第6話 待ちぼうけ
中西に促された榎戸が銀河とともに玄関へ向かう。そこには、七、八歳の少女の姿があった。
「銀河さん!」
銀河の顔を見るなり少女が泣きそうな表情で叫ぶ。
「どうしたんだい? 留美ちゃん」
留美と呼ばれた少女は切羽詰まった表情で口を開いた。「……おかあさんが、……帰ってこないの」
「帰ってこない?」
銀河の言葉に留美がうなずく。
「いつから帰ってこないんだい?」
銀河をさえぎるように榎戸がきりだした。銀河には悪いが、これは警察の仕事だ。
榎戸の存在に戸惑いながらも留美が説明し始める。銀河と一緒にいるとことで榎戸への警戒を解いたのだろう。
「……きのうの夜」
「じゃあ、最後にお母さんを見たのは」
「えっと」留美が言葉を選びながら慎重にこたえる。「……きのうの朝。……仕事に行く前に」
「お父さんは?」
静かに首をふった銀河が榎戸を諌める。
しまった。榎戸は自分の過ちに気づいた。留美に父親はいないのだ。
「携帯には連絡してみたのかい?」
銀河の質問に留美がうなずく。「携帯にも工場にも電話したけど誰もでなくて……」
そのとき、留美のお腹が大きく鳴った。
留美が恥ずかしそうに腹部をおさえる。
おそらく、母親がいなくなってから、なにも食べていないのだろう。
「中西さん。ご飯の用意ってできてますか?」後方からようすをうかがっていた中西に銀河がたずねる。
「ええ」中西がこたえた。「ちょうどいま、できたところです」
榎戸はちゃぶ台でご飯を食べている留美を見ていた。
初めこそ食事に手をつけなかった留美だったが、銀河に促され口をつけると、我慢していた反動からか、一気に口の中へ食事を掻き込んだ。
むせた留美に銀河が声をかける。
「そんなにあわてなくても大丈夫だよ」
喉に詰まったご飯をみそ汁で胃袋に押し流すと、留美は銀河に向かって口を開いた。
「……お母さん、大丈夫かなぁ」
留美の瞳に涙が浮かぶ。
泣いている少女を質問攻めにするのは酷だが、きかないわけにはいくまい。榎戸が留美にたずねる。「いままで、こんなことはなかったのか?」
うなずいた留美の瞳から表面張力の限界を越えた涙がこぼれた。「いつも七時には家に帰ってたし、連絡がつかないなんてことはなかった。それに、……工場にも連絡がつかないなんて……」留美が言葉をしぼりだす。「おかあさん、病気なのに……」
「食べ終わったら家に行ってみようか」銀河が語りかける。「今頃、帰ってきてるかもしれないよ」
留美は静かにうなずいた。
食事を終えた留美は榎戸の車の後部座席で眠り込んでいた。
「……一晩中、お母さんを待っていたんですかね」
助手席の銀河がつぶやいた。
榎戸は留美の家に向かっていた。車に乗り込む前、事情を署に説明したが、榎戸の方で対応するようにと冷たい言葉が返ってきただけだった。まぁ、一晩帰ってこなかっただけでは警察は動いてくれないだろう。無理もない。けれど、親のいなくなった子供をほうっておくわけにはいかない。
「この娘もあれか?」榎戸がおそるおそるたずねる。「……その、……集会に来てた娘なのか?」
銀河が笑みをこぼす。「そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ。ただわたしの話をききに集まってるだけですから。お金もとりませんし、なにかを売りつけたりもしません。落語みたいなものですよ」
「落語?」
「ええ。わたしの話を楽しんでもらう。ただ、それだけです。わたしの話を聞いて楽しんでいただいて少しでも生きるのが楽になれば。そう思って話しているだけです」
話だけきくと、うさんくさいが……。榎戸がチラリとバックミラーを確認する。
榎戸の荒っぽい運転にも関わらず、留美はぐっすりと眠っているようだった。
満腹になって眠気に襲われたのか。銀河に会えて安心したのか。おそらく後者だろう。
そこまで銀河を信じきっているのか。
「たまに集会に来てたんですよ」
銀河の言葉に榎戸が首を傾げる。
「留美ちゃんのお母さんです。留美ちゃんのお母さん、真紀(まき)さんは近くの工場に勤めているんですよ」
「工場?」
「ニューライフ。人工心臓を作っている工場です」
「ニューライフ?」榎戸は驚いた。「ニューライフの工場がここにあるのか? けれど、人工心臓は宇宙で作っているんじゃなかったのか?」
「チップの作成は宇宙でも、組み立てまで宇宙でやる必要はないですよ」
そうか。榎戸は納得した。確かに組み立てまで宇宙でやったら輸送費もばかにならないだろう。
なぜ、莫大な費用をかけてまで宇宙へ行かなくてはならないのか。長年、宇宙開発に反対していた人たちを黙らせる理由が見つかった。宇宙で作成されたチップは重力に捉われないため、完全に均等なチップになる。そのチップは地球上で作成するどんなチップよりも格段に高性能なのだ。ゆえに技術開発は宇宙で行なわれるようになり、最先端の機械には宇宙で作成されたチップが使用されるようになった。
