260区 麻子とアリスの頑張り
1500mタイム決勝最終組。
スタンドにいるのは私、紘子、朋恵、梓の4人だけだった。
「この人数だと、なんだか応援も寂しいですし」
「まあね。でも私達が1年生の時なんて、部員自体が6人しかいなかったから、もっと寂しい時もあったわよ。大丈夫、紘子は声が大きいから。さぁ、声をしっかり出して応援するわよ」
不満を漏らす紘子をけしかけ、麻子とアリスの応援を始める。
スタートと同時に先頭に立ったのは、なんとアリスだった。
アリスの後ろに貴島祐梨が付き、麻子が3位。
麻子は、もはやトレードマークと言っても良い、いつものピンク色のヘアバンドで髪の毛を固定している。
対照的に、アリスは一歩進むごとに金髪が綺麗に揺れていた。
先頭を走るアリスは、スタートからずっと速いペースで走り続ける。
貴島祐梨は無理に前へ出ようとはせず、アリスの後ろに付いたままだった。
「すごい……。アリスちゃん」
「ほんとアリスセンパイって、フォームも本当に綺麗ですけど、金髪碧眼のおかげで見た目もなんだか年齢よりも大人っぽく見えますよね。うらやましい」
梓が大きなため息をつきながら感想を漏らす。
「それは別に金髪碧眼のせいじゃなくて、個人の問題じゃないの? ねえ、梓。例えば私はどんな感じ?」
梓に意見しつつ、私なりに大人っぽく振る舞ってみようと、髪をかき上げ、潤んだ瞳で梓を見つめてみる。
「う~ん……。聖香さんって、理由は分かりませんが、大人に見えることもあるし、ものすごく子供に見える時もあるんですよね。なぜでしょうか?」
私の頭のてっぺんから足の先までを順に見ながら梓が首を傾げる。
あれか? 例によって、体の一部分が子供っぽいってことなのか?
もう自分でも、ネタにすることに抵抗感がなくなって来てしまった気がする。
「あの……。みなさん何をやってるんですか! しっかり応援してください!」
私と紘子、さらには梓までもが朋恵に怒られてしまう。
よく見ると朋恵はかなり本気で怒っていた。
普段は大人しい朋恵に怒られ、私は心底反省する。
その様子を見て、声を上げて笑う永野先生。
レースが動いたのはその直後だった。
貴島祐梨がアリスを抜いて先頭へと出る。
その後ろから、貴島祐梨に付けていた麻子もアリスを抜き、さらには貴島祐梨すら抜かして、先頭へと立ったのだ。
「麻子、頑張れ!! 残り600m! 落ち着いて!」
麻子が先頭に立つと俄然応援にも力が入る。
先頭に立った後も、スピードを緩めることなく貴島祐梨を離しにかかる麻子。もしかすると、貴島祐梨のラストスパートを警戒し、早めに勝負をつけようとしているのかもしれない。
と、3位に下がっていたアリスが貴島祐梨を抜いて2位へと上がって来た。
「すごいですし! 桂水が1、2位で走ってますし!」
紘子がピョンピョン飛び跳ねながら、興奮気味に叫ぶ。
麻子達がホームストレートを走り抜け、ラスト1周の鐘が鳴る。
私達の眼の前を駆け抜けて行く2人の目つきは、真剣そのものだ。
「いつも思いますけど、アリスってフォームが崩れませんし」
「前の県高校総体の時に永野先生も語ってたけど、確かにそうよね。まともに走り出して半年もたってないのに、中国地区総体へ行くわけだ」
普段は一緒に練習しており、夏休みが明けてからは自分の体力を戻すのに必死で、じっくりとアリスの走りを見ることがなかった。
だが、こうして改めて見ると、思わず見とれてしまうくらいにアリスは綺麗なフォームで走っていた。
それもラスト300m地点にもかかわらずだ。
大抵ラストになると、力を使い切っているせいで、フォームが崩れがちになりやすい。
例えるなら今の麻子のように。
麻子はラスト300mを切っても未だに先頭で走り続けている。
