第6話 夜鴉(からす)

 河原が見えてきた。

 佐助の後を追い駆けていた雷蔵が後方を確認する。 

 どうやら、侍たちをまくことに成功したらしい。

 そう思った瞬間、緊張の糸が切れたように雷蔵の足が止まった。

「どうした?」足を止めた佐助が振り返る。

「いや……」なんといえばいいのだろうか……。雷蔵が言葉に困りながらも、水面に映り込んだ自分の顔を覗き込む。ひどく疲れた顔をしていた。いままで、何度人が死ぬのを見ただろう……。殺された両親を初め、谷底に落ちたり、体に抗体をつけようと毒を食したりして修行中に帰らぬ人となった仲間など、幾人かの死に立ちあったことがあったが、雷蔵が原因で人が死んだというのは初めてだった。

 手裏剣が刺さる瞬間、苦痛に顔を歪めた侍の表情が脳裏にこびりついて離れない。この世から命が消える瞬間、侍の視界が最後に捕らえていたのは雷蔵だった。彼はどんな人生だったのだろう。彼(・)……。雷蔵は、侍の名前も知らないのだ……。雷蔵が侍に握られた足首を撫でる。そこには侍の体温が残っているような気がした。

「なんだよ、目の前で人が死んでビビったのかよ」佐助が雷蔵の元に歩み寄る。

「そんな言い方ねぇだろ!」

 カッとなって言葉を放った雷蔵を佐助が冷たく見つめている。

「……わるい」雷蔵がもらす。そうだ。侍を殺したのは佐助だ。自分を助けるために。侍が目の前で殺されたことにショックを受けている場合じゃない。佐助の方がずっと辛いのだから……。

 しかし、佐助の口からでてきたのは侍を偲ぶ言葉ではなかった。

「ほかの侍も殺しておけばよかったな。顔、見られたかも知れねぇぞ」

「……お前、なんとも思わないのか?」

「は?」佐助が首を傾げる。「なんとも思わないってなにが?」

「なにがってお前、人を殺したんだぞ?」

 佐助が鼻で笑う。「殺さなきゃ、捕まってたんだぞ?」

 雷蔵は一瞬、言葉を失ったが、当然といえば当然だった。自分たちは闇に生きるものなのだ。どこの世界に敵の安否を気にする忍びがいるだろう。敵がひとり死んだぐらいで動揺している雷蔵の方がおかしいのだ。しかし、頭ではわかりきっているその答えを受け入れられない雷蔵は、気がつくと佐助に怒鳴り散らしていた。

「だからって、殺すことはなかっただろう !」

「殺(や)るか殺(や)られるかだぞ」佐助が冷静にこたえる。「オレだって殺したくて殺しているわけじゃねぇよ。オレたちが任務を全うすれば町の人々が助かる。その為なら、なんだってする。そう決めたろ?」 

 雷蔵が佐助の言葉にしぶしぶうなずく。昔、飢えに苦しむ人々を目の当たりにした雷蔵たちは彼らの生活をよくしようとしている徳川家の任務に人生を賭けようと誓ったのだ。けれど、そのために人を殺さなくてはいけないということが雷蔵にはどうしても納得いかなかった。

「前からいおうと思ってたんだけどさ」佐助が言葉を選びながら告げる。「……雷蔵は忍びに向いてないよ」

「え?」

「……雷蔵、オレのこと殺せるか?」

「は? なにいってんだよ?」重くなった空気を払拭しようと、ちゃかすように雷蔵はいったが、佐助の真剣な表情を見て黙り込んだ。

「任務のためだったらオレは雷蔵を殺すぜ」佐助がまっすぐに雷蔵を見つめる。「いざとなったら、オレは雷蔵を殺す。雷蔵、お前はオレを殺せるか?」

 自分は佐助を殺せるだろうか……。言葉をかえすことができなかった雷蔵は、思わず佐助から視線をそらしてしまった。

 そのとき、河原の水がしぶきをあげた。

「なんだ?」佐助が驚きながら振り返る。

 佐助と同じように雷蔵も振り返ろうとしたが、気がつくと男にとりおさえられていた。

 雷蔵をおさえた男は徳永の部屋から巻物を持ってでてきた男だった。

 小刀に手を当てようとした佐助の動きを封じるように、男は雷蔵の首筋に刃を当てた。

「動いたら殺すぞ」

 男に飛びかかろうとしていた佐助の手が止まる。

「お前」雷蔵が声をしぼりだす。「奉公所の……」

「さっきはどうも」雷蔵に笑みをこぼす男の肩に、カラスがとまる。

 それを見た佐助がたずねる。「お前、……夜鴉(からす)か?」

「……夜鴉?」雷蔵が思わずつぶやく。夜鴉とはどこにも属さず、金の大小だけで任務を引き受けるという変装が得意な流れものの忍びだ。夜鴉の話を聞いたとき、金で動くような忍びは最低だと佐助と罵りあった覚えがある。

