第3話 榎戸
なんで俺がこんなことをしなければならないのだ。
榎戸誠士(えのきどせいじ)警部補は市街地から離れた住宅街へと向かっていた。
変な男が母の家に住みついている。
市民から相談を受けた道長(みちなが)警察署は榎戸に事実を確認するよう命じた。普通、こんなことはパトロール中の警官にでも任せればいいのだが、榎戸の存在を煙たがっている上司におしつけられたのだ。
いつもだったら、市民からの相談など無視するくせに。どうやら、彼らは左遷されてきた自分を署においておくことすら嫌らしい。普通、外に出るときは二人一組で行動することになっているのだが、榎戸はいまだにパートナーすら決まっていない。
車の速度を落とす。住宅街へ進入したのだ。
しかし、道路には人っ子ひとり見当たらなかった。
そうだ。榎戸は思いだした。ここは取り残された高齢者たちのすみかだ。
数少ない若者たちは仕事を求めて都会へ行き、行き場のない高齢者だけがここへ残ったのだ。急激に過疎化したいまではチェーン店ですら潰れていくありさまだ。
どんなにネットの普及とともに技術が発達しても、加齢とともに少しずつ、時代の流れからこぼれおちていくものたちがいる。
昔は同居していた家族が彼らを支えていたのだろうが、少子化の影響により、支えられるべき子供たちが消えてしまった。ひとりの子供が父と母を支えるなんてことは並大抵なことではない。そんな年寄りたちを支える役割を買ってでた国が年金や保険などのインフラを謳(うた)ったはずだったのに、それらも、いつのまにかあやふやになってしまっていた。
空き地に車を停めた榎戸が指示された場所へ向かっていると、老人たちの姿がチラホラ見えてきた。いや。見えてきたなんてものじゃない。榎戸の視界は三十人ほどの老人たちを捕らえていた。
彼らはみな、榎戸の進行方向へおぼつかない足取りで向かっている。まるで、なにかに引き寄せられるように。
不審に思った榎戸が歩みを早める。
角を曲がると人だかりができていた。集まっているのは全員、老人である。
この町には老人しかいないのか? そう不思議に思った榎戸は、人だかりのできている家が指示された家だとことに気づいた。
一体、なにが起こっているのだ?
ぱっと見は普通の一軒家だとにも関わらず、老人たちは吸い込まれるようになかにはいっていく。
榎戸もそれに続くと、玄関は老人たちの靴で溢れていた。老人たちの姿は廊下にも見受けられる。
なかからざわめきがきこえてきた。
おじゃまします。戸惑いながらも靴を脱いだ榎戸がなかへ入ると、入りきれない老人たちが座敷からもれていた。
どうやら、座敷でなにかが行なわれているらしい。
「珍しいお客さんですね」
老人たちをかきわけて、なかをのぞいた榎戸は声をかけられた。
部屋いっぱいに集められた老人たちの前には長身の男が立っていた。袈裟(けさ)を着ていた男を見た榎戸は坊さんかとも思ったが、剃髪はしておらず、整った顔に前髪が垂れ下がっている。女に困ったことはないだろうな。榎戸の心のなかに理由のない不快感が沸きあがる。たしか、最近流行っているアイドルが似たような顔をしていたはずだ。もっとも、もうアイドルの見分けなどつかない年齢になってしまったのだが……。
「どなたかの息子さんですか?」男が室内を見回す。
しかし、老人たちはいちように首をふるばかりだった。
当たり前だ。このなかに俺の親などいない。そう思いながら榎戸は男のようすを伺っていた。
なにが目的なんだ。ネズミ講、いや、新興宗教か。そうでもないと、これだけの人数を呼び寄せることはないだろう。
榎戸の視線に気づいた男は、老人たちに向けて笑みをこぼした。「きょうはもう、これぐらいにしましょうか」
どうやら、男は榎戸がここへ来た目的を察したようだ。自分に用があるのだと。
「続きは明日にしましょう」
「明日?」突然、話を中断したことに老人たちが不平を述べだす。
「早くしてくれないとオレ、死んじゃうよ」最前列で熱心に話を聞いていた赤ら顔の老人が声をあげると、ほかの老人たちから笑い声がもれた。
昼間から酒を呑んでいるのだろうか。赤ら顔の老人が必要以上に大きな声で続けた。
