274区 1キロ通過

「せいちゃん、前と4秒差!」

どこからか紗耶の声が聞こえた。


50m程度走り勢いに乗った所で、私はタスキを肩から掛ける。


紘子、麻子、アリス、朋恵と繋がれて来たタスキはみんなの汗でぐっしょりと濡れ、重たくなっていた。


この重さこそが、ここまで走って来たみんなの頑張りだと思うし、私に託された希望の重みなのだと思う。


それに、紗耶や梓、永野先生、由香里さん、葵先輩、久美子先輩。桂水高校女子駅伝部に携わる全員の思いが込められているに違いない。


もちろん、晴美の思いだって込められている。

いやそれ以前に、晴美は都大路で待っているのだ。

そう考えると、絶対にここで負けるわけにはいかない。


走り出す前は緊張していたが、こうしてタスキを肩に掛けて走り出すと、緊張は一瞬にして消えてなくなり、その代わりに闘志が湧いて来る。


前を見ると、えいりんの背中は思ったより大きく見えた。


まずは、えいりんに追いつくことから始めなければ。


でも、一気に追いついてしまうと、体力を無駄に使ってしまい、ラスト勝負で負けてしまう可能性がある。


焦らず少しずつ差を詰めて行けば良いのだ。


幸いにも私の脚はいつも以上に軽かった。

もしかしたら三年間の駅伝の中で、今回が一番調子が良いのかも知れない。


ただ間違ってはいけないのが、調子が良いのと体力があるのは別物だと言うことだ。


永野先生は「5キロをきちんと走れるだけの体力は戻っている」と太鼓判を押してくれたが、この夏に走っていなかったことも事実だ。


無駄な体力を極力使わないためにも、落ち着いて走らなければ。


200m程走ると、えいりんの背中が少し大きくなった気がした。


こうして、えいりんの走る姿を同じ目線で見るのは3年振りだ。


昨年、一昨年と、熊本の陸上競技場でトラックレースを見たし、テレビで都大路を走る姿も見たが、やはりそれとは見え方がまったく違う。


不思議なのは、こうやって後ろから見ても、昨年熊本で感じたようにやっぱりえいりんの走る姿は美しいと思ってしまうことだ。


中学生の時は考えたことすらなかったのに。


でも、ひとつだけ分かったことがある。

昨年の熊本で感じた「負けても良い」と言う思いは、本当にあの一瞬だけの思いだったということだ。


こうして肩にタスキを掛けて、目の前でえいりんの走りを見ると「絶対に負けてなるものか」と言う思しか湧き上がってこない。


じわじわとえいりんとの差を縮めながら、もうすぐ1キロ地点という所まで来ていた。


えいりんも私が迫っていることに、間違いなく気付いているはずだ。

もしかしたら、私の足音や呼吸音が聞こえているかもしれない。

だが、それ以上に観客からの応援があるのだ。


「城華大附属頑張れ! 真後ろに桂水が来てるぞ」

「頑張れ! 後ろすぐそこだよ」

沿道の観客が声を張り上げてえいりんを応援してるのが、私にもはっきりと聞こえる。


その歓声の中でも、まったくフォームを崩すことなく淡々と走るあたり、もしかしたらえいりんは追い付かれるのを計算に入れているのかも知らない。


昨年の葵先輩がそうであったように。


「うちは、城華大附属に追いつかれてからが本当のスタートだと思ってたから。だから追い付かれても焦ることはなかったわね。むしろ『さぁレースが始まるんだ』って感じだった」

昨年の都大路をみんなで見ていた時、葵先輩が口にしていたことをふと思い出した。


葵先輩は元気にしてるのだろうか。

3月に別れて以来、一度も会っていない。

都大路に出れたなら、久美子先輩と一緒に応援へ来て欲しいなと思う。


そんなことを考えていると、沿道に1キロ地点の看板が見えてくる。

それと同時に、私はえいりんに追いつく。


追いつくと同時に、私はえいりんを抜きにかかる。


だが、えいりんは無理をするそぶりも見せずにすっとペースを上げ、すぐに私の横に並び返して来た。


どうやら、まだまだ体力は存分に余っているらしい。


私も瞬時に追い越すことを止め、2人で並走したまま1キロを通過する。


えいりんが腕時計でラップを確認する。

だが、私はそれをしなかった。

と言うより、今回は腕時計を付けていないのだ。


中学生のころから数々の駅伝に出場したが、駅伝で時計をしなかったのはこれが初めてだ。


理由はいたって単純。

今回に限って言えば、タイムなんて関係ないと思ったからだ。


他の誰かに区間賞を取られても、チームとして優勝テープを切れればそれでいい。


それだけの理由だ。


と、時計を確認したえいりんが「はぁ……」と短いため息を付く。

自分が思っていたタイムと実際のタイムが違ったのだろうか。


「市島先輩、ファイトです」

沿道の少し先から、城華大附属の部員がえいりんに声を掛けるのが見える。

お揃いのオレンジ色のウインドブレーカーは、遠くからでもよく目立つ。


その声を聞いた直後、えいりんは何を思ったのか、おもむろに自分の腕時計を外し始め、その子に向かって投げた。


「まぁ、確かにタイムは関係ないよね」

並走しながらえいりんが声を発する。


なるほど。さっきのため息は、タイムがどうこうではなく、私がタイムを確認しなかったことに対するため息か。


その後も私達の並走は淡々と続く。


どちらが前に出るわけでもなく、駆け引きをするわけでもなく、ただ淡々と並走していた。


それはまるで、3年振りにレースで一緒に走れたことを、並走することでお互いが喜んでいるかのようだった。


だが、その並走も2キロ地点を通過するまで。

2キロを過ぎた所で、えいりんがすっと私の前に出る。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る