第9話 リサイクル
陽も沈まない時間から安居酒屋で胃にビールを流し込んでいた岩田武(いわたたけし)はテレビから流れてくるニュースに心を奪われた。
人工心臓を製造しているニューライフ社の工場がクオルと集団に占拠されたとのだ。
しかも、クオルは日本政府に百兆円を要求しているのだと。
百兆円。どれだけの金額なのかもわからない額だ。それだけの金があれば、一体、なにが買えるのだろうか。少なくとも、残りの人生、金のために働かなくてすむことだけは間違いない。いや、金では手に入らないものですら……、別れた妻と娘の心すら取り戻せるかもしれない。
岩田の仕事は死んだ人間の体内に埋め込まれた人工心臓を回収することだった。
人工心臓は非常に高価なため、ほとんどの人間は賃貸(リース)契約をしている。また、一部の購入者も死んだあとは、ニューライフ社に買い取ってもらうのがほとんどだ。
死んだ人間の人工心臓を形見としてとっておこうなんて人間はまれだし、なにより、人工心臓を体内に埋め込んだままだと、遺体を火葬できず、葬式の手はずが進まない。
そのため、人工心臓を使用している人間が死んだあと、できるだけすぐに岩田たちが回収しているのだ。
自分がどうしてこの仕事を始めたのかは覚えていない。働いていた会社をリストラされたあと、派遣会社から紹介された日雇いの仕事を次からつぎへとこなしているうちに気がついたら、この仕事を任されるようになっていた。
遺体を扱う仕事だとことで忌み嫌われることも多かったが、別段、給料が高いとわけではなかった。
ニューライフ社のようすがテレビ上に浮かびあがった。
武装した警察が建物を取り囲んでいる。これでは、とてもじゃないが犯人たちは逃げ切れないだろう。
いつも思うのだが、逃亡犯はどこへ逃げるつもりなんだろう。どうあがいたって、日本は島国なのだ。日本からはどうやっても逃げ切れないだろう。
人工心臓を待ち望んでいる人間はたまったものではないだろうな。グラスにビールをそそぎながら岩田が思った。人工心臓が普及し始めてからは本当に必要な人間だけではなく、延命措置として人工心臓を体内に埋め込む人間も増えてきた。
命はいつも、裕福な人間へ優先的に与えられるのだ。
きょう回収した人工心臓も次の移植者へ与えられるべく、岩田は引き渡しポイントへ向かったのだが、相手が現れることはなかった。迅速な対応が要求されるなか、こんなことは初めてだった。おそらく事件が影響しているのだろう。
そのため、回収した人工心臓は車の荷台に眠っていた。本物の心臓だったら、一大事だったろうが、人工心臓なので腐る心配もない。
事件が解決するまで、回収の指示もこないだろう。どうしたもんか。ビールを呑みこんだ岩田の脳裏によこしまな考えがよぎった。
これだけの事件が起きているなか、本当に移植を待っている人間はきがきでないだろう。多少、強引なやり方でも人工心臓を手に入れたいと思っているはずだ。
なにせ、命がかかっているのだから。
この仕事を始める前は知らなかったが、人工心臓が高値で闇ルートに出回っているらしい。
普段、見えないような世界でも近くにいると、見えてくるようになることが多々あった。
工場が占拠されたいまでは、かなりの値段まで高騰していることだろう。
人工心臓は工場でリセットをかけないと使用できないことになっているのだが、そこは闇がなんとかしてくれるだろう。それに、自分が闇に人工心臓を売りつけることで苦しんでいる人間が助かるのだ。
急いだ方がいい。このドタバタのなか、人工心臓を紛失しても、いくらでも言い訳できる。
残りのビールを一気に飲み干した岩田は立ち上がった。
一昔前だったら、飲酒運転で捕まることもあっただろうが、自動運転機能が普及したいまではそんな心配もない。
時は金なりだ。自然と駆け足となった武は居酒屋をあとにした。
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