取り、素早く自分の後方を差しました。

「僕がさっき行ってた方向に風呂場があるから!」

 追随して叫ぶ。

「ありがとうございますっ!」

 香奈は瞬時にずぶ濡れの靴を脱いで、紫のワンピースをさっきまで着ていた濡れているワンピースを持っていない右手で持ち、駆ける。

 玄関を上がり、智の載っている玄関用の小さいカーペットを裸足であるが、踏み込んだ。

 しかし。

「ぬわーっ!」

 香奈の視界がぐるりぐるりと巡って――

 カーペットごと宙に舞いまう。智も無論巻き添えを喰う。

 ごめんなさい! わざとこういうことをしたわけじゃなくてでですね……。あーっ! 本当にごめんなさいっ!

 香奈は謝罪の念を脳内に浮かべるが、智はスキャンの機能は持っていないので、その念は届かない。

 そのまま二人は地面に叩き付けられる。香奈の持っていた二着のワンピースは、本来香奈が向かっていた方向に飛んでいき、そのまま香奈は仰向けになった。

 そこへ、智がうつ伏せの体勢で――

 あの、私が悪かったとはいえ、混乱に生じてそういったことは、まだ早いんじゃないですか……? まだ私たち出会ったばかりですし……。

 だが、その瞬間。

 智が目を開き、香奈と目が合う。

 顔がすぐそこですよ! まだ早いです、ごめんなさいっ!

 智は呆然としながらも、香奈との状況を理解したようだ。

「あ、ごめ、本当、ごめん!」

「いや、謝るべきはこっちなんです、滑ってこうしてしまったのは私のせいなんですからっ!」

 香奈はそのまま飛ばされていったワンピースを二着とも持って再び駆けだした。

 本当にすいませんでしたーっ!


 急いでお風呂場に行った香奈は、紫のワンピースと睨め合いをはじめる。

 三面鏡と洗濯機、バスタブへと続く扉、タオル掛けがついている壁。そんな空間にぽつん、と香奈が一人下着姿でいる。

 このサイズ、私のサイズと丁度だなぁ……

「お姉さんって何者なんだろう……」

 香奈はその紫のワンピースを上から着る。すっぽり、とまるで前から着ていたかのように着れた。

 お姉さんの衣服って全部このサイズなのかなぁ……

 お風呂場備え付けの三面鏡で香奈は、紫のワンピースを纏った自分の姿を見つめようとする。

 すると、そこにいたのは、いつもとは違った風貌の香奈だ。

 具体的にどう違うかというと、香奈は基本こういった配色の服は着ないが、こういった服が香奈に一番似合っていると錯覚を起こさせるほどに。

 黒い髪が紫の服とそれに付属する茶色のベルトに生える。

 智さんのお姉さん、いい判断です!

 その風貌を見てから香奈は濡れたワンピースをどうしようと考え始めた。香奈はどうしようもないので、そのワンピース畳んでから洗濯機の洗濯籠に入れる。ちょこんっ、と。

 下着はまだ濡れてるんだけど、いいかなぁ……

 またそれも借りればいいかなぁ……

 そんな考えが浮かんだ自分の頬に自分自身でびちんっ、と叩きます。

 他の人のご好意に頼りきったらダメだから、ダメ!

 香奈は風呂場を出る。

 さて、出たからといって私は何処に行けばいいんでしょう。玄関にまだ智さんはいるんでしょうか……

 玄関の方向へと足を向ける。

 すると、後ろ側から――

「あ、こっちに来て!」

 今、香奈がいるところから見れば玄関と真逆、お風呂場のさらに奥に位置する部屋から智がひょっこりと顔を出して言った。

 今度は服を着替えたようだ。何やらネクタイがプリントされたかのようなTシャツを着て、茶色のベルトとパンツを履いている。

「は、はい!」

 香奈は玄関の方向から智のいる方向へと足の向きを変えた。

 その部屋へ着くと、内部の装飾などは智とは似つかぬいかにも女の子が暮らしていそうな部屋である。

 まさか、智さんって、オカマ……

「この部屋は僕の姉さんの部屋」

 考えを先に読まれてしまう。

 そうでしたか。すみません、誤解してしまって。そういえば、さっきから謝ってばっかりですね。本当にごめんなさいっ。

「さっきも言ったけど、当分姉さん帰ってこないからさ、これからこの家に住むんだったらこの部屋使って?」

「えっと、住むですか? 泊まるではなくて?」

「だって泊まる場所が無いってことは住む場所が無いんでしょ? だから住むかと思ってたんだけど、まさか違った? 早とちり?」

「いや、本当に嬉しいです、ありがとうございます!」

 香奈は再度智の手を握った。

 しかし、香奈の胸の内にはただ一つ疑問があった。

 この部屋、自由に使っていいなんて、本当に、いいんでしょうか? お姉さんにも智さんにも悪いと思うんですが……

「じゃあ、そういうことで」

 そうして、智はまた奥の部屋へと入って行った。

「あの、そこの部屋は?」

 そこの部屋とは今智が入っていた部屋のことだ。

「ここは僕の部屋ね。じゃあ今日からよろしく、香奈さん」

「呼び捨てでいいですよ」

 咄嗟にそんな言葉が出た。何かロボットなのに敬称で呼ばれるのが苦手なのもある。

「なら、こっちも呼び捨てでいいよ」

「いえ、そんなことはできません……畏れ多くて」

 本音です。そんなに好意は受け取れません。

「じゃあ、よろしくね香奈」

「はい、智さん」

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