「先生の話、聞き終わるまで死にたくないんだから」
「だったら、続きは十年後ぐらいにしましょうか。そうしたら、それまで死ねないでしょう」
男がそうと、赤ら顔の老人は声をあげて笑った。社交辞令のような冗談のなにがおかしいとのか。
「じゃあ、また明日くるからね」
赤ら顔の老人が笑いながら出て行く。ほかの老人たちもあとに続いた。すれ違いざま、迷惑そうな視線を榎戸に向けるのを彼らは忘れなかった。
「で、どういったご用件です」老人たちが出て行った頃合いを見計らって、男が声をかけてきた。
室内には掃除をしている老人が残っていたが、榎戸は気にせずにこたえた。「警察署からきた榎戸とものだが」榎戸が警察手帳を掲示する。「この家に知らない男が住み始めたと通報を受けてな」
男が苦笑いをこぼした。
「先生、すみません!」
榎戸が振り返ると、そこには腰の曲がった老婆が駆け寄ってきていた。
「きっと、あたしの息子ですさ。普段、ろくに連絡もしてこないくせに、こうときだけ騒ぎ立てるんだから」
「いいんですよ」男が微笑む。「こうことは慣れてますから」
……慣れている。よくあることなのか。だとしたら、なおさら警戒しないといけない。
老婆が榎戸に詰め寄る。「先生は悪くないんです」
「中西(なかにし)さん」男が老婆をいさめる。「ちゃんと説明すればすぐに誤解はとけますから」
「……そうですか」緊張しながらも、中西と呼ばれた老婆が男の無実を証明しようと榎戸に訴えた。「こ、ここに泊まるようあたしが先生にお願いしたんです。ここに泊まって、お話を聞かせて下さいと」
「お話?」榎戸が眉をひそめる。
「ええ。いろいろな。宇宙に行ったときの話をきかせてもらったり、日頃の悩みを相談させてもらったり」
「……宇宙」思わず榎戸がつぶやく。近年、日本からも国産の宇宙船を発射することができるようになった。機械に仕事を奪われた人々の雇用、技術国日本、復権のため、国が宇宙開発に力をいれるようになったのだ。おかげでさまざまな技術が革新されたが、肝心の宇宙旅行自体は軌道に乗ることがなかった。もちろん、一般人には容易に払えない費用がかかるとこともあったが、それ以上に多額の費用をだしてまで宇宙に行きたいと人は多くなかったのだ。おそらく、この男も本当は宇宙へなど行っていないに違いない。技術的に行けないことはなくなったが、おいそれと若者が行けるような場所ではないのだ。
「あ、あなた!」
考え込んでいた榎戸に中西が怒鳴る。
「先生が宇宙に行ったことを信じてないんですね!」
思っていたことが顔にでるなんて刑事失格だ。そう思いながらも中西のようすを見た榎戸はすぐに思った。宗教か。これはやっかいだ。この国では信仰の自由が保証されている以上、警察がどうこうできる話ではない。
「いいんですよ」真っ赤な顔をして榎戸を睨んでいた中西を男が諌める。「それにわたしのことは先生じゃなくて、名前で呼ぶようにお願いしているはずですよ」
「あ、ああ。すいません。銀河さん」
中西は男にいさめられるとすぐにおとなしくなった。
……銀河。ずいぶんとたいそうな名前だ。
呆気にとられていた榎戸のようすに気づいたのか、銀河は口を開いた。
「銀河海人(ぎんがかいと)といいます。よろしくお願いします」
そうと銀河は深々と頭をさげた。
思わず会釈を返した榎戸がたずねる。「で、銀河さんはここでなにをやっているんだ?」
「わたしはお話をさせていただいただけです」銀河が笑みを浮かべる。「その変わりといってはなんですが、中西さんから食事や宿を提供してもらったのです」
初めは食事や宿だけ。なんの見返りも求めない人間だと思わせといて、徐々に要求をあげていくつもりか。フット・イン・ザ・ドア・テクニック。簡単な要求を受け入れ続けた人間は、いつのまにか、大きな要求を断りづらくなってしまう。詐欺師がよく使う心理学だ。
「で、銀河さんはどこに住んでいるんだ?」
榎戸の問いに銀河は静かに首をふった。
代わりに中西がこたえる。「先生は家がないんです」
「家がない?」榎戸が驚く。
「中西さん、名前で読んでください」
