第2話 雷蔵

 飛んできた手裏剣が雷蔵(らいぞう)の頬をかすめた。頬から流れでる血をぬぐいながら雷蔵が転がるように草陰へ身を潜める。危ない所だった。完全に油断していた。雷蔵は目を凝らして手裏剣を打った相手を探したが、風が吹きつける暗闇の雑木林は雷蔵を挑発するかのように揺れており、相手の位置を把握するのはひどく困難に思えた。せめて昼間なら相手の位置を把握できたかもしれないが、陽は数時間前に沈んだばかりだ。

 舌打ちをしながら雷蔵が振り返ると、飛んできた手裏剣が木に刺さっているのを視界に捕らえた。

 雷蔵が手裏剣を抜く。手裏剣は八方手裏剣という八つの角が広がったものだった。

 手裏剣は通常、威力を求めるときは棒手裏剣などの重いものを使い、突き刺すことを重視するときは角の多いものを使用する。八方手裏剣を使ったということは威力を求めてはいないということだ。それに、もし本当に雷蔵に深手を与えることが目的ならば手裏剣の刃にトリカブトなどの毒を塗って使用したことだろう。そうすれば与えた傷が小さくとも、充分致命傷になりうるからだ。

 毒が塗られていなかったとはいえ、当たりどころが悪ければ骨を砕かれていた。雷蔵が身をひき締めると、前方から草のこすれる音がした。

 雷蔵が反射的に持っていた手裏剣を打ちつける。草をかきわけ飛んでいった手裏剣は獲物を捕らえた。やった。雷蔵が心を踊らせながら駆けだす。しかし、木に突き刺さった手裏剣が捕らえていたのは布切れだけだった。しまった。雷蔵がそう思った瞬間、木の枝から飛び降りてきた男が雷蔵を地面へと押さえつけた。 

 逃れようともがいたが、関節を男に押さえつけられた雷蔵は身動きをとることができない。

「おとりに騙されるなんて、動物以下だぜ」雷蔵を押さえつけた男は雷蔵と同じぐらいの背格好で同じような忍び装束に身を包んでいた。

 雷蔵は体をひるがえして抜けだそうとしたが、男はそれを見越していたかのように雷蔵の首筋に小刀を当てた。雷蔵が冷や汗を垂らしながら抵抗をやめる。

「佐助、降参だ。俺の負けだ」

 佐助と呼ばれた少年が小刀の刃先を雷蔵の頬へとつたい上げる。

「お、おい……」雷蔵が息を呑む。

「明日の魚はお前が捕れよ」佐助は笑みをこぼすと、雷蔵の頭巾を小刀で切った。

「お前、人の頭巾を……」これでは人相が丸わかりになってしまう。雷蔵はそう思いながらあわてて頭巾を巻き直した。

「それにしても油断しすぎじゃないのか? おとりに騙されるなんて」

「わざと騙されてやったんだよ。お前に自信をつけさせるために。これで今回の任務が怖くなくなったろ?」

「こっちはお前に自信をつけさせてやりてぇよ。いっつもオレが勝ってるじゃねぇか」

「それも全部、計算の内なんだよ。能ある鷹は爪を隠すっていうだろ? 俺はいざってときまで、力をださないんだよ」雷蔵は精一杯の虚勢をはったが、それがただの強がりにしか聞こえていないのを自分でも感じていた。

「目で見てるからダメなんだよ」

「じゃあ、どこで見るんだよ」

 呆れるようにため息をついた佐助は駆けだした。

「お、おい!」佐助を追いかけ始めた雷蔵がたずねる。「こっちであってんのか?」

「当たり前だろ。オレが間違ったことあったか? それとも自分がどこに向かっているかもわからないのか?」

「そ、そんなわけないだろ」

 図星だった。佐助との闘いで雷蔵は方向を見失っていたのだ。雷蔵と佐助は山の中にある奉公所から巻物を盗むという任務の途中だったのだが、どちらが奉公所に忍び込むかということで言い争いになるうちに、ちょっとした喧嘩となってしまったのだ。喧嘩に手裏剣や小刀を使用するというのも雷蔵たちにとっては日常茶飯事のことだった。

 佐助が遠ざかっていく。勝負にこそ負けたものの、雷蔵は内心嬉しかった。雷蔵は子供の頃から佐助に憧れているのだ。まぁ、佐助についていけば大丈夫だろう。そう思いながら雷蔵は佐助の後に従った。


 雷蔵は幼少の頃に両親を殺された。

 その日、友達と山で遊んでいた雷蔵は夕焼けがあたりを染め始めたことに気づき家へと駆けだした。

 雷蔵は子供の頃から足が早く、走ることでは誰にも負けたことがなかった。それゆえ近所の子供たち、いや、大人たちからも一目置かれた存在だった。なにせ、犬や鹿などの動物よりも早く走ることができたのだから。

 夕陽から逃げるように家へと帰ってきた雷蔵が家の戸を開ける。しかし、雷蔵を出迎えたのは、血だまりに転がった父と母の遺体だった。それから何時間経っただろうか。茫然自失としていた雷蔵は気がつくと勝憲(かつげん)に抱きかかえられていた。

