第5話:そして
少し迷いはしたものの、ウォルズは何とか目的地に辿り着くことができた。入口を見てみると、既に営業中となっている。意を決して扉を開け、店の中へと入っていく。
「あれ、お前なんでこんなとこに?」
「お前こそ」
入った途端、目に入った見知った顔に、ウォルズは目を見張る。カウンター席にいたのは、同僚にして昔馴染みのピーターだった。その手中にグラスがあるのを見て、ウォルズは反射的に眉を顰める。
「おい、真昼間から何やってんだ」
「固いこと言うなよー。つかお前こそ、こんな時間にこんなとこ来るタマじゃねぇだろ。何だってんだ?」
「ちょっとここのマスターに聞きたいことがあってな」
「私、でございますか衛兵さん?」
カウンターの内側にいた男が、言葉を発する。黒髪黒目、どこか知性を思わせる静かな笑みを湛える彼は、想像よりも若かった。三十歳くらいだろうか。その割には年並み以上に落ち着いた風格を漂わせているように感じる。
「バー『黒猫』のマスター、フリックです。本日は
「衛兵のウォルズだ。この店の客のことで、ちょっと」
「……ほう、そうですか。立ち話も何です。どうぞおかけください」
フリックの誘いに乗り、ピーターの隣に腰掛ける。彼の存在が気にかかったが、この際迷っている暇はなかった。茶化されるのを覚悟で、ニコラの消息を追っていることを話していった。
「――へぇ、お前も隅に置けねぇなぁ。黙ってるなんて水くせぇじゃねぇか、え?」
「個人的なことだ。わざわざ話すまでもない」
「とか言って、ほんとは照れくさいだけだろ?」
「こんな風にイジられるのが見えてたからな」
意地の悪い笑みを浮かべるピーターに、ウォルズは半目をよこす。話を
「なるほど。私も少し気になっていたんですよ。一週間ほど前を最後にニコラさんの姿を見ておりませんので。相談の必要もないほど上手くいってるのかと思っていましたが」
「まぁ、その辺はボチボチということで」
余計な話に流れそうな予感がしたウォルズは、そう言って話の流れを元に戻す。
「しかし、そうなるとマスターも何も知らなそうだ」
「大してお役に立てず申し訳ありません」
「いや、謝られるようなことじゃない……しかし、そうなると……」
「人攫いのセン、か」
苦い表情のウォルズに代わり、ピーターが呟く。室内の空気が、一段と重苦しいものに変わる。
「こりゃあもう、一個人には荷が重すぎるな。話を通して隊全体で捜査する方が良い」
「いや、しかし――」
「惚れた女の行方なら
言っていることに非は無い。だがピーターの顔を見ていると得も言われぬ嫌悪感が滲み出てくる。どうにも軽薄そうな印象を受けてしまう。
その思いを知ってか知らずか、フリックが追従する。
「まぁ衛兵さんの好みはともかく、単純に人手は必要でしょうね」
「ぬぅ……」
その後も少し問答があったが、ウォルズは結局ピーターの提案を呑むことにした。提案が受け入れられたことに、ピーターは素直に喜んでみせる。
「よっしゃ決まりだ。そうとなったらさっさと掛け合いに行くか」
「今からか?」
「善は急げっつーだろ? つーわけだマスター、そろそろお暇するよ。お代はいつもの通りツケといてよ」
「かしこまりました。あぁ、支部なら裏道を行かれる方が早いですよ。御武運を」
そそくさと店を出ていくピーター。ウォルズはフリックに一礼してから彼の後を追っていく。
「マスターの言う通り、裏から回るか」
「道は分かるのか?」
「割と何度も使ってるんだ。時間短縮のためにな」
ピーターに呆れ返りつつ、彼の案内に従って裏道を進んでいく。最初は何処を走っているのか分からなかったが、進むにつれて徐々にウォルズが見知った景色が見えてくる。あと少しで目的地かといった、その時だった。
「――誰か!? 誰か!?」
何人かの女性の悲鳴、助けを求めるような声が聞こえた。二人して顔を見合わせ、大よその方角を推測して駆けていく。
いくつかの路地を抜けていった先に、それらしき女性達を発見した。腰を抜かしていたり、声にならない声を上げていたりと様々だが、彼女らが表しているのは恐怖以外の何でもない。
そしてその先には。
「……嘘だろ」
女性が一人、静かに横たわっていた。衣服はおろか下着すらも着けておらず、その肢体のあちらこちらには傷や
「嘘だろ……なんで、なんでだ、ニコラ……」
あられもない姿の死体。その顔は見間違えようはずもない。連日顔を合わせていた仲なのだから。
叫ぶ気力も失い、静かに涙を流しながら崩れ落ちるウォルズ。隣からピーターの声が聞こえてくる。
「ニコラ、ってことは彼女が? クソッ!! 遅かったか!!」
その言葉が耳に入った後、ウォルズの視界は暗転した。
次に気付いたとき、彼は建物の壁にもたれかかっていた。慌てて周囲を見渡すが、ニコラの姿は見当たらない。悪い夢だったのかと一瞬思ったが、今だ残る悪臭が再び鼻をついてきた。血の跡もまだ生々しく残っている。
それらを呆然と見ていたところへ、一人の男が声をかけてきた。
「んぁ、気付いたか」
「……アンタは?」
「街医者の、ドクター・バンだ。こんなだが腕は結構良いって評判らしい」
「あ? こんなってのぁ聞き捨てならねぇな。ぶっ飛ばすぞ」
バンと呼ばれた男が、やってきたピーターに噛み付く。目つきは鋭く獣の如し。ちょっと聞いただけでも口の悪さが十分なほどに伝わってくる。白衣と紹介が無ければ彼を医者と認めることは出来なかっただろう。
そんな男の脅し文句を受け流し、ピーターが尋ねる。
「それで、検死の結果は?」
「見たまんま、
「凶器の当ては?」
「そこらにあるような普通の剣だろ。アンタらが下げてるような。目立つ特徴がねぇからこれ以上は調べようがねぇ」
「そうか。分かった。恩に着る」
「おう、そんじゃな。ったく、これも医者の仕事にゃちげぇねぇが、死人を見るのは気が滅入る」
ぼやきながら離れていくバンをしばらく見ていると、不意にピーターが声をかけてきた。
「おい、これ」
ピーターが寄越してきたのは、銀色の指輪だった。裏にはウォルズとニコラのイニシャルが刻まれている。間違いなく、自分がニコラに贈ったものだった。半分ほど血で赤黒く染まっているのが、否応なく現実を突きつけていた。ウォルズの表情が歪み、思わず強く握りしめる。
「人攫いどころじゃ済まなくなったな」
「……ああ」
「さっさと上に報告するぞ。デカい
「……ああ」
既に枯れ果てたのか、涙の一つも流れはしない。失意の中で、ウォルズはピーターに追従していった。ふと握り拳を解いてみる。そこにあったのは、形が潰れた血塗れの指輪だけだった。
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