258区 紗耶の思い・・・

「綾子から連絡があって……。藤木さん、精密検査のために1日入院するそうよ。御両親が今病院に向かわれてて、そのまま明日実家に帰るって。綾子は藤木さんの両親に事情を説明してからこっちに来るみたい。それと、藤木さんの容態だけど……」


由香里さんが唇を噛みしめる。

とても良い言葉は期待出来ない。

私はそう感じた。


「最低でも数日間は絶対安静。全治にはおおよそ一ヶ月から一ヶ月半くらいかかるみたい。どうも、ぎっくり腰のかなり酷い状態だそうよ。詳しくは綾子が夜に説明するって」


今が9月の終わり。県駅伝が11月上旬。


今の由香里さんが告げた一言は、紗耶が県駅伝のメンバーから外れることを意味していた。


あまりの出来事に涙が出そうになった。

でも、麻子の一言がそれを止めてくれた。


「つまり、都大路には間に合う可能性はあると言うことですね。それがせめてもの救いです。頑張って都大路を勝ち取って、紗耶が走れる場所を作ってみせます」


そうだ。

都大路は12月の中旬。

可能性は残っている。


「もうやるしかないわね」

私の一言に麻子も頷く。


「まったく、やってられませんし」

紘子がため息を付く。


麻子が一瞬だけ紘子を睨んだのを、私は見逃さなかった。


「どうなってるんですか3年生は。晴美さんは勝手に1人で都大路に行ってしまう上に、いなくなってしまうし。紗耶さんは都大路じゃなきゃ走れないってわがままを。聖香さんにいたっては、夏の間引きこもり。おまけに麻子さんは模試でD判定しか出ないくらい頭悪いし。しょうがないですね。そんな先輩方が少しでも楽出来るように、自分も今まで以上に努力します。慶に負け続けるのも、いい加減飽きました。今年の1区で慶に勝って流れを引き寄せてみせますし」


「ちょっと紘子!」

麻子が紘子に詰め寄る。


「なんであたしの模試の結果を知ってるわけ。てかあれは、第一志望がD判定なだけで、第二・第三志望はB判定が出てるのよ。それに勉強なら一ヶ月半引きこもっていた聖香を心配するべきでしょ」

麻子が私に話題をふって来る。


でも、麻子には申し訳ないが真実を述べるしかなかった。


「ごめん麻子。引きこもって体力が落ちたのは事実なんだけど、学力はそこまで落ちてなかったみたいで……。復帰してすぐに受けた模試の結果が一昨日帰って来たけど、第一志望はA判定だった」


こっちを見ていた麻子の口があんぐりと開いていた。

朋恵と梓が耐え切れなくなったのか、くすくすと笑いだす。


「こら、朋恵、梓。笑わないでよ。頭の良いあなた達2人に笑われると、余計に私の頭の悪さが際立つのよ。だいたい、頭が悪いってのは、聖香の専売特許だったはずでしょ? なんでいつのまにかあたしのポジションになってるのよ」


これには誰もが耐えられず、大笑いしてしまう。

よく見ると、由香里さんまでもが声を押し殺すように笑っていた。


夕方になり、食事のために大広間に行くと、貴島祐梨がこっちにやって来た。

やはり今回も、城華大附属と宿舎が一緒だったのだ。


「ねぇ、さーや大丈夫なの? 突然倒れたけど。今どこにいるの? メール送っても返事返ってこないし、電話にも出ないんだけど」

矢継ぎ早に聞いてくる貴島祐梨は涙目になっていた。

きっと紗耶のことを本気で心配しているのだろう。


そんな貴島祐梨にさきほど由香里さんから聞いたことを説明する。

ただ、県駅伝には間に合わないことは黙っておいた。


夕食を取って部屋に戻りお風呂へと行く。いつもなら、旅館に着いたら食事の前にお風呂なのだが、今回はバタバタしており後回しとなっていた。


お風呂から上がり、荷物を片付けていると、部屋のふすまが開く。


「おまえら、ちょっといいか」

永野先生がいつのまにか旅館に到着していたようだ。

私達はすぐに作業を辞めて、先生の前に座る。


「由香里から大体のことは聞いていると思う。あれから少し事情が変わってな。藤木は検査入院だけでなく、そのまま2・3日くらいは入院することになりそうだな。まずは絶対安静が優先だそうだ。それと容態だが、簡単に言うとぎっくり腰だな。厳密には違うのだが。ただ、相当ひどくやっているようで、県駅伝はメンバーから外すしかなさそうだ」