 勝憲は身寄りのない子を集めて共同生活を営んでいるという守善寺(しゅぜんじ)の住職で、雷蔵もそこで世話になることとなったのだ。

 しかし、住職というのは世を忍ぶ仮の姿だった。勝憲の本当の正体は徳川家専属の忍びの棟梁で、忍びとして育てあげた子供を徳川家のもとへ送るという任務を請け負っていた。あとで聞いた話によると、勝憲が両親の遺体から雷蔵を引き離そうとしたとき、雷蔵は凄まじい抵抗をしたのだという。それを見て、勝憲は雷蔵を忍びとして鍛えることに決めたのだ。抗った雷蔵に秘められた身体能力の高さに勝憲は気づいたのだ。無論、勝憲の任務に雷蔵の両親が巻き込まれて死んでしまったという後ろめたさもあったのだろう。なんでも、勝憲に追われて雷蔵の家に隠れようとした忍が雷蔵の両親を殺したのだという。

 それ以来、勝憲に『雷蔵』という名を与えられた雷蔵は忍びの特訓に明け暮れた。何日間も不眠不休で走り続けたり、数十分以上、水の中に潜ったりと、特訓は厳しく命を落としたものも少なくなかったが、特訓の後に与えられる食事を得る為だけに雷蔵はすべてを耐え忍んだ。そして、いつしか雷蔵は親につけられた本当の名前を忘れてしまった。

 守善寺に集められた子供たちの中には、雷蔵と同じように親を殺された子供たちが多く、佐助もその一人だった。佐助の両親は山道を歩いていたとき、盗賊に殺され、盗賊を退治しようとしていた勝憲に連れられてきたのだ。

 子供たちが忍びとして通用するだけの体力、技術を会得した頃、勝憲は世の中について、そこで求められている忍びの役割について説き始めた。忍びの仕事はさまざまだった。人探し、盗人の確保、盗賊や海賊の成敗……。徳川家から与えられる任務の内容は殺人すらいとわないが、すべて世のためを思ってのことだった。勝憲の話を聞き、また、兄じゃたちからも話を聞いた雷蔵は、忍びという職業に誇りを持つようになった。そして、いつの日か育ての親を殺した人間を自分の手で捕まえてやろうと心に誓った。それは同じように親を殺された仲間たちも同じ思いのようだった。


 十年近く特訓に明け暮れた日々を過ごした雷蔵は、簡単な任務を任せられるようになっていた。今回の任務は奉公所に持ち運ばれた巻物を盗むことだ。巻物に何が書かれているかは知らされていない。任務に必要ないからだ。雷蔵たちの任務は巻物を奪うこと。ただ、それだけだ。

 雷蔵は佐助とともに隠れ家を出発した。与えられる任務は佐助と組むことが多かった。

 学問、忍器、忍術……。なに一つとして、適うもののない佐助と組めることを雷蔵は喜ばしく思っていた。いつか、自分も佐助のようになりたい。雷蔵はそう思うようになっていた。

 常に仲間たちのトップだった佐助は、師匠である勝憲に心酔していた。以前、勝憲を先頭に守善寺の皆で山を越えていたとき、赤ん坊を抱いた女が盗賊たちに襲われていたことがあった。

 忍は人の生き死にを勝手に仕切るのだ。普段は目立たないように静かに暮らさなければならない。ゆえに雷蔵たちは任務に関係ない争いごとには関わらないよう、きつく勝憲にいわれていた。

 後ろ髪をひかれつつも、視線を逸らした一同がその場を立ち去ろうとしたとき、盗賊が声をあげた。

 雷蔵が思わず振り返ると倒れている盗賊が視界に入った。あわててほかの盗賊が倒れたものを抱き起こそうとした瞬間、その盗賊も同じように倒れて痙攣(けいれん)しだした。

 なにが起こったのかと雷蔵が不思議に思っていると、佐助が笑みを浮かべているのに気づいた。

 佐助が顎で師匠をさす。どうやら勝憲が盗賊に攻撃をくわえたようだった。

 人を助けるために掟をやぶった師匠を見て以来、佐助は憧憬(しょうけい)の念で師匠の話をするようになっていった。自分の両親が盗賊に襲われて死んだこととも重なったのだろう。

 それ以来、佐助は勝憲の話ばかりするようになった。佐助の憧れとして、理想の忍として……。


「どうした?」佐助を追っていた雷蔵が急に止まった佐助に驚き声をもらす。

 佐助はこたえる代わりに顎で前方をさした。雷蔵が視線を送ると、見回りをしている奉公所の守兵の姿があった。奉公所まで、まだかなりあるはずだ。

「こんな所まで見回りにきているなんて……」雷蔵がつぶやく。

「それだけ巻物が大事だということだろ」

「どうする? この状態だと相当警備は厳しいぞ」

「オレを誰だと思ってるんだよ」佐助は笑いながらこたえると、再び駆けだした。

 頼もしい。それでこそ佐助だ。雷蔵は嬉しそうに笑うと佐助の後を追いかけ始めた。

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