2位のアリスと10m差、3位の貴島祐梨とは15m程の差だろうか。
アリスと比べているせいもあるが、麻子のフォームはお世辞にも綺麗とは言いづらい。
それでも、腕を力強く降り、しっかりと地面を蹴っていた。
フォームは崩れているものの、前へと進もうとする意志は決して消えてないように思える。
いや、むしろ前へ前へと言う思いがあるからこそ、フォームが崩れ気味になっているのかも知れない。
順位に変化がないままレースは進んでいき、麻子が先頭でホームストレートに入って来る。
前までの組に比べて、今の麻子の方が明らかに早い。
この組のトップ3辺りまでが、そのまま総合順位になることは間違いなさそうだ。
「麻子! 頑張れ!」
「麻子さんファイト!」
4人しかいない私達だが、どこの学校にも負けないくらいの大声で声援を送る。
その甲斐があったのだろうか。
麻子が1着でフィニッシュ。
2位にはアリスが入る。
3位に貴島祐梨。4位に城華大附属1年生の三輪なずなと続く。
「やったぁ! 麻子が優勝した!!」
「湯川センパイすごい」
「アリスちゃんも2位ですよ」
「1位と2位って桂水初じゃないですか?」
私達4人は興奮が冷めやまず、ハイタッチをして抱き合ってと、大騒ぎだった。
あまりのはしゃぎっぷりに永野先生から「落ち着けお前ら」と注意される始末。
「まぁ、大目に見てあげなさいよ、綾子。なんたって、澤野さん以外がトラックレースでで優勝したのは初めてなんだから」
由香里さんの言葉に私は動きが止まってしまう。
「どうしたんですか聖香さん? ハトが豆鉄砲を食ったような顔をしてますし」
きょとんとしている私の顔を、横から紘子が不思議そうに覗き込んでくる。
「いや……。私以外の優勝って、初めてだっけ……」
そうなのだ。私にはそれが信じられなかった。
だって、今まで中国地区総体にも出場しているし、駅伝でも2年連続2位、紘子にいたってはインターハイ4位なのに。
「なんだ澤野? えらく驚いてるが? そうだぞ。今の湯川の優勝が、澤野以外では初のトラック優勝だな。区間賞は何度かあるが。うむ、これは駅伝部として大きな前進だな」
永野先生は妙に嬉しそうにしている。
でも、確かに分かる気がした。
麻子の優勝は、間違いなく桂水高校女子駅伝部の流れを変えてくれるはずだ。
レースを終えて戻って来た麻子とアリスに、みんながお祝いの言葉を次々と述べる。
「今日の朝、散歩中にアリスと約束したの。1、2位を独占して駅伝部の流れを良い方向へと変えてみせようって。達成出来て本当に嬉しい。今まで、走りの面ではキャプテンとしての役目を果たせてなかったら」
麻子は大きな使命を成し遂げたと言わんばかりに、胸をなでおろしていた。
その後行われた表彰式。一番高い台に立った麻子は、まるでサンタクロースからプレゼントをもらった子供のように、嬉しそうな顔をして私達に手を振っていた。
「なんとも嬉しそうな顔ね、麻子」
「日本選手権で表彰台に上がった澤野は、あれ以上に嬉しそうな顔だったんだが……。あまりの嬉しさに、笑顔が溢れて、なんとも可愛かったぞ」
私の横で笑う永野先生に、「はいはい。また冗談を」と返す。
すると、永野先生が携帯を取り出し、一枚の写真を見せてくる。
それを見て私は顔が真っ赤になってしまった。
今、永野先生が語ったことが真実だと分かってしまったからだ。
陸上雑誌にも表彰式の写真は掲載されていなかったため、まったく気付いていなかったのだ。
自分で言うのもなんだが、これは喜び過ぎではないだろうか。
本当に恥ずかしくて、「他の部員には見せないでくださいね」と、強く永野先生にお願いせざるを得なかった。
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