「……すいません」銀河の言葉にめげずに中西が続ける。「銀河さんは日本中を旅しながら、教えを広めようとしている、とても徳の高いお方なんです」
「教えなんてたいそうなものではないですよ」銀河がかぶりをふった。「ただ、わたしの話で少しでも生きるのが楽になればと……」
「仕事は?」
銀河が微笑む。「先ほどのようにみなさんにお話をするのが仕事です」
住所不定、無職。榎戸の頭にそんな言葉がよぎった。怪しくないわけがない。
「けれど」榎戸が首を傾げた。「金はどうしてるんだ。人間、生きるのには金が必要だろう」
「ええ」銀河がうなずく。「振り込んでもらってるんです」
「振り込んでもらってる? 誰から」
「わたしに興味のある人間からです。ネット上にわたしが書いた文章、話している映像。そのたもろもろが記載されています。それを見てわたしの活動に共感した人などがわたしに寄付をしてくれているんです」
そういいながら銀河は榎戸の目の前に自分のサイトを浮かび上がらせた。
たわいもない日記から最近、起こった事件への考察。どこかで行なわれた講演会での映像など、
そこには確かに銀河の言った通りのことが記載されていた。
銀河のプロフィールを読んでいた榎戸がはっとする。銀河は国産宇宙船で最初に打ち上げられた宇宙飛行士だったとのだ。これは本当だろうか。いや。表示された写真や映像を見る限り、おそらく本当だろう。偽物の証拠を捏造することもできるが、そんなものを作ったところで、すぐにバレてしまう。なにより、宇宙服を着て記者会見をしている銀河の姿に榎戸は見覚えがあった。
元宇宙飛行士の新興宗教か。このサイトを見る限り特定の宗教を進めているわけではないようだ。だとしたら、思想家と呼ぶべきか。いや。彼自身が教祖なのか。
ため息をついた榎戸は近くに米や野菜などの食料品が山積みになっているのに気づいた。
「これは?」
榎戸の言葉に銀河が苦笑する。「きょう、来て下さった方たちが持ってきてくださったんですよ。いらないっていってるんですけど……。まぁ、あとで中西さんと美味しく頂きますよ。ねぇ」
そうと銀河は中西に笑みをこぼした。
中西が照れ笑いを浮かべる。
「もういいですよ」残って掃除をしていた老人に銀河が声をかける。「遅くまでありがとうございます」
銀河の言葉に照れたように会釈をした老人が部屋を出て行く。
「わたしがやるから掃除なんてやらなくていいんだっていってるんですけどね」
つぶやいた銀河の言葉を補足しようと中西が榎戸に説明する。「お話を聞かせてくれたお礼に掃除をさせて下さいって。毎日、やってるんですよ」
「銀河さん、お金受けとらないから」中西があきれたようにつぶやく。「みんな、自分ができることをやろうとするんですよ」
「みなさんも生活が苦しいでしょうからね」銀河が苦笑する。
金がない人間からは金を受けとらない。どうしてもとのなら、金ではなく。自分が与えられる物を。与えられる物がない人間は自分ができることをやる。
中西の説明通りなら、そう悪くないなと榎戸は思ってしまった。ただ、まだまだ油断はできない。一体、なにを話しているのか。本当に金銭などを要求していないのか……。本人が知らぬ間に被害者になってしまっていることだってある。
「せ、先生! 先生!」
そのとき、眼鏡をかけた中年女性が駆け込んできた。
「どうしたんですか? 相田(あいだ)さん?」
銀河に相田と呼ばれた女性が息を整えながらこたえる。
「………も、……森下(もりした)さんが、……娘さんが迎えに来たって」
榎戸は首を傾げた。なにをそんなにあわてているのだろうか。大方、離れていた娘が一緒に暮らそうとやってきたのだろう。親孝行なことじゃないか。それとも、この銀河と男は娘と暮らすことを否定しているのだろうか。いや。もしかしたら、なにか問題のある娘なのかもしれない。
「娘さん?」つぶやいた中西が口ごもる。「けど、森下さんの娘さんって……」
やはり、問題のある娘なのだ。
耳をすましていた榎戸を尻目に銀河が告げた。
「森下さんの娘さんは亡くなられていましたよね」
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