232区 めぐりあわせ

「牧村さん。残念ながら、大きな勘違いをしています。澤野は明彩大には進学しません。先日、澤野ともきちんと話しをしましたが、自分の夢のために一般入試で大学を受けるそうです。仮に大学に受からなかった場合、舞衣子がいる熊本の実業団を希望しています。舞衣子も澤野が来たいと言うなら、それが3月でも枠を空けてくれるみたいです」


それを聞いて牧村さんがあきらかに不機嫌になる。


「永野! じゃぁ、あんたなんでわたしをここに呼んだわけ? わたしは澤野を取れると思って来たのに!」


「まぁ、落ち着いてください。ところで今先頭を走った子、誰か知ってます?」


「いや。ちょっと気にはなってたけど、あれ誰? あきらかに高校生じゃないでしょ。あそこまで髪を染めている高校生なんていないし」


私は体操をしている宮本さんを見る。

麻子と紘子がすっかり宮本さんに懐いており、楽しそうに話しをしていた。


「一昨年まで城華大附属高校にいた、宮本加奈子って言うんですけど、分かりますか?」

永野先生の質問に牧村さんは、「あぁ」という表情になる。


「うちの小柴が高校生の時に、都大路で競り合った子ね。てことは城華大か。でも昨年の全国駅伝では見なかったけど。故障中だったのかしら。まぁ、今の走りを見る限り今年はレギュラーで出てきそうね。うちに欲しいくらい良い走りをするわ」


牧村さんの考察に永野先生は声を上げて笑い出す。


「牧村さん。宮本は色々あって城華大には進学しなかったんですよ。入学式直前で入学を断ったんです。今は桂水市の文房具店で働いています。いわゆる市民ランナーってやつですね。で、話を戻しますが、先ほど澤野のために推薦枠をひとつ増やしたと……。ここまで話せば、あとは分かりますよね?」


永野先生の説明を聞くと、今度は牧村さんが吹き出してしまった。


「あんた、とんでもない策士ね。昔はあんなに素直な子だったのに。まぁ、いいわ。あんたの策にはまってあげるわよ。てか、こんなチャンス二度とないだろうしね」

牧村さんの言葉を聞いて、永野先生は「どうもすみません」と頭を深く下げる。


「ねぇ、宮本さん。ちょっといいかしら」

牧村さんが大声を上げて宮本さんに手招きをする。


突然呼ばれて驚きながらも、宮本さんがこちらにやって来る。

何かあったと思ったのか、紘子と麻子まで付いて来た。


「初めまして。わたし、明彩大の陸上部監督をやってる牧村里美です」

「初めまして。あの……、明彩大ってことは、小柴瑠璃がいるところですよね?」


「あ、うちの小柴を知ってるんだ。だったら話は早い。あなた、うちの大学に来ない? あなたが来たいと言うなら、S級推薦をあなたに使うわ」

牧村さんの発言に、宮本さんは驚きの声を上げてしまう。


「いえ、待ってください。最近どこかに属して走りたいと思っているのも事実ですが……。何より私は、色々あって一度城華大から逃げてます。それにもう今年で20歳ですよ? 第一、大学に入る学力もお金もないです」


宮本さんは突然のことにあたふたしながら、早口気味に必死で説明していた。


「了解。つまりなんの問題もないと言うことね。じゃぁ、どうしようか。とりあえず、あなたの家を教えてくれる? ご両親ともきちんと話しをしたいから」


「いや、問題だらけでしょう!」

牧村さんの返答に、初対面ながらも宮本さんがつっこむ。


「だから、問題ないのよ」

牧村さんは、説明するのが面倒くさいといった感じで話を続ける。


「うちの部は、一般入試で入って来た人間の入部も受け入れてるの。だから、浪人して入学した子も何人か部にいるわよ。さらには、一般入試で入った子が4年生になってレギュラーを勝ち取ったこともあるし。それにあなたに対して使おうとしているS級推薦は、試験は面接のみ。学費も部活を続けるなら四年間学校が全額出すわ。それと城華大に入る時は色々あったみたいだけど、今はもう一度競技として走りたいと思ってるんでしょ? わたしだって走りを見たらそれくらいは分かる。と言うわけで、なんの問題もないでしょ。質問は?」


牧村さんはじっと宮本さんを見る。

わずかな沈黙があったのち、

「特にないです。来年からよろしくお願いします」

と、宮本さんは頭を下げて答える。


結局この後、宮本さんと牧村さんは2人で何か話し合い、帰って行った。

どうも、宮本さんの実家に行くようだ。


「こんな偶然ってあるんだ。なにがどうなってるのかさっぱり。てか、良いな推薦……」

麻子は目の前で起きた出来事を、偶然の結果と片付ける。

でもそれは多分間違いだ。

きっと永野先生が裏で色々動いていたに違いない。


私の予測が当たっていたと分かったのは、晩御飯を食べ終わって、トイレに行った帰りだった。廊下の隅で永野先生が電話をしていた。


「そう言うわけで、宮本は無事に明彩大に入学出来そうです」

「え? いえいえ。とんでもないです。阿部監督にはいつもお世話になってますから。これくらいのことは。でも本当に良かったんですか? 牧村さんの所じゃなくても、水上舞衣子のいる実業団も紹介出来たんですが」


電話の相手は、城華大附属の阿部監督のようだ。


「ああ、そんなもんなんですか? てか監督は生徒を大学に進学させるの好きですよね。私の時もそうだったし。いえ、もちろん感謝はしていますよ」

「はい、そうですね。それではまた。失礼します」


電話越しで相手が見えないのに、永野先生は何度もお辞儀をしながら電話を切っていた。


電話が終わり、振り返った永野先生と目が合う。


「ビックリした。澤野か」


「やっぱり、今日のこと偶然じゃなかったんですね。まあ、2人のことを知ってる私からしたら、偶然はないなって感じでしたけど」


「まぁな。阿部監督に頼まれてたんだよ。宮本をどこかに紹介できないかって。監督も宮本のことを随分と心配してたみたいだしな。これでも色々迷ったんだぞ。他にも実業団や大学に知り合いもいるし。まあ、おまえ達が路頭に迷わないようにするのも、私の務めだしな。幸い、今いる部員は澤野以外は路頭に迷いそうにないがな。学力的に見て」


「いや、私これでも頑張ってるんですけど」


「あはは。分かってるよ。本当に澤野の学力がダメだったら、こんな冗談は口にしないさ。さて部屋に戻るかな。明日はついに合宿最終日だ。由香里が楽しみに待ってるってさ」

それだけ言うと永野先生は部屋に戻って行った。


私は1人廊下に残される。

窓から見える夕方の景色は、随分と寂しそうに見えた。

ふと、この合宿所から見る景色はこれが最後だと気付く。


誰もいない廊下でそんなことを考えると、涙が出そうになってしまう。

涙をこらえるために、一度目をぎゅっと閉じてから静かに開き、私も急いでみんなのいる宿泊部屋に戻ることにした。

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