第6話

 クロが死んでしまったのは、それから数日も経たないうちの出来事だった。

 死因はわからないけれど、きっと餓死だと思う。「やっぱり、誰かに相談すべきだったんだ!」と叫んで、みーくんを責め立てる者や、ただ泣いてるだけの者、呆然と立ち尽くすだけの者。色んな奴らがいたが、僕は頭の中で、どうやってクロを食べてあげるべきなのだろう。そのことだけを考え始めていた。


 結局、クロは学校の裏山にそのまま埋めることになった。僕達だけの秘密として生かされ、僕達だけの秘密として死んでいく。ただ、僕達に翻弄されただけの可哀そうな生き物だと思った。

 でも、だからこそ、僕はきちんと食べてあげたかった。そうすることでクロと一体となり、僕達は僕達なりにきちんとクロを愛していたことを証明してあげたかった。

 だけれども、きっと僕が「クロを食べよう」と言っても誰も、うんとは言わないであろうことくらいは予想がついた。幼い僕でもそれくらいの分別はあった。

 だから、僕はこっそりとクロを食べることにした。


 あいを食べたときとは違う。きちんと準備をすることにした。

 まず、家にあった刃物をこっそりと持ち出す。包丁は流石に持ち出すとばれそうだったから、ハサミにした。裁縫のときに布を断つために母親が使っていた大きな断ちばさみだ。あのクロの細い身体くらいならきっとなんとかなるだろう。

 後は火が必要だ。これは父親が使っていた使い捨てのライターをゴミ箱から漁った。もうつかないだろうと思ったけれど、何度もスイッチを押し続ければほんの小さな火花くらいは出た。これで新聞紙に火をつけられれば、あとはどうにかなるだろう。

 僕は埋められたクロを掘り起こすために、夜中にこっそりと家を出た。

 裏山に辿り着くと僕はクロの墓をさっそく掘り起こした。昼間に埋められたばかりの湿った土は簡単に掘る事ができた。

 クロの痩せた肢体があらわになる。やはり、死因は餓死であったのだろうか。

 僕は少し迷ってハサミをクロの細い尻尾に当てた。そして、力を入れて断ち切る。

 意外にもあっさりと尻尾は断ち切られた。瞬間に嫌な汗がどくどくと噴き出し、心臓がばくばくと暴れ出す。想像以上の手ごたえのなさが、逆に僕を動揺させた。

 こんなにも簡単に肉体は断ち切れるのか。

 僕は細く小さな尻尾の方をつまみあげる。尻尾を選んだ事に確たる理由はない。子猫といえど、腕や足を断ち切るのは骨だろうと思ったからだ。僕の目的はクロを自分の一部に取り込むことなのだから、部位に特別なこだわりはない。

 あとは、土に塗れたこの尻尾を水道で洗って、火で焼けば――

 そんなことに思考を巡らせていたときだった。

「……何してんだよ、てめえ」

 僕は背後からかけられた声におののき、腰を抜かす。

 そこにはみーくんがいた。

 みーくんは僕と同じく懐中電灯を握っており、その光が真っ直ぐに僕の顔面を捉えていた。

「クロに、何してんだよ……」

 みーくんも僕が何故ここに居るのか全く理解が追いついていないようだった。だが、その瞳が僕がクロの尻尾を抱き、ハサミを持っている事に気付くと、表情がきつい物に変わっていく。

「クロを切ったのか?」

 僕は何も言う事ができず、ただ、座り込んでいる事しか出来なかった。色々な事を説明しなければならないと思った。僕はクロのためにクロを食べようとしているんだ。

 しかし、うまく言葉を出て来ない。僕はいつも口下手で肝心なことを何も言う事ができない。

「おまえが、クロを殺したのか」

「……違う!」

 それだけははっきりと否定した。僕だってクロを殺したいと思っていた訳ではない。死んでしまったから食べようとしただけだ。

 本当にそれだけだよな。

 一瞬、ほんの一瞬、そんな思いが浮かんで、次の瞬間、僕は地面に転がされていた。

 みーくんに馬乗りになられて殴られたのだ。

「てめえが殺したんだろ!」

 持っていた懐中電灯が吹っ飛び、辺りは再び闇に包まれる。みーくんの表情は見えない。

「違う、違うよ!」

 僕は必死に否定する。

「じゃあ、なんだっててんだ! なんでハサミなんてもってるんだ!」

 みーくんは僕の胸倉を掴んで捲し立てる。

「食べようとしたんだ」

「は?」

 暗闇の中でみーくんの気の抜けた様な声だけが響く。

「僕はクロを食べたかったんだ。僕はクロを愛していたから」

 気が付くと、僕の胸倉を掴んでいた手は離れている。

「死んでしまったものを愛するには、食べるしかないんだよ」

 暗闇の中でみーくんは幽霊みたいに、いつの間にか消えてしまった様に思えた。

「僕はクロを本当に愛していたんだ」

 真っ暗な世界で一人、僕はクロの尻尾をぎゅっと握りしめていた。

「愛してたんだよ」


 一体、どれくらいの間、僕はそこで倒れていたのだろう。気がついた時にはみーくんはもう居なかった。ともかく、目的は果たさなくてはならない。白み始めた空に目をやりながら、僕はクロを食べる準備をする。尻尾以外の部分は再び埋めた。僕はゆっくりと手を合わせた。

