第4話 幽霊(ゴースト)
死んだ娘が母を迎えにきた。
こんな事件、いままで扱ったことはなかった。警察の仕事ではないのかもしれないが、気になる。
署に帰っても、どうせ仕事をさせてもらえない身だ。それに、まだ銀河の疑いが晴れたわけではない。いや、もしかしたら、この一件自体が自分を疑いの目からそむけるために仕向けられた企みだと可能性だってある。自分には特殊な能力があると偽って人の心を掌握する人間は意外と多い。銀河もそのたぐいの人間なのだろうか。
中西家をあとにした榎戸は銀河とともに森下家に向かっていた。
ティーシャツにジーパン。袈裟を脱いだ私服の銀河はただの若者にみえる。確認した身分証明書には三十二歳と記載されていた。
自分の六つ下か。ずいぶん若くみえる。整った顔つきのせいだろうか。そう榎戸は思ったがすぐに間違いだとことに気づいた。引き締まった体のせいなのだ。ビール腹の自分とは比較にならない。やはり、宇宙飛行士だったとことが大きいのだろうか。
「どうかされましたか?」
「い、いや」榎戸があわてる。「なんでもない」そういいながら、榎戸はあわてて視線を逸らした。ジロジロと自分の体を見られたら確かに気になるだろう。失礼なことをした。
しかし、銀河は不思議そうに榎戸を見ていた。
「けっこう、いい体をしているなと思ってな」うわずった声でたずねた榎戸は顔が真っ赤になった。体のことをきくにしても、もっとましな聞き方がある。
銀河は納得したように笑みをこぼした。「昔、ちょっと鍛えていたんでね。食生活さえ見直せば、榎戸さんもこれぐらいにはなりますよ。刑事さんなんだから普段から鍛えてるんでしょうし」
「ハハハ……」榎戸が苦笑いを浮かべながらビール腹を引っ込める。食生活を見直せたら、苦労しないのだが……。
「こんにちは」すれ違った老人が銀河にあいさつをしてきた。「どっか行くのかい?」
「ちょっと森下さんのところまで」
「そうかい。お大事にって言っといてな」
銀河が笑みをこぼす。「わかりました」
袈裟を脱いだのによく気がつくもんだ。榎戸は感心した。さっきからすれ違う老人たちが次々に銀河にあいさつをしてくる。そのついでなのか、榎戸にあいさつをするものも多い。最近、知らない人とあいさつを交わすことなんてなかったが、意外と気持ちがいいものだ。
「森下さん! 入るわよ! 先生も来てくれたから!」
先陣を切っていた相田が森下の家へ入っていく。
銀河は先生と呼んでほしくないようだが、その気持ちは理解されていないみたいだ。
古びたプレハブ小屋のような一軒家。都会と違って田舎に取り残された一軒家は一階建てで部屋数も三、四つしかない。
銀河に続いて榎戸もなかへ足を踏みいれる。
わずかな廊下を歩くと、寝室に置かれた介護用ベッドに痩せ細った老婆が横になっていた。この老婆が森下だろう。
銀河が来たことに気づいた森下は笑みをこぼした。
「先生、先生」
「大丈夫ですよ。そのままで」起き上がろうとした森下のそばに銀河がこしをおろす。
もう長くないんだろうな。森下のようすを見た榎戸が思う。高齢化社会となってしまったいまでは、高齢者の介護が問題となっていた。森下は相田に世話をしてもらっているらしいが、ほとんどの高齢者は行き場もなく、孤独死を迎えるものも多い。
金があれば、それなりの施設に入ったり、最近、主流になり始めた介護ロボットの世話になったりすることもできるのだろうが、ここに住んでいるような人間には非現実的だろう。
「……陽子(ようこ)が……陽子が会いに来てくれたんです」銀河を待ちきれなかったように森下が嬉しそうにつぶやく。
「そうですか。それはよかったですね」銀河が語りかける。「きっと陽子さんも森下さんに会いたかったんですよ」
「……はい」銀河の言葉に森下は笑みをこぼした。
「陽子さんはいつごろ会いにきたんですか」
