263区 予期せぬ来訪者

駅伝まで約2週間と迫った日にその事件は起きた。


「あの、聖香センパイ。あそこに見慣れない制服の女子生徒がいますよ」

部活中にジョグをしていると、梓が突然不思議なことを言いだす。


梓が指差す方を見ると、確かに見たこともない制服だった。

桂水高校と同じくブレザーではあるが、桂水が黒を基調としているのに対して、その制服はクリーム色をしている。


見たことがない制服だったが、それを着ている女子生徒は思いっきり見覚えがあった。


「ちょっと、藍葉! なんであんたがここにいるのよ!」

あまりに驚いてしまし、そこら一体に聞こえるような大声を出してしまう。


はっと我に返ると、周りにいた人達が一斉に私を見ていた。

部員も次々と私の所に集まって来る。


「つべこべ言わずに私と勝負しなさい! 澤野聖香」

いったい藍葉に何があったのだろうか。

制服のまま桂水高校に現れ、いきなり勝負しろだなんて。


だいたい、ここまでどうやって来たのか。城華大附属と桂水は、電車とタクシーを使っても、50分はかかるくらい離れているはずだ。


ふと時計を見る。

時間的に考えて、藍葉は学校が終わってすぐ電車に乗ったのだろう。


「いや、そもそも別に県駅伝で勝負すれば……」

「うるさいわね! 察しなさいよ! 部内の選考会で市島瑛理に負けたのよ。悔しいけど、勝てなかった。今年の5区は市島瑛理よ。私は2区」

それを聞いた瞬間、えいりんと5区で戦うことが正式に決まったのだと理解する。


そうか。えいりんと対戦か。

先日の駅伝メンバーの発表同様、正式に決まると色々と身が引き締まる気がした。


えいりんと最後に対戦したのは中学3年生の時だ。

駅伝で対戦すれば、実に3年振りとなる。

と、藍葉が叫ぶ。


「と言うわけで、勝負しなさい。このままだと、あなたと一度も対戦せずに高校生活が終わってしまうのよ」

いや……。そんなこと言われても、私に決定権などまったくないのだが。


私は近くまで来ていた永野先生を見る。

当然、永野先生も何が起きているのか分かっているだろう。


永野先生と眼が合うと、先生がため息を付く。


「おい、澤野。アップは終わったのか?」

「いえ、今から体操をするところです」

「じゃぁ、早くしろ。それと今日のメニューだが、予定変更だ。インターバルは辞める。今が16時半か……。17時15分から3000mのタイムトライを一本行う。以上」

永野先生は私のすぐ横にいる藍葉を完全に無視し、回れ右をして歩きだす。


「あの、すいません。永野綾子さん。私、城華大附属の山崎藍葉と言います。今日はお願いがあって来ました」

藍葉の声に永野先生が足を止める。


「山崎藍葉」

永野先生が唐突に名前を呼ぶと、「はい」と藍葉が返事を返す。

その顔は、随分と不安そうな顔をしていた。


「お前、邪魔だから帰れ。私も一応阿部監督の教え子だ。仮にお前がここで怪我でもしたら、監督に顔向け出来ないんだよ」

優しさを一切含まず、冷たい声で永野先生は言い放つ。


藍葉は「あの、待ってください。お願いです。せめて話だけでも」と懇願の声を出すが、永野先生は一切無視だ。


何も出来ないと分かったのか、藍葉はその場に立ち尽くしてしまう。



と、永野先生は私の方を向く。



「なぁ、澤野。私は今、きちんと山崎藍葉に帰れって言ったよな?」

「え……? ええ、まぁ言いましたね」

私が返答すると、永野先生はふっと笑った。


「私は、突然桂水高校にやって来た城華大附属の山崎藍葉に帰れと言った。きっとこれで山崎藍葉は帰るはずだ。これにて一件落着。でも、私も色々忙しいからな。偶然、どこの誰かも知らないような高校生が、桂水高校のグランドで3000mをやったとしてもほったらかしだな。それも偶然、17時15分に澤野の横からスタートしたとしても、私はあまりの忙しさにきっと何も言えないだろうなぁ。あー! 本当に忙しい」

最後の方は棒読みになりながら、永野先生は藍葉に聞こえるくらいの大きな声で喋ると、近くの腰掛に座ってしまう。どう見ても忙しそうには見えない。


まったく、永野先生も素直じゃないと言うか……。


「藍葉? 何があっても自己責任なら、私と勝負しても良いってさ」

私は永野先生の言葉を分かりやすく翻訳し、藍葉に伝える。


「ありがとうございます」

藍葉が永野先生に向かって深々とお辞儀をする。


「だいたい、永野先生がメニューを3000mのタイムトライに変更した時点で、結論は出てるのよ。藍葉、こっちに来て。部室に案内するから。そこで着替えて」

私は藍葉を手招きして部室へと案内する。


だが……。


「ちょっと澤野聖香! あなた、からかうのもいい加減にしてよ! どう見ても、ただのぼろい体育倉庫じゃない。なによ、やっぱり私と勝負するのが迷惑なわけ!」


「いや、ちょっと落ち着いて藍葉」

私は必死で藍葉をなだめる。


「こんにちは山崎さん。あたしのこと分かりますか? 何度か対戦してますけど、桂水高校女子駅伝部キャプテンの湯川麻子です。まことに言いづらいのですが、そのぼろい体育倉庫が創部以来ずっと駅伝部の部室なんですよ」


騒ぐ藍葉に、麻子が営業スマイル全開で説明をする。


麻子に説明され、藍葉も信じられないと言う顔で部室のドアを開ける。


中に私達の制服が置かれているのを見て、「いったいどうなってるのよ」と、驚きを隠しきれずに叫んでいた。


すっかり慣れてしまっていたが、やはり私達の部室はぼろいようだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る