第13話 出航

「マリア!」

 新田は叫んだが、返事はかえってこなかった。

「さらわれたらしいな」

 新田は鼓動を睨んだが、鼓動は平然と煙草に火を点けた。

「痛まないか」深澤が新田の背中に手を伸ばす。

「大丈夫です!」新田が山下にたずねた。「……猫男はどこに逃げたんですか?」

「え、……」山下が佐藤や深澤の顔を伺う。

 新田に告げてもいいのか、判断を仰いでいるのだろう。しかし、いまはそんな暇はない。こうしている間にも、マリアの身に危険が迫っているかもしれないのだ。

「どこに逃げたんですか!」気がついたら新田は怒鳴っていた。

 新田の迫力に負けた山下がこたえる。「……い、一番、奥の船だよ」

「……やはり、あそこか」鼓動がつぶやく。「……モスキート音もあの船から流れていた」

「じゃあ」

「猫男が子供たちをさらってたんだ」鼓動がタバコの煙を吐く。

「けど、なんで」

「さあな。けれど、子供が欲しいという人間は世界中にいるだろうからな」

 人身売買。臓器移植。性奴隷。想像したくもない言葉が新田の脳裏をよぎる。なにが目的かはわからないが、百人近く子供をさらったのだ。なにかしらには引っかかるだろう。

 肺にたまった煙を吐きだした鼓動は、船に向かって歩きだした。

「お、おい!」深澤が呼び止める。「どこに行く気だ!」

「どこって。猫男を捕まえるんだろう?」

「鼓動。あの旗を見ろ」深澤が船に掲げられた旗を指す。

 そこには派手な虹色が描かれていた。

「いいか」深澤が続ける。「あれは世界連合の旗だ。あの旗が掲げられている以上、あの船の上はわれわれやこの国の法律や支配が及ばない場所なんだよ」

 歩みをゆるめずに鼓動がたずねる。「世界連合が猫男を使って子供を誘拐しているってことか?」

「いや」深澤が困惑する。「それは、わからないが、とにかく、俺たちがあの船に乗り込むことはできない!」

 鼓動は黙り込んだまま歩き続けていた。

 深澤を無視して船に乗り込むのか?

 不安に思いながら新田が鼓動のあとを追っていると、鼓動を遮るように深澤が船と港をつなぐ渡り板の前に立った。

「……ここから先は通すわけにはいかない」

 深澤が鼓動を睨む。「いままで、お前が必要以上に暴れていても多めに見ていたが、今回ばかりはそういうわけにはいかない。COREはこの国に限って派遣兵士としての任務を許可されているんだ。あの船に乗った途端、お前は兵士ではなく、ただの一般人だ。これ以上、先に進んではいかない」

「そんなに規則が大事か」

「そんな小さいことをいっているんじゃない! これは世界中の国が話し合って決めたルールだ。これを破ったら日本という国が世界からはぶられてしまうかもしれん。下手をしたら戦争になるぞ」

「目の前で子供が苦しんでても、無視しろというのか」

 深澤が言葉につまる。「……あの船に、……さらわれた子供たちが監禁されているとは、まだ限らない……」

 捨てたタバコを踏んで鼓動が火を消す。「……マリアはどうなんだ」

「そ、そうですよ!」思わず新田が声をあげる。「マリアは猫男に連れられたんですよ。そうですよね、山下さん?」

 山下が困惑する。猫男があの船にマリアを連れ去ったのは間違いないが、深澤の手前、なんとこたえていいのかわからなかったのだろう。

 実際、深澤のいっていることは間違いではない。現状、新田たちは船に乗っただけで、罰せられるだろう。

 船の汽笛が鳴った。

 出発の合図だ。

 その瞬間、鼓動は船に向かって駆けだした。

「おい!」深澤が声をあげる。 

 しかし、鼓動は振り返りもせずに船のなかへ潜入していった。

「……なにしてんだよ」深澤が立ち尽くす。

 ドアの開く音がした。

 船員が船へと続く渡り板をしまいにきたのだろう。

「新田!」

 振り返ると深澤が手招きしていた。このままここへいては船員に見つかってしまう。この状況ではあきらかに怪しまれるだろう。

「急げ」

 このまま退散してしまっていいのだろうか。

 なかではマリアが苦しんでいるというのに……。

 鼓動ひとりで猫男を倒せるのか?

 鼓動ひとりでマリアを、いや、さらわれた子供たちを助けられるのか?

 自分はどうすればいいのか。そう考え込んでいた新田は気がついたら駆けだしていた。

 船に向かって。

 渡り板の反動をばねに船に飛びこんだ新田は、積まれた貨物の陰に隠れた。船員が通り過ぎるのを、息を殺して待つ。

「おい」新田の肩が背後から掴まれた。

 いきなりバレたか。身構えながら新田が振り返ると、そこには深澤と佐藤の姿があった。

 山下もこっちに向かって駆けてきている。

「勝手に行動するんじゃねぇよ」深澤が呆れたように笑みをこぼす。

「いいんですか? 僕たちはともかく、自衛隊の深澤さんまで船に乗っちゃって」

「お前らを守るのが俺の役目だからな。勝手に船に乗ったからといって見放すわけにはいかねぇよ」

 深澤の言葉に佐藤が笑みをこぼした。

 佐藤も深澤が僕たちを、いや、子供たちを見放すわけはないと思っていたのだ。もちろん、立場上は僕たちの行動を肯定するわけにはいかないが……。やり方こそ違えど、やろうとしていること自体には賛同しているのだ。ただ、所属している自衛隊、国に対しての配慮があるだけなのだ。

「すいません……勝手に船に乗ってしまって」

 ふんと深澤が鼻で笑う。

「……ありがとうございます」

「なんで俺に礼をいうんだ。俺はお前を連れ戻しにきたんだぞ」

 思わず新田がにやつく。照れ隠しに深澤が新田を戒めるような言葉をいっているのが新田にはわかった。深澤も一緒に子供たちを助けるのを手伝うつもりなのだ。

 思わず笑みをこぼしそうになった新田がはっとする。

 船員が近づいてくる足音を耳にしたのだ。

 新田が山下に視線を向けると、山下はまだ、たどり着きそうにない。このままでは、山下の姿が船員に見つかってしまう。

 もうダメだ。新田がそう覚悟を決めたとき、山下はデッキを照らしていたライトの下に身を屈めた。なにをしているのだ。山下は隠れているつもりなのかもしれないが、山下の巨体は全く隠れていない。

 船員にバレたときにそなえて新田は身構えたが、船員は山下の姿に気づかず行ってしまった。

 どうして、船員は山下の姿に気づかなかったのだ。首を傾げていた新田のもとに山下が駆けてきた。

「ヘヘヘ」

 照れ笑いを浮かべた山下に新田がたずねた。「どうして、気づかれなかったんですか? 全く隠れきれてなかったのに」

「新田君」佐藤が告げる。「山下はライトの下に隠れたんだよ」

「はい。……それがなにか?」

 深澤が口を開く。「逆光だよ。逆光」

 佐藤が続ける。「船員の位置からだと、ライトの下にいた山下の姿は光にかき消されてたんだよ」

 そういうことか。新田は納得した。よくも、とっさに思いついたものだ。

 感心していた新田に山下がこぼす。「前に鼓動さんがやっていたんだよ」

 ははは。

 呆れるように笑った新田に深澤が告げた。「けれど、バレたらどうなるかわかってるんだろうな」

 たしかに。治外法権が適用する船上へいる以上、見つかった瞬間に殺されても文句はいえないだろう。

「とりあえず、鼓動さんを見つけないといけませんね」

 あたりを伺いながら佐藤が歩きだす。

 そうだ。僕たちだけでは、猫男からマリアたちを助けることはできないかもしれないが、鼓動さんがいればなんとかなるかもしれない。お金のことばかり考える最低な人間だと思うときもあるが、鼓動は伝説の派遣兵士なのだ。

 そう思いながら新田は佐藤のあとを追いかけた。

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