第9話 任務
鬼を捕まえてこい。
勝憲が雷蔵に新しい任務を告げた。鬼とは最近町を騒がせている殺人者の犯人の通称で、鬼は殺した女たちの遺体の一部を持ち去っているのだという。いつ次の犠牲者がでるだろうかと怯えている町人を安心させるため、徳川家が勝憲のもとに依頼したのだ。どうやら事件を捜査している用心たちの手には負えなかったらしい。
「ただし、殺すなよ。捕まえて事情をきくのがお前の任務だ」
「わかりました」雷蔵は素直にうなずいたが、この場に佐助がいないことを思いだした。「一人で、ですか?」
「佐助がいない以上はな。一人が不安だったら陣内と組むか?」
傍らに座っていた陣内が笑みを浮かべる。
「い、いえ。大丈夫です」
「なんだよ、オレじゃ不満なのかよ」陣内が口をとがらせる。「少なくともオレは佐助みたいに裏切ったりしないぜ」
「陣内!」
「……すいません」勝憲に怒鳴りつけられた陣内はふてくされたように視線を背けた。
陣内の言葉にイラだちながらも、雷蔵がこたえる。「これぐらいの任務、兄じゃの手間をとらせずとも自分一人で片づけますよ」
佐助がいない状態で任務に立つのはひどく不安だったが、陣内と組むぐらいだったら一人で任務に向かったほうがマシだ。そう思った雷蔵は逃げるように勝憲の部屋からでていった。
数時間後、雷蔵の姿は永江町の長屋にあった。人が行き交う大通りを一本入ったここら一体は、貧乏長屋と呼ばれ、町人たちからも蔑まされていた。ひどくすえた匂いがする。どうやら長屋に住んでいる人々はろくに風呂も入っていないらしい。すれ違う人々が雷蔵に好奇の目を向けてくる。雷蔵は商人の格好に変装していたが、どうやらその姿はここら一体には似つかわしくなかったらしい。状況を確認次第、立ち去ろう。そう思いながら歩みを早めた雷蔵は、一角に人集りができているのを見つけた。風に流れてきた彼らの会話によると、近くの家で首を持ち去られた女の遺体が発見されたのだという。師匠が話していた鬼の被害者だ。一体、なにが目的なのだろうか。たんなる物盗りとは思えない。
雷蔵が人混みを掻き分け、遺体が見つかったという部屋へ足を踏みいれる。
その瞬間、戸の影から木の棒が雷蔵目がけて振りかかってきた。とっさに雷蔵が木の棒をつかみ奪いとると、木の棒を振りかぶったものが地面へと吹き飛ばされた。
「きゃぁ!」
雷蔵は驚いた。雷蔵を襲ったのは十歳にも満たないと思われる少女だったのだ。
「な、なにをしてるんだ?」
「なにって、家を守ってんのよ!」少女が雷蔵を睨みながらこたえる。「母がいなくなった途端になんでもかんでも持っていって。あんただって、盗みにきたんでしょ?」
「いや、わたしは盗みに入ったのではない」
「じゃあ、なにしにきたのよ!」
「わたしはあなたの母上の知り合いだったんだよ」とっさに雷蔵がこたえた。「昔、おのぶさんにお世話になったことがあってね」
「……ほんと?」いぶかしげに少女が眉間にしわをよせる。
「あぁ」野次馬の会話からこぼれてきこえていた名を述べた雷蔵が部屋を盗み見る。「おのぶ」というのは雷蔵の予想通り、少女の母の名だったが、室内にはなにもなかった。少女のいう盗人が盗んだのか、それとも初めからなにもない部屋だったのか……。おそらく後者だろう。ここへくる途中、隣近所の部屋を覗き見たが家具と呼べるようなものはほとんどなかった。ここら一体の貧乏長屋はだいたい似たり寄ったりだ。「おのぶさんは花が好きだったろ?」
「え? ……うん」
「わたしもおのぶさんに花をもらったことがあってね」
雷蔵の話に少女が耳を傾ける。雷蔵がおのぶとの思いで話を終え、いくつかの会話をやりとりしたころには少女はすっかり雷蔵に心を開いていた。
「じゃあ、本当に母の知り合いだったのね」
雷蔵がうなずく。雷蔵の話に耳を傾けていた少女、凛(りん)は雷蔵が母君の古い知り合いだということを信じてくれたようすだったが、雷蔵の口からでた言葉はすべて偽りだった。雷蔵は嘘をついたのだ。ただ、凛に近づくためだけに。任務の詳細は誰にも知られてはならない。それ故、本当のことを述べられない雷蔵は話を作りあげ、凛の心へと忍び込んだのだ。空っぽの部屋に一輪だけ飾られていた花をよりどころに……。
「おのぶさんはどういう状況で殺されたんだい?」雷蔵が凛にたずねる。犯人を捕まえるためとはいえ、殺されたばかりの母君のことをきくのにはひどく後ろめたさを感じた。
「……わからない。あたし、昨日、遅く帰ってきちゃって家にいなかったの。……家に帰ってきたら、もう……」凛が目をふせる。母君の遺体を発見したときのことを思いだしたのだろう。
雷蔵は黙り込んだ。
雷蔵の脳裏に血だまりの上に横たわった両親の姿が横切ったのだ。自分もまた、同じように家に帰ったときに息絶えた親を発見したのだ。凛の気持ちは痛いほどよくわかる。雷蔵はこの場をきりあげることに決めた。あたりに手がかりになりそうなものはなかったし、なにより、これ以上凛に話をきくのは酷だ。
そう思ったとき、通りから喧騒が聞こえてきた。
雷蔵が耳をすます。どうやら、河原にあるほったて小屋から女の遺体が発見されたらしい。また、鬼の犠牲者だろうか。
「すまない。わたしはそろそろ用があるので……」雷蔵が凛に別れを告げてその場を去ろうとしたとき、凛は雷蔵を押しのけて駆けでていった。
一体、どうしたというのか。そう思いながら雷蔵は後を追いかけた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます