273区 『那須川 朋恵』
紗耶と話した後、軽く体操をして、スポーツドリンクを口に含ませる。
その間ずっと、自分の心臓音が聞こえて来そうな気がした。
やはり今年が最後だからだろうか。
それとも、ほぼ完璧に戻ったとはいえ、夏のブランクが不安なのか。
もしくは、タスキもらった時、城華大附属との差がどれくらいか気になってしまうのか。
私にしては珍しくかなり緊張していた。
おかげで、係員が先頭が来たことを告げるアナウンスを始めた時、ビックリして飛び跳ねそうになってしまった。
「まもなく先頭が来ます。呼ばれた学校は中継ゾーンに入ってください」
間違いなく1番は城華大附属だろう。
問題は何秒差で桂水が来るかと言うことだ。
城華大附属が呼ばれたのち、桂水が呼ばれるまでの何十秒間が、永遠とも思えるくらい、長く感じられそうな気がした。
「はい、先頭が後2分程度で到着します。2校ほぼ同時です。1番、城華大附属高校。2番、桂水高校。準備してください」
え? 2校ほぼ同時?
私と紗耶は思わず顔を見合わせる。
いったいどう言うことだ。
「せいちゃん! これ見て!」
紗耶が慌てながら、駅伝の中継を映し出した携帯を私の顔に近付けて来た。
「さぁラスト500mを切って、またもや後ろを振り返った城華大附属高校の貴島。後ろにいる桂水高校の那須川が気になるのか。あきらかに顔には焦りが出ています。しかし貴島の2キロ通過は6分25秒。決して自分の走りが出来ていないわけではありません。これは桂水の那須川を褒めるべきでしょう。手元の資料では、那須川の3000mのベストは10分15秒。しかし、この走りはあきらかにそれ以上の走りをしています。1100m地点で城華大附属高校に逆転されてからも、苦しそうに顔を歪めながら桂水高校の那須川朋恵が必死に喰らい付いています。その足音が聞こえるのか、先ほどから2度後ろを振り返った城華大附属高校の貴島祐梨。ラスト500mの地点でその差はわずかに3秒です」
画面を見た瞬間に涙が溢れそうになった。
普段は、まるでフランス人形のように整った顔をした朋恵が、その面影すら感じさせないくらいぐちゃぐちゃの顔で必死に走っていた。
フォームだってお世辞にも綺麗とは言えず、まるで水の中でもがいている様な感じだ。
あの朋恵がそこまで必死になって、貴島祐梨を追っていたのだ。
「城華大附属高校の阿部監督は、『今日はお前が勝負を決めて来い』と、貴島を送り出したそうです。もちろん、桂水高校がエントリーを当日変更したことは、城華大附属高校にも伝わっています。それを知った上での貴島へのアドバイスだったのでしょう。しかし、これが駅伝の恐ろしいところ。那須川の走りはあきらかに3000m9分台の走り。思えば昨年も4区で流れが変わりました。そして今年も4区。流れをつかんだのは明らかに桂水高校でしょう!」
「朋恵すご過ぎ! 死ぬ気でえいりんに追い付くつもりだったけど、これなら随分と楽にレースを進められそう」
私が安堵のため息を付いた瞬間だった。
「せいちゃん!!」
紗耶は子供を本気で叱りつけるような声で、私の名前を呼ぶ。
同時に、自分の両手を私の両肩にのせ、親の仇でも見るかのように私を睨みつけて来た。
紘子にしてしまった自分が言うのもなんだが、お互いの距離があまりにも近いため、私は一瞬、キスでもされるのかと思ってしまった。
でも、紗耶の顔を見るとあきらかに怒っているのが分かる。
「せいちゃん! お願いだから、そんな考えは今からコートを脱ぐのと一緒に捨ててほしいんだよぉ!」
紗耶は私の肩をぎゅっと掴み、私を睨んだまま声を張り上げる。
