第8話 佐助

 その夜、雷蔵は眠れなかった。布団に入っていた雷蔵が視線を隣へ向ける。いつも佐助が寝ていた場所は閑散としており、さみしく感じた。思えば佐助がこの寺にきてから、いつも二人で過ごしていた。師匠に怒られたときも、修行が辛く泣いたときも、いつもそばには佐助がいた。佐助がいない夜は初めてだった。

 もう佐助とは会えないのだろうか……。そう思うと胸がひどく苦しくなった。

 夜はとても静かだった。かつては仲間たちで賑わった守善寺も各地に仲間たちが派遣されたいまでは、師匠と兄弟子の陣内、雷蔵と佐助の四人で慎ましい日々を送っていた。

 布団からでた雷蔵が厠へと向かう。途中、風呂場へと向かう師匠と遭遇したが、雷蔵は師匠になんといっていいかわからず、無言のままに通り過ぎた。

 虫の鳴き声を聞きながら厠で用をたしているとき、このまま佐助を探しにいこうという考えが雷蔵の脳裏に浮かんだ。やはり、このまま佐助を見放すのはどう考えてもひどすぎる。もしかしたら、佐助は雷蔵が迎えにきてくれるのを待っているのかもしれない。佐助を助けないと。そのためなら師匠に仕置きを受けてもかまわない。そう思い始めた雷蔵の気持ちは止まらなかった。用をたし終えるやいなや足音を殺して門へと駆ける。幸い、走るのだけは得意だ。それを知った勝憲が自分に「雷蔵」という名前をつけてくれたのだ。雷のように駆け抜けろと。雷蔵がこの寺にきたときに。

 門をくぐり抜けた雷蔵が階段を降りていく。そのとき、前方に人影が見えた。

 しまった。陣内だ。そう思った雷蔵は咄嗟に身を隠した。しかし、雷蔵が目をこらしながら近づいてくる人物を確認すると、その男は陣内ではなく佐助だった。

「佐助!」雷蔵が驚きながら声をあげる。「大丈夫だったのかよ? 心配していたんだぞ! これから、佐助のことを探しに行くところだったんだ」

「まぁ、そう騒ぐな」佐助が雷蔵をいさめながら寺へと入っていく。「雷蔵が寺を抜けだしてオレを探しにいこうとしていたことがバレてしまうぞ」

 言葉につまりながらも、雷蔵は佐助の後を追う。「一体、何があったんだよ? 夜鴉はどうなったんだ? 追いかけたまま帰ってこないで。巻物は?」

「そんな一気に質問されてこたえられるかよ。師匠はいまどこにいる?」

「さっき、風呂へ入っていくのを見たけど……」

「そうか。ちょっと話してくる」

「俺もいこうか?」

「大丈夫だよ」佐助が笑みをこぼす。「きょうはちょっと休みたいんだ。悪いけどオレの布団、敷いといてくれないか?」

「わかった」

 佐助を見送った雷蔵は自分の部屋へと向かい、布団を敷き始めた。

 佐助が戻ってきて本当によかった。このまま佐助とは会えなくなるのか思うと本当に不安だった。気づくと雷蔵の目からは涙がこぼれていた。照れ笑いを浮かべながら涙をふく。不思議だった。佐助がいなくなったときは涙なんてこぼれなかったのに、戻ってきたとたん、涙がこぼれるなんて。

 佐助の布団を敷き終えた雷蔵が佐助を待っていると、風呂場から陣内の怒鳴り声が聞こえてきた。

「佐助!」


 雷蔵が風呂場へ駆けつけると、飛びでてきた佐助とぶつかった。

「佐助?」

 佐助は腹部から血を流しており、深い傷を負っているようだった。

「佐助! 大丈夫か?」

 雷蔵の言葉にこたえぬまま佐助は外へと駆けでていった。

「お、おい!」佐助を引き止めようとした雷蔵に、佐助が煙玉を放つ。雷蔵はあたりを支配した白煙に視界を奪われてしまった。白煙を掻きわけながら佐助の後を追おうとした雷蔵は足の裏に激痛を感じた。逃げていった佐助がまきびしをまいたのだ。雷蔵が屈み込んでまきびしを抜きとる。抜き終わったころには白煙が晴れていたが、すでに佐助の姿は見当たらなかった。

 佐助は一体、どこに行ったというのか……。

 戸惑いながらも、浴室へと足を踏み入れた雷蔵は驚いた。腹部から血を流している師匠が全裸のまま座り込んでいたのだ。そばでは陣内があわただしく介抱をしている。

「どうしたんですか?」

「佐助にやられたんだよ」陣内が勝憲の傷口から毒を吸いとばしながら説明する。「風呂に入っていた師匠を襲ったんだ」

「佐助が?」

「あぁ。幸い大事には至らなかったが、ふいをつかれたみたいでな」

 師匠は目を閉じたまま黙り込んでいた。傍らに置かれた刀は血でまみれていた。忍である以上、どんなときも武器を手放すわけにはいかない。たとえ、風呂に入っているときもだ。師匠も刀を手元に置きながら湯船に浸かっていたようだが、さすがに自分の寺の中で襲われるとは思わなかったのだろう。でなければ、師匠が傷を負うなんて考えられない。

「佐助はいつ帰ってきたんだ?」

 たずねてきた勝憲に雷蔵が言いづらそうに告げる。「つい、さっきです」

「そうか。……佐助にはもうかかわるな」

「え?」

「こんなことをしたんだから当たり前だろう」勝憲に包帯を巻いていた陣内が呆れたようにもらす。

「けど、どうしてこんなことをしたのか本人に確認しないと」

「かかわるなといったんだ」必死に抵抗しようとした雷蔵に勝憲が告げる。

 勝憲に睨まれた雷蔵はすくみあがり、言葉を述べることができなかった。雷蔵をにらむ勝憲が放つ殺気は昨夜、夜鴉が放ったもの以上のものだった。

「分かりました」

 雷蔵は不服げにその場をあとにした。

 佐助はどうして師匠を襲ったのだろう。一体、佐助の身になにがあったというのだろうか。あんなに慕っていた師匠を襲うなんて。夜鴉になにかよからぬことを吹き込まれたのか? 逃げるとき佐助は腹部から血を流していた。おそらく、師匠に刀で斬られたのだ。佐助は大丈夫だろうか……。

 部屋に戻った雷蔵は布団に入ったが、一睡もできないまま朝を迎えた。麻痺したまま朝を迎えた昨日と同じように……。

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