第2話:馴染の店の看板娘

 夜。勤務を終えて鎧と剣を置いたウォルズは、馴染みの食堂へと足を運んでいた。詰所と家を繋ぐ通りの半ばにあるその店は、仕事帰りに立ち寄るにはちょうどいい。いつものように、迷いなく足を動かしカウンター席の端に腰掛ける。タイミングよく手が伸びてきて、水入りのグラスが眼前に置かれる。

「ご注文は? って、いつもの通りで良いですかね」

「あぁ、それで」

「はーい。おまかせでー」

 すっかり顔馴染みとなった看板娘のニコラが、慣れた様子で奥の厨房へと引っ込んでいく。かと思えばすぐにジョッキと小皿を持ってウォルズの前に現れた。

「ごめんなさいねぇちょっと時間かかるからこれで繋いでてもらえます?」

「え? あぁ、構わないけど」

「ほーんとすみませんねぇーできるだけ急ぎますからぁー」

 いつになく良い笑顔でニコラはまた厨房へと消えていく。彼女に押し切られ呆然としていたウォルズは、ややあって首を傾げた。エールとつまみのナッツは、確かによく注文している。しかしそれはメインの食事を終えてからのものであり、食前に料理が出てくるまでの繋ぎとして頼んだことは無いはずだった。

 彼女の言動の意味が分からず、誰かに尋ねてみようかと店内を見回す。そしてすぐにやめておこうと思った。

 自分と同じように首を傾げている者、意地の悪い笑みを浮かべている者、面白くなさそうに明後日の方を向いている者、敵愾心ヘイト剥き出しにこちらを睨みつける者……何も知らなそうな人達はともかく、その他はどうにも嫌な予感しかしなかったからだ。

 様々な視線を背に感じつつ、チマチマとナッツを齧っていくウォルズ。いつもならそろそろ食事が運ばれてきても良い頃合いだが、まだ運ばれてくる気配はない。後からカウンターにやってきた女性客の注文の方が先に届いている始末である。珍しいことに、普段は表に出てこない女将がニコラに代わって給仕をしていた。

 女性の食事を横目で羨ましげに眺めることしばらく。微かにカチャカチャと鳴る食器の音に気付き、目を向ける。

 ようやく姿を現したニコラが、食事を乗せた盆を持ってゆっくりとこちらに向かっている。何故かえらく強張った表情、腕はプルプル震えているし足取りも慎重だ。見ているこっちまで緊張してくる。

「お、お待たせしましたぁ」

 ぎこちない笑みと共に、おぼつかない手つきで皿を出してきたニコラ。ウォルズは出された料理に目を向ける。そこにあるのは、彼がいつも注文しているものだった。メインは挽肉を成形して焼いたもの。強いこだわりがあるわけではない。単にメニューの中で一番安いからだ。

 その料理もまた、よく見てみると少し違和感があった。ただ、それを口にするのは躊躇われた。室内がしんと静まり返っている。そして何故か、自分に視線が集中しているのを感じる。

 余計な言動はしてはならない。直感がそう告げていた。

 フォークを手に取り、いつもより少し不格好で固い肉を切り分ける。一口大に切ったそれを突き刺し、口に運ぶ。食感と味のバランスがやはりいつもと違う感じがするが、納得して食べられる程度の誤差だった。

「ど、どう?」

「ん? 美味いよ」

「――ハァ、良かったぁ」

 緊張した面持ちのニコラが、ウォルズの返答を聞いた途端安堵したように溜息を洩らした。同時に部屋全体の緊張感も一気に緩む。目を向けてみれば、他の客の大半も何処か力が抜けたような様子だ。そっぽ向きや睨んでいた者は相変わらずのようだが。

 訳が分からず呆然としていたところに、カウンターの女性客が一言漏らす。

「一安心」

「ヒャイッ!? リ、リーゼさん!? 何を――ハッ」

 カウンターの女性――リーゼというらしい――の一言にニコラが慌てだす。ウォルズが不思議そうに眺めていると、その視線に気付いた彼女が弁明を始める。

「あ、いや、その、ね。おやっさんがそろそろ厨房もやってみるかって言うもんだから――」

「誤魔化し不要。男掴むにゃ胃袋掴め」

『ヘッ!?』

 言葉少なだが、リーゼの言葉は威力が強かった。驚きの声が重なり、ウォルズは思わずニコラに目を向ける。だが彼女と目があった瞬間、気恥ずかしさが湧き上がり反射的に顔を背けてしまう。それはニコラも同様だった。

 様子を見ていたリーゼが、呆れたように呟く。

「さっさとくっつけばいいのに」

「!? な、何を――」

「隠さなくていい。そもそも、互い以外には隠れてない」

『!?』

 あまり表に出すまいとしていたニコラへの好意を見透かされ、あまつさえ周囲に筒抜けであったことを暴露され、ウォルズの顔がますます赤くなる。

 リーゼに背を押され、盆で顔を隠しながらニコラが前に出てきた。何となく予想は出来ているが、確認のために尋ねてみる。

「……これ、君が作ったのか」

 ウォルズの問いに、ニコラは小さく頷いた。遠慮がちに、彼女が口を開く。

「あ、改めて聞くけど、味、どうだった? 正直なところ」

 素直なところ、可愛いと思った。同時にちょっとした悪戯心も芽生えてきた。

「んー、美味しかったよ。ちょっと焦げてたけど」

「やっ……え?」

「だから、美味しかったって。ちょっと塩味が強かったけど」

「ちょっと、なんですかさっきから後付けで入ってくる余計な一言は」

「何って、正直な感想を言ってるだけだけど。美味しかったよ。ちょっと――」

「もうまた!! ……あーそうですか、そんなにお気に召しませんでしたか。だったらもう良いです。安心してください。二度とこんな酔狂な真似は致しませんので」

「え、いやいや、冗談ですって。十分美味しかったですって」

「ふーんだ」

「すいません言い過ぎましたゴメンナサイ」

 頬を膨らませてそっぽを向くニコラに、何とか機嫌を直してもらおうと食い下がるウォルズ。店内の客達は思い思いの感情を胸にその痴話喧嘩を眺めていた。

「あらぁ随分お熱いこと。夫婦喧嘩は犬も食わないわよ?」

『誰が夫婦ですか!?』

 近くにいたリーゼが、妙にえんのある声で呟く。二人揃って否定したことが面白いのか、客達がやいのやいのと囃し立てる。わいわいと賑やかな様子を尻目に、リーゼはひっそりと立ち上がる。少し距離を置いて微笑ましげに見ていた女将のところに歩み寄り、数枚の硬貨を渡す。

「勘定」

「はいよ、丁度だね。いつもより早い上がりだねぇ」

「熱い。五月蠅い」

「とか言って、ほんとは羨ましいんじゃないのかい? アンタもいい歳だろ、そろそろ――」

「余計な世話」

 能面で端的に告げると、リーゼは人知れず店を出ていった。




 最終的に二人は、ウォルズがニコラを流行りの演劇へ連れて行くということで和解。以降より親しく付き合うようになった。傍目にも関係は良好で、そう遠からずこのまま結ばれるものと、誰もが信じて疑わなかった。

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