「あの……。どうして藤木さん、あんなことになったのでしょうか?」

朋恵が恐る恐ると言った感じで、永野先生に質問する。


「私もそれは疑問に思ったんだ。で、藤木に聞いてみたんだけどな……」

永野先生が大きなため息を付く。

まるで、とても言いにくい言葉を口から吐き出す覚悟を決めるように。


「責任をずっと感じていたんだと……」

私は言葉の意味が分からなかった。


隣にいた紘子を見るが、紘子も首を傾げるだけだった。

周りを見渡しても、みんな不思議そうな顔をしている。

どうやら、部員の誰もが意味を理解していないようだ。


「まぁ、本人はすべて話しても良いと言っていたが……」

一言喋り、また永野先生は口をつぐむ。


「昨年の県駅伝。城華大附属に負けたのは自分のせいだと、藤木はずっと思っていたらしい。だからあの駅伝以降、少しでも強くなろうと、部活とは別にほぼ毎日10キロくらい走っていたそうだ。今回の件も、原因はあきらかにオーバーワークによる疲労の蓄積だ」


ふと、紗耶の双子の姉、亜耶と夏に出会った時のことを思い出す。


あの時、紗耶が朝練をしていると言っていたが、まさか一日に10キロも走っていたとは……。


それ以前に、紗耶がそこまで自分を責めていたなんて。


普段の部活でも、紗耶は今まで以上に練習を頑張るようになっていた。でもそれは、私自身も思っているような『今年は最終学年だし、なんとしてでも都大路へ』と言う気持ちからだと思っていた。


まさか昨年の責任を感じていたからだったとは想像すら出来なかった。


「馬鹿でしょ紗耶。あの時の敗因は別に紗耶じゃないのに。なんであたし達に何も相談せずに、1人で抱え込んでたのよ」

麻子は自分の唇を噛みしめ、ギュッと拳を握っていた。


その後は誰も喋らなかった。

永野先生すら黙ったままだ。

しばらく重たい空気が部屋に流れる。

この空気を変えたいと思っても、その方法が分からなかった。


「忘れないうちに伝えておく。明日の朝食時間だが」

黙っていても仕方ないと思ったのだろう。

事務的な要件を伝え、永野先生は部屋を出て行こうとする。


が、ふすまの前で足を止めた。


「最後に、今ここにいる全員に伝えておく。我々の目標はあくまで都大路出場だ。それに一切の変更はない。ただ、その目標に対して絶対に1人で思いつめないでくれ。駅伝は1人で走れるもんじゃない。藤木を含め全員の力がいるんだ。これ以上誰かが欠けるのは困る。それに……。こう言う言い方は卑怯かも知れないが……。園村が悲しむ顔はこれ以上見たくない」


私達の反応を見ることなく、永野先生は部屋を出て行った。


「晴美が今の現状を見たら、なんて言うんでしょうね」

麻子が消えるような声でぽつりとつぶやく。


誰もがその一言に複雑な顔になる。


「多分晴美はそんなに難しいことは口にしないと思う。『よく考えて欲しいかな。さやっちと梓ちゃんの3000mのタイム差はそんなにないんだよ。決して桂水高校女子駅伝部としての戦力が低下したわけじゃないかな。それにさやっちだって都大路を走れる可能性は残っているわけだし。勝手に悲観的になる前に、まずは自分に出来ることをやるべきなんじゃないかな』とかそんな感じ? はは。幼稚園の頃から一緒だったのに、晴美の口癖って意外に分からないや」


頭の中で必死に晴美の姿と行動を思い出しながら真似てみた。

真似てみると、晴美はいつも前向きな発言が多かったなと気付く。


「すごい。さすが聖香さんですし」

「いや、本当に晴美ならそう言いそうだわ」

なぜか紘子と麻子が驚きの顔でこっちを見る。


自分ではそうでもないように思っていたが、どうやら予想以上に似ていたようだ。 


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