「わたしだって、えいりちゃんの走力がどれくらいか、よく知ってるんだよぉ。せいちゃんは勘違いしてる。頭を冷やしてよく考えて欲しいんだよぉ。えいりちゃんとせいちゃんが同時にスタートして楽にレースを進めることが出来るの? 追い付かなくていいから楽だなんて思ってスタートしたら、絶対にえいりちゃんに負けちゃうんだよぉ~」
紗耶は私を睨んだまま、肩からすっと手を離す。
紗耶の言葉がまるで血液のように、私の体内を駆け巡った気がした。
そうだ。私はいったい何を勘違いしていたのだろうか。
相手はあのえいりんなのだ。
楽に勝負なんて出来るはずがない。
実際、中学生の時に対戦したレースはどれも最後まで気の抜けないレースだった。
えいりんと戦う時は、常に全力で相手をしないと、ふとした瞬間にやられてしまうのだ。
そう言う意味では、清木千夏との対戦が戦い方としては近いものがある気がする。とは言っても、清木千夏よりもえいりんの方がよっぽどやりにくい相手ではあるが。
「ありがとう紗耶。今の一言がなかったら、間違いなく私はえいりにん負けていた。なんか肝心な所でポンコツだな私は……。入学してすぐ麻子に怒られ、最後の県駅伝では紗耶に怒られちゃった。でも、そう考えると2人がいてくれてよかった」
「せいちゃん……。落ち着き過ぎで緊張感がなくなってるんだよぉ。てか、あさちゃんに怒られた話、わたしは知らないんだよぉ~」
「あれ? そうだっけ? じゃぁ、帰りの車で話してあげる」
私は紗耶に頬笑み返すと、ベンチコートを脱いで紗耶に渡す。
紗耶もコートを受け取ると「楽しみに待ってるよぉ~」と笑顔を返してくれた。
中継ゾーンに入ると、すでにえいりんがスタンバイをしていた。
「さわのんとほぼ同時にスタート出来るなんて、思ってもみなかったんですけど。やっぱり運命ってやつかなぁ?」
「どうだろうね。えいりんの場合、熊本の高校を辞めて転校して来てるし、努力の結果ってやつじゃない? それに、転校は自分の手で夢をつかむための行動だったんでしょ?」
すごくまじめに答えたつもりだが、なぜかえいりんに笑われてしまう。
「てか、都大路に行くためには、桂水に大差を付けてタスキをもらえる方が良いはずなんだけど……。僅差でスタート出来るのが嬉しい自分がいるんですけど」
えいりんが独り言のようにつぶやく。
私はそれを聞き、紗耶がどこにいるかを確認する。
どうやら近くにはいないらしい。
「ごめん、えいりん。私も心の奥では、勝負が出来るのが楽しくてしょうがないって思ってる。都大路がかかってるのにね。チームメートに聞かれたら怒られそう」
私がえいりんに向かって本音を打ち明けた時には、貴島祐梨が残り50mの所まで来ていた。
「祐梨、ラスト」
えいりんが声を掛けタスキを受け取る。
「朋恵、ラスト頑張って!」
朋恵も顔がはっきりと見えるところまで来ていた。
相当きついのだろう。
まだ20mは離れているというのに「はぁ! はぁ!」と言う朋恵の息遣いが聞こえて来る。
きつさのせいか、朋恵は顔をぐちゃぐちゃにし、口を大きく開け、首を振りながら涙を流して走っていた。
首を振ると朋恵のトレードマークとも言うべき三つ編みも揺れる。
右側の三つ編みには、今朝梓から借りた、青色の小さなリボンが付いた葵先輩の髪留めが付いていた。
朋恵の顔を見ると、私まで泣きそうになってしまう。
でも、まだ泣くわけにはいかない。
私はこれから走るのだ。
今からが私にとっての駅伝なのだ。
それに、こんなにも頑張った朋恵を、しっかりと笑顔で迎えてやらなければ。
「朋恵お疲れ、よくがんばったよ!」
私はとびっきりの笑顔で朋恵に声を掛ける。
「ごめ……なさい。あと……おねが……します」
息も絶え絶えになりながら、私に声を掛けてくれた朋恵からタスキを受け取り、私は勢いよく飛び出した。
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