「どうだろうな」男は鼻で笑うと、肩に止まったカラスを撫でた。

「カラスを肩に止めるような忍びなんてほかにいねぇだろうが!」

 佐助の言葉に男が笑う。やはり、こいつは夜鴉だ。

「巻物はかえしてもらうぞ」思わず声を荒げてしまった佐助を無視して夜鴉が雷蔵の懐に手を突っ込む。

 雷蔵はそれを阻止すべく武器を手にとろうとしたが、夜鴉は雷蔵の首すじにあてていた小刀に力をいれた。

「くっ」苦しみのあまり声をもらした雷蔵は佐助が懐に手を入れているのを視界に捕らえた。夜鴉に向かって手裏剣を打つつもりだ。雷蔵に気をとられているいまなら夜鴉を仕留められると佐助は踏んだのだ。

「動いたら刺すぞ」夜鴉が雷蔵の懐から巻物を取りだす。「お前らはなんで、巻物を奪ったんだ?」

 そのとき、夜鴉が雷蔵の首すじにあてていた小刀を後方へとふりあげた。威勢のいい音とともに佐助の打った手裏剣が小刀の柄へと突き刺さる。

「お前らの考えていることなんて想像がつくんだよ」柄に突き刺さった手裏剣を見た夜鴉が驚く。「……お前たち勝憲のところの奴らか」

「誰だ? それ?」雷蔵がこたえる。忍びにとって正体が知られるというのは致命的な問題だ。そうやすやすと話すわけにはいかない。

「とぼけるな」夜鴉が小刀に突き刺さったままの手裏剣を雷蔵の頬にあてる。「この手裏剣は勝憲が作ったものだ。重さ、大きさ、刃の研ぎ方、勝憲が作った手裏剣は一目みればわかる。勝憲は手裏剣を作るときにほんのわずかだが山に生えている草を混ぜるんだ。そうすることによって、少しでも鉄の臭いが弱まるようにとな」夜鴉が手裏剣の匂いを嗅ぐ。「これは勝憲が作ったものだろう?」

 夜鴉は再び雷蔵の頬に手裏剣をあてた。あてられた手裏剣がわずかながらも頬に刺さる。雷蔵に打ったときは手裏剣に毒など塗られていなかったが、いまは塗られているようだった。その証拠に、手裏剣の先端がわずかにぬめり輝いている。

 雷蔵の体ははやくも手足が痺れはじめ、立っているのがやっとの状態になっていた。雷蔵が不安げに佐助を一瞥する。佐助は雷蔵の視線に気づかないのか、まっすぐに夜鴉を睨んでいた。

 佐助がたずねる。「……お前は、その勝憲という男を知ってるのか?」

「さあな」鼻で笑いながら夜鴉がこたえる。「お前はどうなんだ?」

 佐助が言葉につまる。

「お前は?」夜鴉が雷蔵にたずねる。

 こたえる代わりに雷蔵は膝から崩れ落ちてしまった。痺れにより立っているのも困難な状態になってしまったのだ。

 倒れた雷蔵を見た夜鴉が笑う。「使えないやつだな」

 雷蔵はすでに言葉すら放つことができない状態に陥っていた。朦朧としている雷蔵の耳に夜鴉の声が聞こえてくる。

「知ってたとしてもここでいうようなことではないよな。守善寺で勝憲の修行を受けたお前らに。徳川家からこの巻物を奪うよう命じられたなんて」

 佐助が雷蔵を一瞥する。努めて冷静にみえるが実際はあわてふためいていることだろう。夜鴉はすべて知っているのだ。雷蔵たちが勝憲の所で修行を受けたことを。勝憲が徳川家から命じられて巻物を取り戻すよう命じられたということを。なのに、こっちは相手のことをなに一つとして知らない。

「お前は何者なんだ?」佐助が怒鳴る。

「さあな。知りたかったらついてきな」夜鴉はそういうと雑木林の中へと消えていった。

 夜鴉の後ろ姿を睨んでいた佐助は安堵のため息をつくと雷蔵に駆けよった。「大丈夫か?」

 大丈夫だ。雷蔵はそう佐助に告げようとしたが言葉にならない。

「心配するな。体がマヒしているだけだ。数時間ほどで回復する」

 雷蔵を介抱していた佐助の視線は夜鴉が消えた雑木林を追っていた。

「……オレ、巻物を取りかえしてくるよ」

 行くな。雷蔵は佐助を引き止めようとしたが、言葉にならないうめき声だけが雷蔵の口からもれた。

「すぐ戻るから」

 佐助が男のあとを追って、雑木林の中へと消えていく。

 雷蔵はなすすべもなく、見守ることしかできなかった。

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