第12話 人質
まさか、こんなことになるなんて。
笹原真紀(ささはらまき)は困惑していた。
世界でただひとつ、人工心臓を製造できるニューライフ社の工場。ここのセキュリティは万全だった。一昔前こそ、ものづくりの国、日本は沈んだと思われていたが、日本が単独で宇宙を目指すようになってから、再び太陽は昇り始めた。
低賃金で作業を行ってくれる途上国へと仕事が散ってしまい、廃れていた日本の工場は、最先端の技術を駆使できる場所として見事に復活した。技術を盗んでもそれを組み立てる技術は日本にしかないはずだ。日本の技術者たちはそう勝ち誇った。
しかし、それは思い違いだった。
技術の進歩は労働者をも駆逐した。
機械に製造させるよりもコストが安い。労働者を雇えば国から補助金がもらえる。
それだけが低賃金の労働者が必要とされた理由だった。
大きな工場は3Dプリンターや原材料自体を再合成させる技術の進歩と反比例するかのように衰退していき、いまでは、研究所そばのスペースに建てられた工場がわずかにあるだけだった。
人手もコストも削減でき、ネットを遮断した工場のパソコンに直接データを移送しているため、技術の漏洩もない。
気がつけば、わずかに残っていた日本の工場は消えかかろうとしていた。
しかし、人工心臓だけは研究所のそばにあるような簡単な工場で製造するわけにはいかない。
人の命がかかっているのだ。
この工場は日本の、いや、世界に誇る工場なのだ。
真紀があたりを見回す。研究室の一室には真紀を初めとした研究員が押し込められていた。研究員たちの表情にはあからさまに疲労のいろが見えたが、特に外傷は見当たらなかった。
レーザー銃を手に押し入ったクオルとなのる人間たちは真紀たちを手荒に扱うことはなく、六時間おきに食事と水を提供してくれた。希望すればトイレへだって行ける。きわめて紳士的だといえた。
しかし、外部との連絡は完全に遮断されていた。
工場のテロ対策は万全を期していた。しかし、それがあだとなり、いまではこちらから外へ連絡することはできない状態となってしまった。まさか、テロのための対策がテロに利用されるとは対策した人間も思っていなかっただろう。
留美は大丈夫だろうか。ひとりで家に取り残され、不安に襲われてないだろうか。留美のことを考えていると真紀の体が重くなった。不安からではない。体内の血液の流れがにぶくなっているのだ。
真紀の血液は産まれつきにぶく、流れにくかった。それを薬で流れやすくしているのだ。
多めに持ち歩いていた薬も残りひとつとなっていた。
「大丈夫?」
同僚の松田直也(まつだなおや)が話しかけてくる。
「うん」真紀はうなずいた。
この状況で大丈夫じゃないなんて、いえないだろう。
「きっともう少しで解放されるよ」涼しげな表情で松田は告げる。
この状況で、どうしてこうもひょうひょうとしていられるのだろう。真紀は怪訝そうに松田のようすを見たが、すぐにその原因に行き当たった。
松田は真紀にいいところを見せようとしているのだ。
これは真紀の思い違いでもなんでもない。実際、何度か松田にアプローチをかけられたことがある。気持ちはありがたかったが、いかにも軽薄そうな松田の誘いに乗る気にはならなかった。
研究に集中したかったし、なによりいまの自分にとっては留美を育てることで精一杯だった。
廊下から激しい足音がきこえてきた。
室内に緊張が走る。
真紀が耳をすました。迅速に対応していた彼らが走っているなんて初めてだ。
しかし、足音は部屋の前をそのまま通り過ぎてしまった。
なんだろう。なにかあったのだろうか。
松田の表情に不安のいろが浮かんでいる。口では気にしていない素振りをみせても、やはり本心はきがきでないのだ。
血の流れが重くなったのを感じた。
普段はしっかりと薬を呑んでいるのでこんなに体が重たく感じるのは久しぶりだ。人質にされていると緊張感もあるのかもしれない。
あと、何時間もつだろうか……。ここの人間たちは真紀の症状について詳しくは知らない。薬さえ呑んでいれば、生活に支障はないため、話していなかったのだ。突然、打ち明けられてみんなも驚いたことだろう。できるだけ、心配をかけないようにしなくては。これ以上、不安をあおるわけにもいかない。
そう戸惑いながらも真紀は最後の薬を呑んだ。
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