259区 永野先生の思い
次の日の朝、私が目を覚ますと布団が2つ程空になっていた。
麻子とアリスが出かけているようだ。
2人は今日が試合なので、体を動かしに散歩にでも行ったのだろう。
その後2人が帰って来て全員で朝食を取り、競技場へと出かける。
紗耶がいないと全部で8人しかいない。
そうなると、10人乗りの由香里さんの車一台で私達を運べるし、現に昨日は競技場から旅館まで1台で移動したのだが……。
「澤野。お前はこっち」
なぜか名指しで指名され、私だけ永野先生の車に乗る。
「あの、なんで私だけこっちなんですか?」
「いや、お前にだけは教えておこうと思ってな。宮本が正式に明彩大に行くことが決まったそうだ。昨日の夜に牧村さんから連絡が来た」
その報告に私は思わず嬉しくなる。
小柴さんがどんな反応をするのか、すごく気になった。
ふと、私は運転する永野先生の横顔を見る。
先生と出会って約2年半。
いくら私でも、その横顔を見ただけで分かったことがあった。
「で? 永野先生。私だけをこっちの車に連れてきた理由はなんですか?」
たった今聞いたことを、もう一度口にする。
「なんとも勘の鋭いやつだな」
「明らかに、なにかを言いたそうな顔をしてますよ」
私が笑いながら答えると、逆に永野先生は苦笑いをする。
「藤木と大和妹を競わせて、部の底上げをするつもりだったんだが……。私の考えは失敗だったのかな。私が今回のエントリー種目を発表した後のあの2人の会話。私も聞こえてたんだがな……。彼女達の思いの強さを計り損ねていたのかもな。特に藤木があそこまで思い詰めていたなんて、昨日、本人から聞くまで想像もしていなかった」
永野先生の言葉で、私もその時の紗耶と梓の会話を思い出す。
発端は、県選手権のエントリー発表を終えた永野先生が部室から出て行った直後だった。
「紗耶センパイ。負けませんからね。確かに部として都大路出場を目指し練習をして来ました。でも、うちはそれと同じくらいに葵姉の果たせなかった思いをうちの手で叶えたいって考えています。確かに紗耶センパイは3年生で今年が最後の年かもしれません。うちがメンバーに選ばれたら紗耶センパイが走れないかも知れない。それが分かってても、うちは絶対に手を抜くわけにはいきません」
「わたしは一歩も引く気はないんだよぉ~。わたしにだってメンバーを勝ち取りたい理由があるんだよぉ~。相手があずちゃんでも、容赦なく全力で叩き潰してあげるから」
あの時、紗耶が言ったメンバーを勝ち取りたい理由。
それが、あんなにも重いものだったなんて、あの時の私は想像も出来なかった。
いや、昨日のみんなの反応を見る限り、誰も想像出来ていなかったのではないのだろうか。それこそ、永野先生を含めて全員が……。
「てか、永野先生が弱みを見せるなんて珍しいですね」
私の言葉に永野先生がクスッと笑う。
「まぁ、弱みを見せるために、澤野をこっちに呼んだんだからな」
「はい?」
「いや、お前が私に憧れてるのは知ってるからな。人間、憧れてる相手に対しては良い所しか見えてなかったりすることも多いもんだ。現に私の走りを理想にしてる人間は、走る私の姿しか知らなかったりするしな。だが、澤野には私の弱さも含めて、きちんと全部を見て欲しと思っただけだ。1人の人間としての永野綾子ってやつをさ」
その言葉を聞いた時に、「ああ、こう言う人だからこそ、私は憧れているんだろうな」と、しみじみと感じてしまう。
照れくささにも似たくすぐったい気持ちを誤魔化すために、
「大丈夫ですよ、永野先生。先生のダメなところは、この2年半で散々見てますから。ほら、永野先生に紹介されて、まほさんの所に行った時にも、色々聞きましたから」
と、私が笑いながら言い放つと同時に、永野先生が、
「おい。ちょっと待て! お前、まほから何を聞いたんだ! え? 待てよ。あいつ、そう言うところはめっちゃ口が堅いはずなんだが」
と、今までに見たことがないくらい狼狽えた姿を見える。
この姿を見て、あの時、まほさんが独り言のように叫んでいた内容はすべて事実だと確信してしまった。
「前から気になってたんですけど、永野先生とまほさんってどんな関係なんですか? まほさんにも聞いたことなくて。後輩だと言うのは分かるんですが」
私の質問に永野先生が、ふっと笑う。
「まほは、中学の時の後輩なんだ。私が3年生の時の1年生。だから2つ年下か。まほ自身は全然陸上部でもなかったし、正直中学生の時は存在すらしらなかったんだがな……。仲良くなったのは、私が実業団に入ってからだ。なんの縁か知らないが、あいつも、もみじ化学に入社して来てな。あいつは短大を卒業して一般職として入って来たんだ。その時の部署がたまたま私と同じでな。よくよく聞いてみたら、中学も一緒で。私はまほのこと知らなかったんだが、まほは私のことを知っていたらしい。校内のマラソン大会でぶっちぎりで1位を走ってたのが印象に残ってたそうだ。笑えるのは、まほの方が後から入って来て、私よりも先に辞めたことだな。2年で辞めたのかな。やりたいことが見つかったって……。まぁ、もみじ化学にいた時も仲が良かったし、その後も頻繁に連絡を取ってたんだよ。何度も、まほの実験台になったこともあるしな。てか、付き合いが深い分、あいつ私の秘密を知り過ぎてるんだよな。秘密の種類によっては、由香里よりもまほの方が知ってるかもしれん。なんと言うか、由香里に喋ったら絶対に怒られそうなことをやらかした時などは、まほに相談してたし」
永野先生の説明に、2人の縁が予想以上に強かったんだと思った。
そんなやり取りをしていると、競技場へと辿り着く。
私と永野先生がスタンドに行くと、麻子とアリスがアップへと出かけるところだった。
「2人とも頑張ってね」
「まかせて聖香。優勝してくるから」
「同じくアリスも優勝して来ます」
「いや、それ絶対にどちらかの願いしか叶わないから!」
2人の宣言に、私は思わず突っ込みを入れてしまう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます