300区 【明彩大学】陸上部メンバーその1
【牧村 里美】まきむら さとみ
★初登場回 150区★
広島県出身。中学時代はバトミントン部。高校になって長距離を始め、800mで県3位になる。
ただ、地区予選で敗退し、インターハイの出場はない。
地元近辺の選手を積極的に獲得するというもみじ化学の当時の方針により、全国レベルのレースへの出場がなくとも、実業団へと引っ張られる。
もみじ化学の練習方針が合っていたのか、社会人になってからは、1500m、5000mと距離を伸ばしていき、全国レベルの大会でも上位に食い込めるようになる。
ちなみに、年齢的には永野綾子の5つ上。実業団時代は、永野綾子の面倒をよく見ており、随分と可愛がっていた。
それゆえに、永野綾子が自分より先に退部した時には、随分とショックを受ける。
ただ、ショックを受けつつも自分にもそろそろ引退が迫っていると感じていた時に、偶然明彩大から監督としての話が舞い込んでくる。
だが、明彩大も最初から牧村里美に白羽の矢を立てていたわけではない。本当はもみじ化学にいた牧村の2つ上の明彩大OG選手へ是非にと声をかけたのだが、その本人は現役への強いこだわりがあり、その誘いを断る。
それに対して、仲介役に入っていたもみじ化学のコーチが牧村里美を明彩大に紹介。
そこから、双方による話し合いが持たられ、牧村里美の監督就任が決まった。
当時の明彩大はそれなりに駅伝部の強化をしていたものの、全国大学女子駅伝へは常に予選会からの戦いを強いられ、出場できても後ろから一桁順位が精いっぱい、さらに3年に一度くらいは予選で敗退するような状況であった。
だが、牧村里美が監督となって僅か3年で上位入賞常連チームへと生まれ変わったのである。その結果により、牧村里美の大学内での発言力はかなり強いものとなり、聖香が3年生の時に、駅伝部には2枠しかないS級推薦を鶴の一声で3つに増やし、さらにはその枠を宮本加奈子へ使うことも事後承諾で学長に認めさせている。
ちなみに、この発言力の強さに救われたのが木本菜々美であるが、それは木本菜々美本人の欄を参照してほしい。
それと彼女は、「監督と選手の距離を少しでも縮めチームの結束力を高めるため」にと、部員と一緒に寮生活をしており、これも自ら学長にお願いして許可してもらっている。
ただ、その目的にウソ偽りはないのだが、これには牧村里美の別の思惑もある。
明彩大駅伝部の寮は管理栄養士と調理師が常駐しており、選手達を食事の面から支えている。さらには、学校からの援助もあり寮費すらも取っていない。(一般入部の学生のみ寮費を貰っているが、ほとんどタダ同然の格安の金額であり、これも牧村里美がそう言う面で部員の絆を崩したくないと直談判した結果である。本当は、牧村里美は一般入部であろうと、駅伝部に在籍する以上はタダにしたかったようであるが、さすがにそこは無理だったようである)
つまり、牧村里美も部員と一緒に寮生活をすれば、生活費がかなり浮くのである。
浮いたお金を何に使うか……、それはただ一つ、車である。
常にスポーツカーを乗り回し、あれこれとパーツを変え、ガンガンと走るくらい、彼女は車が好きなのである。
ゆえに、遠征時も大学のバスや公共交通機関を利用すれば学校が交通費を負担してくれるにも関わらず、彼女はレース会場がどんなに遠くであろうとも、ガソリン代と高速代をすべて自腹で払ってまで、自分の車で行くのである。
ちなみに作中聖香もふれているが、牧村里美がスピード狂なのはランナーであることと何一つ関係ない……。
【木本 菜々美】 きもと ななみ
★初登場回 151区★
両親どちらも、長距離ランナー。
父親は全日本大学駅伝を走っており、母親は全日本実業団駅伝を走っている。そんな両親のもとに生まれたおかげで、本人の才能と小さいころからの環境はずば抜けたものがあった。小学生のころから、両親とともに地域のロードレースに出場しており、一つの大会で父親がハーフマラソン、母親が10キロ、木本菜々美が小学生2キロの部で優勝して地方新聞に大きくカラーで写真が載ったこともある。
当然中学から陸上部。中1から全国大会に出場し、中2ですでに全国の上位に。そこから大学2年生までは全国レベルのレースでいかに勝つかを考えるのが彼女の基準であり、県や地区レベルではほぼ無敵と言える存在だった。
だが、大学2年の冬に患った病気が原因でその生き方が一変する。
「これから先の人生では、激しい運動は命に係わる。病気とずっと向き合いながら生きていかないといけない」と医者に告げられた時に、「だったら走りながら死ぬまでです」と表情一つ変えずに即答したが、事情を知った母親に号泣され、牧村さんに本気で平手打ちを食らってしまう。
この2つの出来事が彼女の心に大きな影響を与え、あっさりと競技を辞めることを決意する。S級推薦で入学していたため、両親と相談し、大学を退学して地元で体と相談しながら仕事を探すことを決め、牧村さんにその報告をすると、なぜかその足で学長室に連れていかれる。
そこで、学長と牧村さんから提案されたのは、マネージャーとして部活に残ってほしいこと。それであればS級推薦を継続することであった。
ちなみにこの提案は、牧村里美が一方的に学長へ提案し、即決で認めさせたことであることを木本菜々美は知る由もない。
その提案に、「一度地元で両親と話し合いたい」と回答を保留し、1週間学校を休んで実家で散々悩み、両親と何度も話し合った結果、提案を受け入れることにした。
最初は彼女自身大いに戸惑いもあったが、部員全員がマネージャーとなった木本菜々美に対して腫れ物扱いをすることなく普通に接してくれたことと、常に全国のトップで戦う視点で見ていた競技を今度は下から支える立場で見ると、今まで想像もしなかった新鮮な景色が見えたことが彼女のやる気を引き出し、マネージャー業にも誇りを持って取り組むこととなる。
大学4年生の春には他の部員には内緒で、内々に牧村さんから明彩大学職員として学校に残り、今度はマネージャー兼コーチとしてチームを支えてほしいことを告げられる。本人にとっては、願ってもない話であり、即答で了承する。もちろん、これも牧村里美が、木本菜々美のマネージャーとしての能力を買い、学長に直談判して、職員採用の枠を1つ空けさせたのである。聖香が合宿に訪れた時には、大学との面接も終了し、事実上内定も出ている状態だったが、まだ部員は誰一人知らなかった。彼女がその事実を仲間内に告げたのは、その年の全日本大学女子駅伝が終わってからである。
ちなみに、明彩大に宮本加奈子が入学してからは、小柴瑠璃と宮本加奈子が練習でも命を削るような競い合いを見せることがしばしばあり、それを必死で止めるのも彼女の役目だった。「実家で飼っている犬が、よその犬に向かっていくのを必死で散歩ひもを引っ張って止めていたのを思い出す」とは、その当時彼女がこぼした本音である……。
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