272区 僅差の攻防戦

2人が走り去ると、私は荷物を置いた場所へと戻り、ストレッチを始める。

紗耶はその間も、携帯で真剣に中継を見ていた。


「ひろちゃん、いけそうだよ」

背中を伸ばしていた私に、紗耶が携帯の画面を見せてくる。


「さぁ、1区もラスト100m。先頭は桂水高校の若宮。そのすぐ後ろには城華大附属高校の住吉。2人の差は15mと言ったところか。ラスト300mで先に仕掛けたのは城華大附属高校の住吉。しかし、桂水高校の若宮も冷静に対応。残り200mで追い付くと、一気に突き放しにかかりました。その差がまた少しずつ広がっていきます。中継所で待ち受けるのは桂水高校の湯川。城華大附属高校の山崎。共にキャプテンです」


そうか。言われて気付いたが、2区は2人ともキャプテンだ。


「一昨年は1区澤野が区間賞。昨年は2区中盤から、ゴール200m手前まで先頭に立っていた桂水高校。今、若宮から湯川にタスキが渡ります。二年振りに1区区間賞の好発進。今年こそ歴史を変えられるのか? 桂水高校。3秒差で城華大附属高校がスタート。そして、後続の姿がまったく見えません。それもそのはず。若宮のタイムが18分57秒。住吉のタイムが19分00秒。ともに区間新記録。それも全国高校駅伝の1区区間記録にも迫る素晴らしいタイムです」


私の記憶が正しければ……。

紘子が住吉慶に勝ったのは、これが人生で初なのではないだろうか? 


紘子の走りは間違いなく私達に勢いを付けてくれた。

私も頑張らなければ。そんな思いが心のそこから湧き出て来る。


その後もアップをしっかりと行い、更衣室へと着替えに行く。


着替え終わって外に出ると、最終点呼が始まる所だった。


「1番、城華大附属」

係員に呼ばれ、えいりんが手を挙げゼッケンを見せる。

えいりんはまだ着替えておらず、手に持ったユニホームを係員に見せていた。


「2番、桂水」

呼ばれて私はベンチコートとジャージの前を開け、ゼッケンを見せる。


見せ終わるとえいりんが私の横を通って行く。


「勝負が出来なくてちょっと残念なんですけど」

「どう言うことよ。えいりん」

心底残念そうな顔をしているえいりんに、私は即座に聞き返す。


「このまま行けば4区で差が付くでしょ? 出来れば、ほぼ同時にスタートしたかったけど……。まぁ、区間記録で勝負は出来るんだけどね」


「大丈夫よ、えいりん。今年は私達が絶対に都大路へ行くのよ。つまり、どんなに大差があっても追いつくってことだから」


満面の笑みで答えるが、えいりんは返事もせずに更衣室へと歩いて行ってしまった。


まったく、珍しくレース前に話しかけて来たと思ったらこれだ。


中学生の時、最初は戸惑ったものだ。

仲の良かったはずのえいりんが、レース前にまったく目も合わせてくれなかったのだから。


そのレースが終わた後、いつもどおりに……。

いや、いつも以上に話しかけて来て、レース前だけ私と話そうとしないのだと理解した。


えいりんを追いかけても無駄と分かってるので、私は紗耶の所へと戻る。


「せいちゃん。ジャージはどうするのぉ?」

「今から脱ぐよ。預かってもらえる?」

紗耶が頷くと、私はジャージを脱ぎユニホームの上からベンチコートを着る。


「あさちゃん、頑張ったよぉ。2区終了時点で、さらに1秒ほど差を広げたんだよぉ~」

紗耶が嬉しそうに2区の様子を語ってくれる。


どうやら麻子は、最初の1キロで藍葉に追いつかれたらしいが、決して藍葉を前に出すことなく、並走を続け、中間点を過ぎてからじわじわと藍葉を引き離していったそうだ。


麻子の頑張りのおかげで、タスキを渡す時には、桂水高校のリードは4秒となっていた。


「そして今は、アリスちゃんが頑張っているんだよぉ~」

シートに座っていた紗耶は手を伸ばし、立っている私の顔に携帯の画面を近付けて来る。


「さぁ、3区もラスト500m。先頭を行くのは桂水高校のブレロ。6秒差で城華大附属高校の工藤が必死に追いかけます。両者懸命の走り」


アリスは2秒ではあるが、さらに差を広げていた。

さすがアリス、こんな時でもフォームがまったく崩れていない。


「でもぉ……。このままじゃまずいよね。4区はゆーちゃんと、ともちゃんだから……」

紗耶は気まずそうな顔で私を見上げる。


そうなのだ。早朝に麻子が言ったとおり、朋恵と貴島祐梨の実力差を考えると、他の4人が1人7秒ずつ貯金を作る必要がある。


つまり3区が終わった時点で21秒近くは差を開けておきたかったのだが……。


どう考えてもそれは不可能のようだ。


このまま行けば、私は20秒近いハンディを背負ってのスタートとなる可能性がある。


それもえいりん相手にだ。


大丈夫……。

永野先生は都大路で55秒差を逆転した。

それに比べれば……。


自分に無理矢理言い聞かせ、必死でやる気を保とうと試みる。


と、紗耶の携帯からアナウンサーの叫ぶ声が聞こえてきた。

私は紗耶の横に腰を降ろし、2人で携帯を覗き込む。


「さぁ、先頭で4区にタスキを渡すのは今年も桂水高校。中継所で待つのは、当日変更で4区に入った那須川です。2年生のブレロから同じく2年生の那須川にタスキリレー。今タスキを受け取り、桂水高校が先頭で第3中継所を出て行きます。そして、今年も追う展開となった城華大附属高校。この区間は二年ぶり、3年生の貴島祐梨が7秒差でスタート」


携帯で見る限り、朋恵はずいぶんと緊張気味だった。


でも、それは仕方のないことだ。

つい数時間前に交代を告げられての初駅伝。

しかも後ろからは、7秒差で城華大附属が迫っている。


「いよいよ、ともちゃんのスタートかぁ。なんと言うかさ、今朝のともちゃんはちょっとかっこよかった。てか、わたしは最低だったかなぁ~。あずちゃんを怒鳴っちゃった」

紗耶の顔を見ると、なんとも気まずそうな顔をしていた。


「ううん。あれで良かったんだと私は思うよ」

私の一言に紗耶がぱっと私の方を向く。


でも、私はそれ以上その話題には触れず、すっと立ち上がった。


「さぁ、あと10分もすれば朋恵がやって来るわ。てか紗耶、信じられる? あの朋恵が4区を走ってるんだよ。入部した時は3000mで19分もかかってたのに。私、うちの部で一番才能があるのは朋恵じゃないかって考えてるんだけど」


「わかった。ともちゃんがゴールしたら、せいちゃんの言葉、伝えておくんだよぉ~」

紗耶も先ほどの会話を続ける気はなかったらしく、笑いながら手でオッケイの合図を作る。


「それはそうと、せいちゃん。どうする? 4区の状況を逐一教えようかぁ?」

「ううん。いい。私は静かに朋恵を信じて待つから」

私が紗耶に告げると「じゃぁ、わたしもそうするよ」と、紗耶はつぶやき、携帯を片付けてしまった。

 

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