そして、人工心臓に宇宙で作成されたチップが搭載されるようになってから、不老不死を求める人間たちの欲望のまま宇宙開発はさらに加速することとなった。いまではチップ作成以外にもさまざまな実験が行なわれているらしい。そこまでして死にたくないものなのか。榎戸はため息をついた。
「けれど、どうしてこんなへんぴな場所で?」無意識のうちに街の悪口をいってしまったことを榎戸は恥じたが、銀河は気にしていないようすだった。
「水源が確保されていたからですよ」
「水源?」
「ええ。人工心臓の組み立てには大量の蒸留水が必要なんです。そのためダムが整備されていたこの地が選ばれたんです。真紀さんはそこで働きながら、たまに集会に来てはボランティアで集まった人たちの診断をしていたんです」
「診断?」
「真紀さんは医師としての資格もありますからね。まだ高価で人工心臓自体は富裕層にしかいき渡っていませんが、一日も早く望んだ人、全員が手に入れられるように研究しているんですよ」
「感心なことだな。休みの日にまで働くなんて」
「榎戸さんだってそうじゃないですか?」
「俺?」
「いまだって、こうやって留美ちゃんのために働いてくれて」
「俺は勤務中だよ。それに、署までの道中だからな」
榎戸がそうと銀河は笑い声をあげた。
「もうすぐですよ」
「どれも同じかたちだな」
あたりを見回した榎戸がつぶやく。
留美はニューライフが提供している社宅に住んでいた。社宅は無機質な小ぶりの一軒家で、全く同じ建物が無数に並んでいた。おそらく、ここで建てられた物ではなく、どこかしらで作られた量産品がここへ運ばれたのだろう。
これでは酔っ払って帰ってきたときに間違えてしまう。そう思う榎戸を尻目に留美は自分の家へと駆けて行った。
まぁ、さすがに自分の家は間違わないか。
留美がドアの取手を握ると、留美の手に反応したドアがロックを解除した。
「どうぞ」留美がドアを開けながら榎戸たちに声をかける。
榎戸が促されるままになかに入ると、玄関に犬が駆けてきた。
「おおぉ!」榎戸が銀河の背後へ隠れる。
「どうしたんですか?」
「犬は苦手なんだ」
銀河が苦笑する。「本物じゃないですよ」
「おかあさん、帰ってきたぁ?」
「帰ってない」言葉を発した犬が首をふる。
榎戸は納得した。犬型ロボットか。これなら人を襲うことはない。最近の犬型ロボットは本当によくできている。傍目には本物かロボットかわからなくなってしまった。
「電話してみて」
留美の声に反応した犬型ロボットの口からダイヤル音がきこえてくる。
ハウス使用か。犬型ロボットのようすを見た榎戸が思う。最近の家はすべての家電システムがハウスによってつながっている。
住居者がハウスに向かって命令すれば、電話、エアコン、カーテンやドアの開け閉めまで、すべてやってくれるのだ。そして、犬型ロボットにロードされたハウスはペットにもなる。
「つながらないよ」犬がこたえる。
どうやら、真紀は電話の電源を切っているか、電波のつながらない場所にいるらしい。
「最後に電波を確認できたのはいつだ?」
榎戸は犬にたずねたが、犬が榎戸にこたえることはなかった。
「留美ちゃん、きいてもらえかな?」
留美にしか反応しないように設定しているのか。ため息をついた榎戸の耳に留美にこたえたハウスの声がきこえてきた。
「最後に確認できたのは、きのうの夕方、工場だね」
きのうの夕方、工場でなにかあったのだろうか……。
そのとき、背後に人のけはいを感じた。
「おかあさん?」留美がドアを開けると、そこには中年女性の姿があった。
留美が露骨に肩を落とす。
どうやら、真紀ではないらしい。
いぶかしげな目を向けてきた中年女性に榎戸が警察手帳を見せる。これさえ見せればたいていの疑いは晴れるだろう。
「留美ちゃんのお母さんもですか?」
不安そうにつぶやいた女性に榎戸がたずねる。「どう意味ですか?」
「……留美ちゃんのお母さんも工場から帰ってこないんですか?」
「留美ちゃんのお母さんもってことは……」
「……うちの旦那も帰ってこないんです」女性は困惑顔を浮かべた。「……うちの旦那だけじゃなくて、工場で働いている人たちが帰ってきてないみたいで……」
榎戸がドアから外をのぞくと、そこには近所の主婦たちが不安そうに群がっていた。
どうやら、彼女たちの旦那も工場から帰ってきていないらしい。
工場でなにかあったんだな。榎戸のなかで疑いが確信に変わった。
「工場に行ってみましょう」
「そうだな」銀河の言葉に榎戸がうなずいた。
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