第7話 白い壁
工場の人間がひとりも帰ってきていないなんておかしい。
車を走らせていた榎戸はただならぬ不安に襲われていた。アクセルを踏む足に力が入る。
「ここをまっすぐ行ったところです」
助手席の銀河の指示に従っていると、真正面に白い壁が見えてきた。
あそこか。
バックミラーで後部座席の留美を確認する。留美は睨むように工場を見ていた。
榎戸としては留美を主婦たちに預けたかったが、どうしてもついて来るといってきかなかった。
それに、セキュリティの厳しい工場への入り方は留美しか知らない。
セキュリティ保護のため、社宅にいた主婦たちは工場へ行くことすら禁止されており、子供である留美だけが唯一、あの場で工場のなかに入ったことのある存在だった。
ざっと数えただけで、帰ってきていないと人間は十人を越えていた。じゅうぶんに事件だ。
榎戸はすぐさま署に連絡をとろうとしたが、どうわけか連絡がつかなかった。
こんなときに限って。まさか、くだらない意地で俺からの連絡を避けているわけではないだろうな。
そう思いながらも社宅の主婦たちに警察に連絡するよう告げた榎戸は工場に急行したのだ。
榎戸が車から降りる。
あたりは静寂に包まれていた。
降りてきた留美に榎戸がたずねる。「いつもこんなに静かなのか?」
留美は榎戸を無視して入り口へ駆けて行った。
「待て!」
しかし、留美は榎戸の声を無視して駆けて行った。
「この壁は防音も兼ねているのかもしれませんね」銀河がつぶやく。「昔と違って、最近の建物は防音が基本ですからね。まして、工場などでは近隣からの騒音対策も兼ねて防音壁を使っているのでしょう」
「かもな」榎戸はあいづちを打った。しかし、あまりにも静かだ。まるで、なにかが建物のなかで身をひそめているような。息を殺して、なにかを待っているかのように……。
一瞬、あたりに閃光が走った。
なんだ? 榎戸の耳に叫び声がきこえた。
「留美ちゃん!」
駆けだした銀河の先に榎戸が視線を送る。
そこには留美が倒れていた。
なにが起こったのだ。
留美を抱きかかえた銀河が転がるように入り口から離れた。
「大丈夫か?」
あたりを伺いながら銀河に駆け寄る。
銀河の腕のなかでは血を流した留美の姿があった。
死んでる。
一瞬、そう思ったがむせはじめた留美を見て、榎戸はほっと胸を撫でおろした。
どうやら、留美を狙ったレーザー光線は留美の心臓ではなく、肩を襲ったらしい。
レーザー光線は正確に心臓を捉えることができるのに、どうして肩を狙ったのだろうか。留美が小さかったから誤作動したのか? いや。おそらく威嚇として放ったのだろう。
「病院へ行くぞ!」
榎戸が怒鳴ったとき、サイレンが聞こえてきた。
振り返ると、猛スピードで向かってくるパトカーが見えた。
それも、一台や二台ではない。
署に待機していたパトカーがすべてやってきたのではないかと思えるほどの数だ。
榎戸の車の近くにパトカーが次々と停まる。これでは、車を動かせない。
「来いっ!」
榎戸がパトカーに向かって走りだした。
留美を抱いた銀河もあとに続く。
「榎戸さん!」警官がパトカーから降りる。「どうしてここにいるんですか?」
話はあとだ。いまは留美を病院に連れて行くことの方が先だ。
「借りるぞ!」
「ちょっと!」
警官を無視して榎戸がパトカーの運転席に乗り込む。
榎戸に抵抗しようとしていた警官も血だらけの少女を抱いた銀河が後部座席に乗り込んだのに気づいて黙り込んだ。
榎戸はサイレンが鳴り続くパトカーをユーターンさせて、来た道を戻っていく。
工場に向かっている捜査車両のあとに、数台のテレビ局の取材車も見えた。
一体、どうなってるんだ。あの工場でなにが起こっているんだ。榎戸は不安になりながらも、アクセルに力を入れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます