第7話 守善寺(しゅぜんじ)
雷蔵は入り口の門に頭を打ちつけながら考え込んでいた。
自分はどうすればいいのだろう。勝憲になんと報告をすればいいのか。巻物を奪われたばかりか、佐助すらも見失ってしまった。佐助が夜鴉の後を追って雑木林へ消えてから数時間、麻痺し続けた雷蔵の体は朝日が顔をだしはじめたころには自由がきくようになった。しびれが消えるやいなや、雷蔵も佐助の後を追って雑木林へ入ったが、佐助の姿を見つけることはできなかった。途方に暮れた雷蔵は佐助が先に守善寺へ戻ってきているのではないかというあわい期待を胸に寺へと戻ってきたが、佐助はまだ戻っていないようだった。師匠になんといわれるか。そう思うと雷蔵の気は重くなった。
「何やってんだ?」
我に返った雷蔵があたりをみまわす。しかし、人影をみつけることはできない。
「何やってんだって」
声は頭上から聞こえていた。雷蔵が見上げると、門の上から陣内(じんない)が顔をだしていた。雷蔵の兄貴分である陣内は蛙のように大きな目で雷蔵を見ていた。
「佐助は?」
「いや、その……」雷蔵が言葉に屈する。
「なんだよ」地面に飛び降りた陣内が雷蔵を問いつめる。「まさか捕(と)らえられたんじゃないだろうな」
「いや、捕らえられては、……いないと思うんですけど」
鼻の奥がツンとする。雷蔵が陣内の手元に視線を落とすと大量のクサギの花が握られていた。陣内が食用に山から穫ってきたのだろう。クサギは匂いが強烈だが、ゆでると食べることができる。
「は? お前、なにいってんだ?」
じっと見つめてくる陣内の視線に、雷蔵がしどろもどろになりながらこたえる。「巻物を奪った男を追いかけていってしまって……」
陣内がため息をつく。「巻物、奪われたのかよ」
「すいません」
「ちょっと来い」
陣内に腕を引かれながら雷蔵は寺へと入っていった。
雷蔵の手は震えていた。勝憲にことのあらましを説明しているのだ。
雷蔵は守善寺に来てから十数年になるが、勝憲の射るような目で見られると、いまだに緊張してしまう。勝憲は何があっても笑うことはない。例え笑うことがあっても目だけは冷たいままだろう。この視線を向けられて緊張しないものなどいない。
雷蔵が話している間、目の前に座っている勝憲は白く染まった自分の顎髭をなでていた。顎髭を触るのは勝憲が考え事をするときのくせだ。雷蔵の話を聞いている間、無表情のままの勝憲は何を考えているかわからなかったが、雷蔵の口から夜鴉の名がでたとき初めて反応した。
「夜鴉? 本人がそう名のったのか」
雷蔵が戸惑いながらもこたえる。「い、いえ。男の肩に止まったカラスを撫でていたので……」
「……そうか」
「自分は夜鴉が突きつけてきた佐助の手裏剣の毒で体がマヒしてしまいましたが、佐助は夜鴉を追ってそのまま……」
立ち上がった勝憲が背を向けた。「この話はもうよい」
「え? しかし、佐助がまだ帰ってきていないのですが」
「探さなくてよい」
「どうしてですか!」
「おい」思わず怒鳴ってしまった雷蔵を陣内がいさめる。「師匠になんて口をきくんだ」
雷蔵が伏し目がちに頭をさげる。「……すいません」
「あの男は危険なのだ。佐助以外にも何人か夜鴉にやられている」
「だったら、なおさら助けないと」
「必要ない」勝憲は飾られていた刀を手に取った。「助けに行っても、もう手遅れだろう」
「……手遅れ」雷蔵は体から血の気が引いていくのを感じた。師匠はもう佐助が死んだと思っているのか?
勝憲は刀を抜くと、刃を磨きはじめた。佐助が死んだかもしれないという状況になっても、師匠はなんとも思わないのだろうか。そう思うと雷蔵は無性に腹が立ってきた。思わず雷蔵が後ろ手に拳を握りしめると、陣内が鼻で笑ったのが聞こえた。雷蔵が陣内を一瞥する。陣内は手で自分の首を切るしぐさを雷蔵に見せつけた。佐助は死んでいると伝えたいのだ。
「お前!」雷蔵が陣内に拳をぶつけようすると、勝憲が雷蔵の首目がけて刀を降った。
雷蔵が息を呑む。刀は雷蔵ののどぼとけ寸前で止まっていた。刀の刃には必死の形相の雷蔵の顔が映り込んでいた。どうやら、いまの自分は汗だくらしい。
「佐助のことはもう忘れろ」勝憲が刀を降ろしながら告げる。
「一体、誰なんですか? 夜鴉ってのは。なにがあったんですか? どうして佐助を探しに行ってはいけないのですか?」
「お前の知らなくていいことだ」勝憲が刀をさやにもどす。「佐助も忍の道を選んだ以上、自分でなんとかすることだろう。雷蔵には佐助を探すよりもやってほしいことがある」
「やってほしいこと?」
「とりあえず、きょうは休め。新しい任務は明朝、伝えることにする」そう告げた勝憲は再び刀の手入れに戻った。これ以上、雷蔵と話す気はないようだった。
佐助の行方がわからないのに、心配じゃないのだろうか。雷蔵は憤ったがすぐに落ち着きを取り戻した。師匠の後ろ姿がひどく悲しげに見えたからだ。師匠も心配じゃないわけがない。ただ、忍の道に足を踏み入れた以上、冷淡にならざるをえないのだ。けれど、佐助がいない状態で新しい任務などこなせるだろうか。肩を落とした雷蔵が小さくため息をもらしながら部屋からでていく。
そのようすを陣内がにやけた表情で見ていた。
どうやら、陣内は佐助がいなくなったことを喜んでいるようだ。陣内は昔から佐助のことを毛嫌いしていた。自分よりできのいい人間が消えて嬉しいのだろう。最低なヤツだ。陣内のようすを見た雷蔵は気持ちのままに戸を閉めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます