233区 夏合宿終了
いよいよ合宿最終日。
毎年恒例、海までのジョグと打ち上げの日だ。
荷物を永野先生の車に乗せ、私達は海に向けて走り出す。
「梓、きっと驚くわよ。覚悟しなさい」
麻子がいたずらを仕掛けた子供のような顔で梓を見る。
「残念です麻子センパイ。海へ向かうのになぜか山を登るのは、葵姉から聞いてますから。あと、麻子先輩が1年生の時に、それについて叫んでたのも知ってますよ」
麻子は梓の言葉を聞いて、心底悔しそうな顔をする。
「そう言えば、あずちゃん。色々とあおちゃん先輩から聞いてるみたいだけど、わたし達のことは何か聞いてるのかなぁ~」
「え? まぁ……。入部前にみなさんのことを、葵姉から教えてもらいましたけど……」
紗耶の質問に梓は苦笑いする。
「聞きたいですか?」
梓の問いかけに、誰もが返事を渋る。
なんだか、とてつもなく嫌な予感がする。
「よし。まずは聖香の分を聞いてから判断する」
「何それ麻子! 自分のを聞けば良いでしょ」
「聖香センパイですか。確か……」
私の意見はまったく無視され、梓が何かを思い出している。
「聖香センパイは……。走ることにすべての能力を費やした人。だから頭脳も胸もちょっと残念。と、葵姉が言ってました。うちじゃないですからね。葵姉ですからね! ちなみに説明してくれる時の葵姉の顔がめちゃくちゃ可愛くて。まるでいたずら好きの子供みたいな顔をしてたんですよ」
梓が自分の言葉ではないことを強調しつつ、葵先輩の可愛さについて語り出す。
「これは、他の人を聞いちゃだめですし。葵さん鬼ですし!」
紘子の意見にみんなが賛成する。
「聖香の犠牲は無駄にはしないわ。さぁ、勝利のために前進あるのみよ」
麻子は元気よく前を指差し、軽くペースを上げる。
いや、その前に私の犠牲は良いのか。
正直、かなりの大ダメージを受けたのだが。
特に身体的特徴について……。
自分で分かっていても、他人に言われるとダメージは大きい。
「アリス的にはそんなことないと思いますよ。せいかさん、勉強もしっかり頑張ってるじゃないですか。部活であさこさんや、はるみさん達と話しているのを聞いてると分かります。胸が足りない分を、勉強でカバーしているんだなって」
なぜだろう、最後の一言が妙に引っかかるのだが……。
もういっそのこと、自分ではっきり言ってしまおうか。「どうせ私の胸は恵那ちゃんよりも小さいし、ぺったんこですよ」って。
そんなことを悩みながらもたんたんと走り、今年も無事に海の家へと到着する。
「合宿終わったぁ~!」
「わ…わたしも今年は頑張りました!」
「アリスも最初はどうなることかと思いましたが、無事に終わってよかったです!」
麻子、朋恵、アリスが海に向かって大声で叫ぶ。
毎年のことながら、この解放感はなんとも言えない。
私だって叫びたい気持ちでいっぱいだ。
でも、それと同じくらい……。
いやそれ以上に、これで合宿も最後という寂しさの方が大きかった。
「なんだか終わってみると寂しいなぁ。せいちゃんは別だけど、わたしとあさちゃん、はるちゃんは、こうやって合宿をやるのは最後なんだよぉ~」
紗耶の言いたいことが一瞬分からなかったが、自分だけは熊本合宿へ行くことを思い出した。今年の合宿は毎日が充実しており、実業団合宿のことをすっかり忘れていた。
「でも、みんなとこうやってやる合宿は私も最後なのよ? やっぱり寂しいよ」
私が呟くと紗耶も「そうだね」と頷く。
「それではみなさん。合宿お疲れ様でした。この合宿の成果が、駅伝で発揮されることを楽しみにしています! 乾杯」
由香里さんの掛け声で打ち上げが始まる。
「こうやって打ち上げが出来るのも、今年で最後なんだよぉ~」