 細く小さな尻尾を握りしめ、近所の公園に向かい、そこの水道で土を洗い流す。

 具体的にどう調理して食べるのか、そこまでは考えていなかったが、流石に毛は食べられないだろうと思う。持っていたハサミでできる限り毛を切り落とす。持っていたライターでなんとか火をおこす事に成功するが、すごく時間がかかってしまった。早くしないと誰かに見つかってしまう。この辺りは農家が多いから、朝早い人は多い。

 小さな火で尻尾の肉を炙る。肉と言ってもほとんど筋の様なものしかなく、果たしてきちんと食べられる部位であるのかははなはだ怪しいところではあったが、火にあてると肉が焼ける独特の臭いが辺りに漂った。

 表面の色が茶色く変わり、どことなく食べられそうな雰囲気になると、僕はすぐにそれにかじりついた。

 不味い。

 何の味もしなければ、口の中に残る固い筋の様な感触しかない。決して好んで食べる様なものではない。

 だが、僕はそれを口の中できちんと咀嚼する。そうする事がきちんと愛することの様に思えた。肉がぐにゃぐにゃとした食感を僕の歯に返し、舌の上で嫌な味を躍らせる。でも、それを真っ直ぐに受け止めることが重要なんじゃないかという気がした。

 僕は肉を全てきちんと飲み込んだ。途端、猛烈な吐き気が襲ってくる。慌てて水道の方へ行き、水を喉に流し込む。そうする事でなんとか吐き気を抑え、クロをきちんと胃の奥へと押し込んだ。

 流石に尻尾の骨まではうまく食べる事ができず、公園の隅の方へ再び埋めた。僕はまた黙って手を合わせた。

 帰ろう。早く戻らなければ両親に見つかってしまう。両親が朝の畑仕事から戻ってくる前に自分の部屋に帰りつかなくては。

 

 自室に戻る事に成功し、なんとか両親にはばれずに済んだ。

 今更ながらに不味い事をしてしまったのではないかという思いが鎌首をもたげる。みーくんに見られたのは失敗だった。もっと周囲を警戒しておくべきだった。しかし、今となっては後の祭りだ。どうしようもない。また、これから学校であって、言い訳をしなくてはならない。

「クロを愛せたのね」

 また、あいは現れて言った。

「うん」

「よかったね」

「……うん」

 僕は生返事をすることしか出来なかった。

 僕は本当は何がしたかったのだろう。僕の本当の気持ちはどこにあったのだろう。そんな考えがよぎってしまう時点で、僕は自身の思いを、自分で理解できていない事は明白だった。

 ともかく、クロを食べなくてはならない、なぜなら、僕はクロを愛していたから。それだけの話ではないのだろうか。

 僕はあいをじっと見つめる。

 あいは可愛らしい八重歯をちろりと見せる。

 僕は一体何を思って、クロを食べたのだろう。

 自分で自分がわからなくなりつつあった。


 その日、僕は暴れ出す心臓を抑えながら学校へと向かった。僕はみーくんに散々に罵倒され、再び昨日の様に暴力を振るわれる事も覚悟していたから、教室に入っていったとき、みんなが僕の方をちらりと見て、すぐに目線を逸らしただけで、誰も何も言ってこなかったときは何が起こっているのだろうと思った。

 そんな状態は一日中続いた。みーくんはもちろん、他のクラスメイトも誰ひとりとして、僕に話しかけてこようとはしなかった。こんな事は初めてのことだった。

 結論を言えば、みーくんが僕がした行動をクラスメイトに伝えたことで、誰も僕に近寄れなくなったのだという事なのだと思う。いじめというのには少し違った。皆が悪意を持って、僕を仲間外れにしようしたというよりは、「死んだ猫を食べる」という行動をとったという僕に、どう接していいのか皆が解らなくなってしまったというのが、真相のようだった。

 僕は何度か抗弁とも言い訳ともつかない様な物を皆にとろうとしたが、皆曖昧に頷くだけで奇妙な距離感は拭い去る事は出来なかった。

 僕はクラスで浮いた存在となった。そんな状態は小学校を卒業するまで続いた。両親は僕のそんな状態を察して、何度か学校とも話をしてくれたようだったが、僕のクラスでの立場が回復する事はなかった。僕自身が口下手でうまく皆に合わせられなかった事もあったし、僕の噂が事実である以上、はっきりと否定することもできなかった。流石に両親には心配をかけないために、噂は事実無根だと言ったのだが。

 結局、僕はほとんど誰とも関わることも無いまま、教室の隅っこで小学校を卒業した。

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