「昨夜、そこから」森下は窓の外を指した。「『ママ、ママ』って声がしたから振り返ってみると、陽子がこっちを向いて微笑んでいたんです。あの娘、ずいぶん、若いときに死んじゃったから。甘えたりなかったんでしょうね」
「そうかもしれませんね」窓の外をのぞいていた銀河がささやく。「……もうすぐ陽子さんと一緒になれますからね」
「はい」森下がうなずく。
榎戸が驚く。死んだ娘と一緒になれるとことは、森下がもうすぐ死ぬと告げているようなものだ。てっきり銀河のような立場の人間は生きる希望を与えるものだと思っていたが……。
不審げに見つめてくる榎戸に気づいているのかいないのか、銀河は森下に語りかけた。
「痛いところはないですか」
「いまはだいぶ……」
「そうですか。なにか困ったことがあったら、すぐに話してくださいね」
「はい。ありがとうございます」森下が深々と頭をさげる。
「ゆっくり休んでください」そうと銀河は娘の姿が見えたと窓を閉めた。「あとはお願いしますね」
「え?」驚いた相田が眼鏡を直す。
「わたしはちょっと用があるので」
「そうですか……」一瞬、困惑した相田が胸を張ってこたえる。「森下さんのことは任せておいてください」
銀河は笑みをこぼすと、その場をあとにした。
一体、なんなんだ。森下が死んだ娘に会ったとことには深く触れもせず、簡単に体調を確認するとすぐにその場を去ってしまった。森下の娘について調べにきたのではないのか。そう不審に思いながら榎戸は銀河のあとを追った。
榎戸が外に出ると、森下家隣の空き地に銀河がたたずんでいた。
長年、使用されていないのか、空き地は雑草が伸び放題に伸びている。
そこは森下の娘、陽子が現れたと場所だ。森下のもとを去る前に銀河が窓を閉めていたから、銀河の姿は森下には見えていないだろう。
「なにをしているんだ」
追いかけてきた榎戸が銀河にたずねる。
しかし、銀河は榎戸の質問にこたえずにあたりを漁り続けていた。
内心、ムッとした榎戸だったが、こちらが勝手につきまとっている以上、強く言えるような立場ではなかった。
銀河のもとへ歩みよった榎戸は驚いた。伸びきった雑草でよくわからなかったが、あたりはゴミで埋もれていたのだ。
榎戸があたりを見回す。おそらく、数年前までは駐車場として使用されていたのだろう。それが過疎化されていくにしたがって使用されなくなってしまったのだ。手入れのされていない空き地がゴミ捨て場となっていくのは自然な流れだった。環境対策と銘打って以来、ゴミを捨てるのにもばかにならない金額がかかるようになってしまった。将来的にはゴミですらID管理される時代がくるかもしれない。
農業が発達した近年では、わずかな空き地、わずかなスペースにも野菜などの農作物を植えることが多くなっていたが、この空き地は手つかずのようだ。
「なにか探しているのか?」榎戸が声をかける。
「いえ、探しているとわけではないのですが、森下さんが見た幽霊の正体を突き止めたくて」
「正体を突き止める?」榎戸は驚いた。「あんたは幽霊を信じているんじゃないのか?」
銀河は不思議そうに首を傾げた。「どうしてわたしが幽霊を信じていると思ったんですか?」
「いや……」榎戸は言葉につまった。確かに、どうして自分は銀河が幽霊を信じていると思ったのだろう。「けど、森下さんの娘さんを肯定していたじゃないか」
「否定する理由がなかったからですよ。本人が信じてるんです。なにも声を荒だてて否定することもないでしょう」
なんだか詐欺師みたいな返答だな。榎戸はそう思った。自分が騙したのではない。相手が勝手に騙されたのだ。榎戸にはそうもきこえる。
「あっ!」声をあげた銀河がゴミを拾った。「これだ」
「な、なにを見つけたんだ?」
振り返った銀河の手の平には鉄のプレートが置かれていた。
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