第3話:不穏
何ヶ月か経ったある日の夜。この日もウォルズはいつもと同じく仕事終わりに店に寄った。カウンター席に座ったところで、いつものように水のグラスが置かれる。
「らっしゃい。今日は何にする?」
いつもと異なる声に違和感を覚え、振り向く。そこにいたのはニコラではなく女将だった。
「あれ、ニコラは?」
「……おや、アンタも知らないのかい? アンタなら何か知ってるかと思ったのに」
当てが外れたといった様子の女将に、ウォルズは首を傾げる。女将は困った表情を見せた。
「今日は朝から見てないんだよ。真面目な子だし、今まで一度もこんなことは無かったのにねぇ」
「そうなんですか」
「まぁでも、風邪とかで出て来れないだけかねぇ……で、注文は?」
「あ、あれで」
「あいよ」
壁に張られていたメニューを指差すウォルズ。確認した女将が厨房へと引っ込んでいく。チビチビと水を口に含んでいる最中に、ナッツの注文を忘れたことに気付いた。そのことを思い出した頃には、彼の眼前にハンバーグの皿が突き出された。
いつもより早いと感じたが、少し考えてこれが普通の、本来の早さなのだと思い直す。何せこれを作ったのは、慣れない料理に四苦八苦する看板娘ではなく熟練した料理人なのだから。
それから一週間、ウォルズはいつも通り店に通っていたが、ニコラの姿を見ることはできなかった。巡回中に何度か、彼女の家やお気に入りだと言っていた場所にそれとなく足を運んでみたりもしたが、結局会えずじまいだった。
この日もニコラを見つけることはできず、ウォルズは憂鬱な気分のまま店に足を踏み入れる。女将や常連も心配しているようだったが、ウォルズを気遣ってか彼が店にいる間そのことを話題にすることはない。
いつも通り注文し、出てきたものを気もそぞろに食べていく。しばらくして、聞き慣れた女性客の声が聞こえてきた。
「あ、らっしゃい。二週間振りかね」
「? 女将? ニコラは?」
「あー、また籠ってたのかい? アンタ集中しだすと完全に周りシャットアウトだもんねぇ」
「答えて」
「かれこれ一週間ほどかねぇ。ずっと姿を見せてないのさ」
「ん、旦那のせいでなく?」
「違いますよ。あと誰が旦那ですかまだ違いますよ」
「まだ、ね」
「ッ!?」
言葉に詰まったウォルズ。それを見たリーゼが僅かに口の端を歪ませる。
このリーゼ、元々この店の常連なのだが、ウォルズとニコラが付き合いだしてからというものちょくちょく会話に口を挟んできていた。と言っても深い理由は無い。単に彼女の定席がウォルズと同じカウンター席であり、二人の会話、様子を間近で見られてちょっかいを出しやすかったからというだけである。
そんな彼女に何を言っても無駄と判断したウォルズは、大人しく席について食事を続ける。食べ終わったところで、隣で何食わぬ顔で食べているリーゼを横目に見る。
要らぬちょっかいをよく出してくるこの女性、職業は彫刻師らしく、見た目は非常に地味な印象である。不美人ということはないだろうが、化粧気は全く無く、言葉少なで表情もほとんど変わらない。服装も体型が隠れるようなもので目を引くようなところは無い。
……無いのだが。
「あら、私に移り気? 浮気は感心しないわねぇ」
視線に気付いたリーゼが呟いた言葉に、ウォルズは心臓を掴まれたような気分になる。発する言葉の中には、時として男を強く引き付ける妖艶さが含まれていた。その気は全く無いのだが、その声が耳に入った瞬間かなり惹きつけられてしまう。それを使われた悪戯のせいでニコラの機嫌を損ねたことは一度や二度ではない。
魔性の二文字がウォルズの脳裏に浮かぶ。ひょっとすると化粧によってさらに化ける逸材なのかもしれない、とも思うことがある。
もっとも、そんなことを気にしたところで大した気休めにはならなかった。むしろリーゼの悪戯で不機嫌だったニコラのことを思い出し、心配が膨らんだように思う。
それを知ってか知らずか、リーゼは残酷な可能性を指摘する。
「そういや騎士さん。知ってる? 『人攫い』の噂」
「……なに?」
「最近出るらしい。何人か、その関係で消えたって話」
「……おい、まさかニコラまでそうだってんじゃ!?」
「可能性の一つ。ただ否定もできない」
「――クッ」
突きつけられているのは、恐らく最悪の可能性。ゼロでないというところに苦々しさを感じる。握り拳を作るウォルズに、リーゼが何気なく呟く。
「気になるなら、調べればいい」
「え?」
「アンタは騎士。衛兵。市民を守るが仕事」
思い出したように目を見張り、顔を上げる。リーゼは相変わらず無表情だ。だがその目には真剣な光があるように見えた。
「どの道やれることはそのくらい」
「……それもそうだ」
実際のところは分からないが、今の自分に出来ることはとにかく調べること以外にないと確認する。調べれば何かしら分かるはずだ。人攫いと関係があろうが、なかろうが。
勘定を置いて、ウォルズは店を後にした。その背を見ながら、リーゼが僅かに口の端を歪める。
「愛する者のために奔走する……嫌いじゃないわね、そういうの」
彼女の官能的な響きを持つ呟きは、誰の耳に入ることなく虚空へと消えていった。
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