316区 【那須川 朋恵】

【那須川 朋恵】なすかわ ともえ

★初登場回 107区★

誕生日:12月29日

身長:150センチ

血液型:A型

愛用シューズ:ニューバランス


作品中、成長率はダントツのナンバー1。


高校の時は3000mで、大学生以降はフルマラソンで、出場するたびにたった0.1秒の時もあったがつねに自己記録を更新し続ける。


聖香達が引退すると桂水高校女子駅伝部3代目キャプテンに就任。本人のあまりの自身の無さとは裏腹に、1年間しっかりと部をまとめ2年連続都大路出場も勝ち取る。


ただ、県駅伝開会式の選手宣誓は、内臓が口から出そうなほどに緊張したようである。


3年生の時は県駅伝、都大路ともに3区を走り、県駅伝では区間賞、都大路では区間8位で走り切る。だが、大学や実業団の推薦が来ることはなかった。


同学年の若宮紘子には数多くの推薦が来ており、若宮紘子自身は朋恵に対して、凄く申し訳なさそうにしていたが、当の本人は「わ……わたしは全然気にしてないよ。そもそも、行きたい大学があるし、大学でも走り続けるつもりだけど、わたしレベルの選手なんてどこにでもいるし、どこで走っても自分が頑張ることに変わりはないから」と笑っていたが、横で聞いていたブレロ・アリスに「ともえレベルの人間は二ホンオオカミを見つけるより難しいと思うけど? あなた自分の才能をちゃんと自覚してる? 走力じゃないよ? 才能よ。絶対に走りの神様が勢い余って、あなたにすごい能力を振り分けてるから」と、つっこんでいた。


無事に第一志望の大学に合格すると、迷わずに陸上部に入部。


その大学の陸上部が男女ともそんなに強くないこともあり、新入生歓迎コンパで「都大路を走りました」と自己紹介をすると、大騒ぎになってしまう。


また、本人は受験のために都大路が終わったのちは、週に1回5キロ程度をジョグするくらいしか練習をしておらず、大学1年生の4月は人生初の1人暮らしに慣れるのに必死だったが、1人暮らしにも慣れ、体力も戻って来た1年生の7月頃にはポイント練習を男子に混じって行えるようになる。


そのことを朋恵が大学1年の時の晴美の会でみんなに話すと驚愕されたが、「違うんですよ。別に陸上強豪大学ってわけじゃないから、男子のトップでも3000mで9分15秒くらいなんですよ。男子が13人いますが、3000mの平均タイム、多分9分40秒くらいだと思います。だから、都大路で優勝した時の桂水高校女子駅伝部の方がよっぽどレベルが高いというか……。それに女子だとわたしの次に早い人が3000mで11分10秒なので、どうしても男子と練習せざるを得ないといか……。しかも紅一点で男子と練習するせいで、わたし『ポイント練習の姫』ってあだ名まで付けられちゃうし……」と謙遜していた。


ちなみに、大学時代は朋恵の人柄もあり、陸上部の仲間も非常に懇意にしてくれ、朋恵がマラソン練習をする際は、距離を踏む朋恵に部員が交代で並走してくれたり、給水役をかって出てくれていた。


また、遠征で東京、大阪、名古屋などの国際マラソンを走る時などは「朋恵応援合宿」と銘打って陸上部の全員が自腹で現地まで行き、コースに部員が散らばって、全力で応援をしてくれるのである。その力の入れようは、部員がお金を出し合って「那須川朋恵」と入ったのぼり旗を何本も作り、現地に持参するほどである。さらには、前日は朋恵以外の部員で「明日の朋恵の健闘を祈って」、レース終了の日は、朋恵を主役に「朋恵の走りを称えて」という名目で大々的に飲み会を行っている。


しかも、毎回遠慮する朋恵を全力で抑え、朋恵の飲み代は全額部員からのおごりというありようである。


さらに翌日は全員で観光をして最終列車で大学まで帰るのというのが恒例で、「この、ハードスケジュールがまさに合宿だなぁ」と部長が漏らすこともあった。


那須川朋恵自身の走りについて語るなら、彼女は桂水高校女子駅伝部に入部した際、チーム内でダントツに遅かったこともあり、いかに自身が昨日の自分よりも速く走るかと言うことに全力を注いでいた。筋トレにストレッチ、食生活など走ること以外のことでも、ほんの僅かでも自分のプラスになることは積極的に取り入れ、努力を重ねていったのである。


常に自分と向き合うことが日常だったので、彼女が「あの大会で何位になりたい」などの他人と比べた目標を口にすることは全くなかった。


だが、そんな彼女が唯一「絶対に出たい」と強い意志を示したのが、エピローグでも語られている世界選手権である。


大学での記録が評価され、とある実業団から誘いを受けると、「せっかく評価していただいたので」とその実業団に進み、マラソンで飛躍的に記録を伸ばしていく。


そんな中、朋恵に生き方を示してくれた祖父が病気となり、半年程度で回復はしたものの、朋恵は高齢となった祖父がまだ生きているうちに「自慢の孫はここまですごいんだよ」という姿を見てほしいと考えるようになる。その姿を考えた時に、自然と世界で戦う自分が浮かんできたのである。


そこから初めて、「世界選手権出場」と言う、他人と争って勝ち取ることを目標として努力を続けて行き、めでたく世界選手権出場を決める。


そして、朋恵が代表の座を射止めると、当時の大学陸上部メンバーが朋恵には一切内緒で応援ツアーを企画し始める。その時の世界選手権はスイスで行われたにも関わらず、メンバーのほぼ全員が自分の日程をやりくりし、全額自費で応援に向かったことが、朋恵がどれだけ大学時代に懇意にされていたか物語っている。


なお、全く同じ考えを持っていた湯川麻子も当時の桂水高校女子駅伝部のメンバーに声をかけ、こちらもほぼ全員が応援に向かっている。


そして、この2つの応援団は現地にて、偶然出会うこととなる。


朋恵の応援という共通の目的のおかげで、人生で初めて顔を合わせたにも関わらず、両者はすっかり仲良くなり、大学、高校の混成大応援団となって、現地で盛大に応援することとなった。


ちなみに、サプライズと言うことで、大学、高校それぞれのSNSのグループ内では「姫、応援に行けないけど頑張れよ」「朋恵しっかりね。テレビの前で、全力で応援するから」などのやり取りが交わさていた。そのせいで、みんながまさかスイスまで来ているとは微塵も思っていない朋恵は、33キロ地点を通過する時、なぜかいるみんなと、なぜか仲良く一緒にいることに困惑し、レース中にも関わらず「え? えぇ?? えー!!」と走りながら沿道を見て本気で驚き、通り過ぎながら思わず振り返ってしまったのである。


さらには、その時の様子がたまたま映像として中継されてしまい、「おっと、那須川どうした? アクシデントか!?」「いや、今、日本からの応援団がいたみたいですよ。多分、那須川さんの関係者だったのではないでしょうか。でも、今の感じを見る限り、本人もいるのを知らなかったようですけど……」と実況と解説に言われてしまう始末であった。


なお、そんなハプニング? もあったが、朋恵は必死で走りぬき、世界を相手に7位入賞を果たす。フィニッシュすると、ゴール付近で待っていた両親と祖父のところに真っ先に駆け寄り、泣きながら祖父と抱き合う姿が映像で流れ、多くの人に感動を届けていた。

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