第8話:悪

「――ふむ、流石はセイレス商会。良いものを仕入れているな」

「お褒めに預かり光栄です。これもひとえに、ハークリット家の方々のご贔屓があってこそ」

「ハハ、言ってくれる」

 セイレス商会が店舗兼住居として所有する屋敷。その一室で、密かな会合が行われていた。セイレス商会の頭取ウラジーミル・セイレスが供した酒に舌鼓を打つのは、衛兵隊の一小隊長にして帝国貴族ハークリット伯爵家三男のヘンドリクである。

「加えて今回は、ヘンドリク様の計らいで我々の件を上手く処理していただいているとのこと。感謝の言葉もありません」

「フン、自分のことを誤魔化すついでだ。それに、お前とは今後も良い付き合いをしていきたいものだからな」

「もったいなきお言葉。ところで、本日は如何なご用件で?」

「新しい『玩具おもちゃ』を一つ、回してもらえないかと思ってな」

「おや、前回の納品から一週間ちょっとだというのに。お気に召しませんでしたか?」

「いや、悪くは無かった。処女だったしな。だがすぐに『壊れて』しまった」

「なるほど、それで『処分』なさったのですか」

「あぁ。だが――」

 そこでヘンドリクが、部屋の奥へと厳しい視線を向ける。二人から少し離れたところに、三人の男が思い思いに寛いでいた。商人や貴族、騎士のような整った格好ではない。より質素で年季の入ったような服装だ。顔つきや態度も粗野な印象がある。

 そんな彼らに、ヘンドリクは苦言を呈する。

「お前ら、何故あんな場所に捨てた? おかげで大きな騒ぎになってしまった。父上に掛け合って、、我が隊の単独調査にしていただけたおかげで何とか揉み消せるものの」

「いやぁ面目ねぇ。もう少し目立たねぇとこに運ぶつもりだったんだが……」

「こっちの方こそ、聞いてないっすよ。あんなとこに衛兵がいるだなんて」

「おかげで即刻捨てて逃げなきゃならなかったんだからなぁ」

 ならず者の三人の言い分に、ヘンドリクは渋い表情になる。

「あれは完全に予想外だ。ピーターだっけか? 元からフラフラしてて動向が掴めていなかったんだ」

「そいつですよ。どういうわけか一人でこの辺りをうろちょろと、まるでここが関係してることを嗅ぎつけたみたいで」

「フン、平民風情がコソコソと。だが始末はしたのだろう?」

「えぇまぁ、二度と喋れねぇようにしときましたがねぇ」

「それより、あの時いたもう一人の衛兵の方は大丈夫なんですかい?」

「もう一人? あぁ、ウォルズとかいう奴か。あっちは職務に忠実だ。良くも悪くもな。イレギュラーな動きはすまいよ」

「本当ですか?」

「ま、不安なら消してもいいかもしれんが。平民程度が多少殺された程度で、世の中には何の影響もない――」




「――ッ!!」

 その部屋の外。人目につかぬよう壁際に張り付き、身を隠していた一つの影があった。固く握られた拳は震え、尽きぬ無念さに唇を噛む。滲む血の味が、更に惨めさを感じさせる。

 いっそこの場で乗り込んで、なりふり構わず暴れ回りたかった。だがそれをしたところで返り討ちに遭うだけ、無駄死にだと理解出来る程度には理性が残っていた。流石に五対一は荷が重い。

 ではどうする? 上に報告するか? それも悪手でしかない。相手には衛兵隊本部に籍を置くハークリット伯爵の三男がいる。報告を上げたところで、ヘンドリクが手を回して揉み消すだろう。既にやっているのと同じように。そして自分の命を狙うに違いない。

 やるせない思いを抱えつつ、セイレス商会の敷地から抜け出る。周囲に人がいないことを確認し、一つ息をつく。

「――何してんの、こんなとこで?」

 安心しきった矢先に声をかけられ、反射的に振り向く。そこにいたのは、過剰な反応に少し目を見開いているマフラー姿の少年。いつぞや知り合った仕立屋シュウ・ラ・ティーティスだった。

 手中のランタンを掲げて、こちらの顔色を窺ってくる。小首を傾げて尋ねてきた。

「ん、大分顔色悪いね。何かあった?」

「……」

 図星過ぎた。ここ最近で色々とあり過ぎたのも事実だ。しかしここで、口を開くのは躊躇われた。口を開けば最後、堰を切ったようにありとあらゆるものが吐き出されることだろう。職務機密や、命の危険もあって口外できないようなことが非常に多い。おまけに今いるのはセイレス商会の目と鼻の先。万が一にも口を滑らせるようなことは出来やしない。

 ただならぬ様子を感じ取ったか、シュウが少し考える素振りをして提案してきた。

「んー、まぁこんなとこにいるのも何だし、ちょっと場所を変えるか。時間あるでしょ?」

「ん、あ、ああ」

 決まりとばかりに踵を返し、迷いなく歩いていくシュウ。僅かに逡巡したウォルズだったが、一刻も早くこの場を離れたい思いから彼の後ろについて歩いていく。俯き加減に、少年の灯りと足取りを頼りに進む。

 あまりにも上の空過ぎたのか、シュウが足を止めていることへの判断が遅れた。ぶつかりそうになるのを何とか避けて、姿勢を立て直す。

「ん? ここは……」

「知ってるの?」

「あぁ、ちょっとな」

 案内された場所を見て、ウォルズは目を丸くする。目の前にあったのは、『バー黒猫』だった。一度来たことがある、何ということのない場所。しかし今は、何故か近寄りがたいものを感じた。

 恐る恐るといった様子で、扉に手をかける。一つ息をついて、扉を開ける。

「いらっしゃいませ――おや、これはこれは」

 カウンターの中にいるフリックの挨拶を聞く余裕はなかった。店内にいた客は二人。どちらの顔も知っていた。

「あら、久し振り。食堂で見なくなって、一週間?」

「おう、誰かと思えばいつぞやの衛兵じゃねぇか」

 フリックの向かいに座っているのは、ウォルズと同じ食堂の常連だったリーゼ。小さなテーブルに足を乗っけて腰掛けているのは、ニコラやピーターの検死で世話になった街医者バンだった。

 妙な縁を感じつつ、ウォルズは空いているカウンター席に腰掛けた。

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