第13話 要求
櫻田洋介(さくらだようすけ)は苛立っていた。
日本政府からの返答がなかったからだ。
警察からこそ、受け入れられないと要求があったが自分は警察に要求したのではない。日本政府に要求したのだ。
百兆円とと法外な要求に思えるかもしれないが、ひとつの人工心臓、ひとりの命につき、わずかに二百万だ。それにいまの国家予算からこれだけの金額を取り上げても支障がないと判断のうえでのことだ。
政府はもっと合理的にするべきところが無数にある。公務員の仕事のほとんどが二、三時間でできることを一日かけてやるようなことばかりだ。そして、定年退職を延ばせるだけのばし、それでも飽き足らずに天下りを繰り返す。
普段は何事も金で解決しようとする国が、なにゆえ支払いを拒否しているのか。
櫻田は納得いかなかった。私欲のために金を求めているわけではない。人類全体のために自分たちが立ち上がったのだ。
櫻田を代表とするクオルは手に入れた身代金で貧困地帯を救おうと思っていた。
だいたい、これだけ技術が発達した現代において、飢えに苦しんでいる人間がいるとのはおかしい。食料が足りないのではない。食料は余りにあまっているのだ。いまでは飢えで苦しむ人間よりも、肥満に苦しむ人間のほうが多い始末だ。
食料の分配さえうまくやれば、地球上から飢えは消えてなくなる。
なのに、どうして誰もやらないのだろうか。櫻田は憤怒にかられた。
誰もやらないのであれば、自分がやるしかない。
大学時代からボランティア活動にいそしんでいた仲間たちとともに櫻田はクオルを結成した。初めこそ現地での奉仕活動に従事していたが、自分たちの力でできることは限られていた。
企業からの献金もあったが、大量消費社会を否定する櫻田の考えを知った企業は逃げるように離れていった。櫻田の意見に同意するとことは、物を買うなとことになると思ったのだ。
なにも櫻田は物を買うなといっているのではない。必要な物を必要な人間に与えよと訴えているのだ。もう我々はじゅうぶん過ぎるほどすべてを手に入れている。なのに、本当に必要な人間のもとには、全くといっていいほど、行き届いていない。
自分だったら、世界を変えることができる。
俺の通りにやれば、本当の意味で世界を平和にできる。
どうしたらいいかはわかっているのに、行動に移せないのがむずがゆかった。
そのとき、メンバーの宮下達也(みやしたたつや)がこの計画を持ちかけてきたのだ。
純然なる目的のためとはいえ、人を傷つけることは望んでいない。しかし、人間ではなく人工心臓を人質として選べば、人を傷つけるリスクは減るだろう。
だいたい、櫻田は人工心臓ともの自体が嫌いだった。
人にはあらかじめ、与えられた命があるのだ。もちろん、体調が悪ければ自分だって病院に行くが、機械を体に入れてまで延命しようとは思わない。寿命を受けいれるとのも、また人の運命なのだ。
そんな機械を製造する暇があったら、もっと苦しんでいる人間をなんとかしてあげてほしい。
「できたぞ」
考えごとをしていた櫻田のもとに宮下と佐渡亜沙美(さわたりあさみ)がやってくる。
宮下の手には数丁のレーザー銃があった。
手持ちの武器だけでは心もとないと、宮下の提案で工場の3Dプリンターを使って作ったのだ。
便利な世の中になったものだ。自分はよくわからないが、データと材料さえあればどこでも武器を作成することができる。
幸い材料はこの工場にそろっており、銃のデータはそっちの方面に詳しい宮下が持ち込んでいた。
これは革命なのだ。
人を傷つける気はないが武器は多いにこしたことはない。
櫻田が銃を手に取る。
「気をつけてね」亜沙美が櫻田を気遣う。
「ああ」櫻田が無愛想にこたえる。
これがレーザー銃か。噂はよく耳にするが実際に手にしてみたのは初めてだ。
「撃ってみてもいいか?」
「ああ」宮下がうなずく。
満足げに銃を構えた櫻田が壁に向かって引き金を引いた。
銃の先端から赤いレーザーが照射された。
「熱っ!」櫻田が思わず声をあげた。
櫻田の手から銃がこぼれ落ちる。
「洋介くん!」亜沙美があわてて駆け寄る。
「手が焼けこげるところだったぞ! ちゃんと試してから渡せ!」
「大丈夫?」亜沙美が櫻田の手を確認する。櫻田の手は真っ赤に染まっていた。
櫻田が亜沙美を振り払う。「アン。名前で呼ぶな」
「……ゴメンなさい。……ジャック(・・・・)」
櫻田が視線を落とすと、手にしていた銃の銃身は溶けきっていた。
失敗作だ。これだから手製のレーザー銃は信用できないのだ。いつだかのニュースでは銃を使った犯罪の被害者よりも、銃を作ることに失敗して負傷した人間の数のほうが多いときいた。
「わるいわるい。今度は気をつけるわ」宮下がひょうひょうと告げる。
宮下に悪びれたようすは見られなかった。大学のボランティアサークルで知り合って以来、もうすぐ十年が経とうとするが、櫻田は宮下のことを好きにはなれなかった。自分が生真面目すぎるのかもしれないが、調子のいいことばかり宮下に耐えられないのだ。