「でも来年の今頃は、大学生活を楽しんでいるんじゃない? いや楽しんでるはずよ。大丈夫、きっと楽しんでる。浪人だけは絶対に嫌!」
紗耶と麻子がバーベキューを食べながら語っている。
気のせいか、麻子はなんだか自分自身に言い聞かせている感じがするのだが。
そうか。終わる寂しさだけを考えていたが、来年は新しい生活も待っているのだ。
そう考えると不思議と元気が出て来る。
「いや、お前ら何か勘違いしてないか。別に最後にしなくても良いんだぞ? 夏休みの最後の一週間、もう一回合宿やるか?」
永野先生の問いかけに、私達全員が必死で首を振る。
バーべキューを食べた後、私はのんびりと海を見ていた。
海岸ではアリスと麻子、それに紗耶が花火で遊んでいる。
と、隣に晴美が座って来る。
「何を考えてるのかな。聖香」
晴美が私の顔を覗き込んでくる。
「この駅伝部のメンバーに出会えてよかったなって」
「なにか変な物でも食べたのかな」
「別に食べてないからね。今年で最後だもん。色々考えたりするよ」
「まぁ、それはそうかな。私も最後のチャンスの結果待ちなんだよね。ほら、大型連休の時に見せた絵があるでしょ。全国高校駅伝のイメージポスターコンクールの結果が出るのが一ヶ月後かな」
晴美は結果が待ち遠しいけど、知るのも怖いとつぶやく。
「そう言うのってドキドキするよね。駅伝でもさ、自分が走り終わってタスキを渡した後は仲間を信じて待つんだけど、すごく緊張するもん」
「じゃぁ、今年はそのドキドキはないかな」
「え? どう言うことよ」
晴美は周りを警戒するように辺りを見回す。
誰もいないことを確認しながらも、私に耳打ちするようにそっと語り掛ける。
「みんなには絶対に内緒かな。合宿中に永野先生が言ってた。今年は何があってもアンカーは澤野だなって」
思わず私は晴美から顔を離して、まじまじとその顔を見る。
「ほら、城華大附属に市島さんが転入して来たでしょ。永野先生はそれをずっと気にしてるみたいだったかな。城華大附属のメンバーから考えて、市島さんはきっとアンカーだし、それに対抗できるのは桂水の中では聖香しかいないって。永野先生、随分と聖香を信用してたかな」
まるで自分が褒められたかのように、晴美は嬉しそうに話しをする。
「ねぇ聖香。今年の県駅伝、どこで応援してほしいかな? 今年は最後だから、聖香の応援に回りたいって、永野先生に頼んでみようと思ってるんだけど」
「う~ん。ラスト1キロかな。金魚橋を渡り終えて少し行った辺りとか、その辺。多分、あの辺りが勝負の別れ目になると思うから」
私が答えると晴美も笑顔で頷く。
「わかった。じゃぁ、そこで聖香にしっかりと声が届くように大声で応援する。あ、私の声が聞こえたら合図してね。う~ん……。左手でガッツポーズってことで良いかな」
「なにそれ。恥ずかしいんだけど。先頭で走ってたらテレビにも映るんだよ」
「そこが狙いかな。きっと何年経っても良い思い出になると思うよ」
晴美はクスッと笑うと、立ち上がって麻子達の方へ歩いて行ってしまった。
1人残され私は考える。
麻子がさっき言ったとおり、来年の今頃にはきっと大学生として新しい生活を送っているはずだ。
それはこれから何があってもやって来る未来。
具体的に言うなら、今年都大路に出場しても、しなくてもやって来る未来。
でも同じ未来なら、楽しい思い出が多い方が良いと思う。
この仲間で作る最高に楽しい思い出。
もちろんそれは、都大路出場だろう。
それに今、ひとつだけ思ったことがあった。
もしも都大路に出場し、私がアンカーを走れたなら、何年も前に永野先生が走ったコースを自分の脚で走れるのだ。それはなんだか、とっても素敵なことのような気がしていた。
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