「まだ連絡はないのか」櫻田が熱を持った右手をさする。
「まだみたいだねぇ」宮下がため息をつく。「お役所仕事だからな。たらい回しにでもなってるんじゃないか」
宮下の返答が櫻田のかんにさわる。のんきなもんだ。まるで自分には関係ないかのようだ。
「そんなことより、人質は大丈夫なのか?」
「ああ」櫻田がこたえる。「問題ない。研究所にいた二十八名。全員無事だ」
「どうするんだよ。そいつら。二十八人もいらないだろう」
その通りだ。櫻田は困惑した。できるだけ人のいない時間帯とことで、金曜日の六時を狙ったのだが二十人近くも研究員が残っていたのだ。普段であればこの時間帯は人がいなくなると情報を得ていたのに、きのうに限って残業をしていたらしい。まったく、日本人は働き過ぎだ。
「……女性だけでも解放してあげたら?」亜沙美がつぶやく。
「いや。それはダメだ」櫻田は首をふった。
それに関しては櫻田のなかで答えのでたことだ。研究員、警備員、全員を閉じ込めたあと、櫻田は女性を解放しようかと思ったが、思いとどまった。解放したらなにかまずいことをしゃべられるかもしれないと思ったのだ。
顔がバレないようマスク代わりにシールドを張っていたが、なにかしら自分たちの素性のヒントになるようなことに気づかれている可能性がある。歩き方や仕草など自分たちが気づかないところから素性がバレたとのはよくきく話だ。
支障がない以上、このままやり過ごすのがベストだ。
「どれぐらい長引くのかしら……」亜沙美が不安げにつぶやいた。
「心配しなくても大丈夫だよ。すぐに連絡がくるさ。そろそろ人工心臓が届かないとクレームが殺到しているはずだ。俺たちからの要求は無視できても、延命を希望している金持ちたちからの声に対しては日本政府も強情になれない。延命を希望している金持ちのほとんどが強力な有権者だからね。数は力だ。すぐに次の段階へ移行できる」
櫻田は説明したが、亜沙美はどこか上の空だった。
きっと亜沙美の心は不安で押し潰されそうになっているのだろう。
十年近く恋人としても付き合っているのだ。亜沙美のことは自分が一番よく知っている。やはり、亜沙美は置いてきたほうがよかったのかもしれないな。崇高なる目的のためとはいえ、強引な手段にでてしまった。心優しい亜沙美には耐えられないものがあるだろう。
工場を占拠した櫻田は宮下に命じて日本政府にメールをしたが反応はなかった。どうやら、どこかしらで黙殺されてしまったらしい。まぁ、反応がないような内容をいまは使われなくなったメールで送ったのだから、無理もない。日本政府が反応をしなかった。と既成事実のためにわざとわかりにくい内容を送ったのだ。世間が日本政府を叩く材料を作るために。
大きな組織や大企業は毎日のようになにかしら脅迫を受けているのだ。まして、日本政府ぐらいになると、日本だけでなく、世界中からこのようなたぐいの脅迫を受けているだろう。
櫻田の予想通り、世のなかの人間が気づいたのは工場から人工心臓が発送されないことに気づいてからだった。
その頃合いを見計らって、櫻田は人質のようすを撮影した映像とともに声明文を送りつけたのだ。
富裕層の延命治療よりも、生きたくても生きられない貧困層のことをもっと考えるべきである。
日本政府の代わりに我々が世のなかのためになることをするから金をよこせと。
櫻田の視線が、そばで流れていた中継映像を捕らえる。そこでは工場のようすが写されていた。
大挙しておしかけてきたマスコミの映像だろう。
櫻田は笑みをこぼした。騒げばさわぐほど、日本政府は我々に金を払わざるをえなくなるだろう。なにせ、この映像を見ている人間のなかには、自分の命を捕らえられている人間もいるのだ。そのなかには日本政府で働いている人も少なくないはずだ。
そのとき、廊下から足音がきこえてきた。
なにか進展があったのだろうか。
視線を足音のほうへ向けると、勢いよくドアが開いた。
部屋に飛び込んできた青年がシールドを外す。
遠藤(えんどう)しげる。櫻田の大学時代の後輩だ。
「どうした?」
宮下を遮るように櫻田がたずねる。「連絡があったのか」
息をはずませながら遠藤がうなずく。どうやら、全速力で走ってきたため、声がでないらしい。
やっと次のステージへ進める。櫻田は笑みをこぼした。「身代金を払うと言ったか?」
「い、いえ。それが……」遠藤が言葉につまる。
やはり、抵抗してきたか。日本政府はひとりにつき、二百万円も払えないのか。しかし、これからが交渉の見せ所だ。身代金を出し渋るケチな日本政府のようすを世界中の人間にみせつけてやるべきだ。ほくそ笑んでいた櫻田に遠藤が告げた。
「……アメリカ大統領から連絡がきました」
銀河万世 鳴神蒼龍 @nagamisouryuu
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