193区 1秒

3キロを通過すると同時に藍葉が葵先輩に追い付く。

そのまま抜かすのかと思いきや、藍葉は葵先輩の後ろへぴったりと付いて走る。


藍葉め、とことん葵先輩にプレッシャーをかける気なのだろうか。


でも、そう簡単には行かないと思う。


「さぁ、先頭に追い付いた城華大附属の山崎。しかし、ここは追い付くだけ。まずは相手の後ろに付き、しっかりと走りを見極めた上で勝負所を決めようというのか。山崎は昨年の県高校駅伝、そして都大路もアンカーを走っているだけあって、こう言った駆け引きが非常に得意です。しかし、対する桂水高校の大和も非常に落ち着いている。追い付かれても表情ひとつ変えることなく、淡々と走っています」


解説者の言うとおり葵先輩は本当に落ち着いていた。藍葉に追い付かれてからどころか、紗耶からタスキをもらった時から、まったく表情を変えることなく走り続けている。


葵先輩の落ち着いた走りは、昨年の県高校総体でも見ているので、驚きはしない。


だが、藍葉がその葵先輩の真後ろに淡々と付いて行くのは、正直かなり意外だった。

藍葉の性格からして、後ろにぴったりと付くのは300m位が限界かと思っていた。


なんと言うか、私の中で藍葉は、どことなく我慢が出来ないイメージがあるのだ。

しかし、後ろにぴったりとついたまま、すでに500mも走っている。


「何よ藍葉。まさか本気で勝つ気なの?」

「澤野センパイ。さっきあたしが言われた言葉をそっくり返しましょうか?」


何気なくつぶやいた一言に、工藤知恵がツッコミを入れる。

さっきとは真逆の展開だ。


このレースを見ていて、気になることがひとつだけあった。


藍葉の走りは何となく理解出来た。

では、葵先輩はどうする気なのだろうか。

早めにどこかで仕掛ける気でいるのか。

それとも、山崎藍葉が前に出たらひたすら付いて行き、ラストで仕掛ける気なのか。


今の葵先輩の走りからは全く想像がつかない。


藍葉が追い付いて700mが経過すると、金魚橋に差し掛かる。昨年私が1区を走った時は1キロを過ぎてからこの橋だったが、逆走になる5区ではこの橋を渡り終わるとラスト1キロとなる。


橋の上は風が出ているのか、ポニーテールにしている葵先輩はまだしも、肩まで伸びた藍葉の髪は左側へと流れていた。


そしてその橋を渡り終えると、ついにレースが動き出す。


「さぁ、ラスト1キロを切ったところで、桂水高校の大和がペースを上げて来た。先ほどまでよりもピッチを上げ、前へと懸命に進む。後ろに付いていた城華大附属高校の山崎、一瞬離れたもののすぐに追いつく。だが、ペースが上がったせいか、先ほどまでのように余裕を持って付いて行くのではなく、懸命に付いて行くといった感じだ。手元の資料のよると2人の今期3000mのタイム差はわずかに2秒。力的には、ほぼ互角と言っていいでしょう」


解説者が喋り終わると同時だった。

ついに、藍葉が先頭に出ようと、葵先輩を抜きにかかる。

思わず、携帯を持つ私の手に力が入る。


だが、葵先輩がここで意地を見せた。


「山崎が抜かそうとしたところで、桂水高校の大和がそれを阻止するかのように横へ並ぶ。山崎が上げたペースに付いて行く大和。これは本当にすごい。過去23年間、ここまで城華大附属高校を苦しめた学校は存在しません。桂水高校によって歴史が変わるのか。さあ、勝負の行方はトラックへと持ち越されます」


歴史が変わるのではなく、変えてやるんだ。永野先生ならそう言いそうだ。

自分の考えに、自然と笑いが込み上げて来る。

隣の工藤知恵が、携帯の画面を見るのを辞め、不審そうに私の顔を見て来た。

思わず私は咳払いをしてごまかす。


携帯の中の2人は、そんな私達の状況を知るよしもなく、並走したまま陸上競技場へと入って行く。


スタンドの下をくぐり抜けるほんの一瞬でレースが動いた。

競技場内のカメラに切り替わり、まず先に映ったのは葵先輩だった。

映像が葵先輩のアップになる。


葵先輩は腕を懸命に振り、少しきつそうに呼吸を繰り返しながらも、必死で走っている。ポニーテールにまとめた髪が揺れ、それを留めている青色の小さなリボン付きの髪留めが、日の光を浴びて輝いていた。


今年になってから、昨年以上に練習を頑張っていた葵先輩。

その成果を、ぜひここで発揮して欲しい。


葵先輩がリードを奪ったまま100m走り、残りはトラック1周。


葵先輩が先頭に立ってはいるものの、藍葉も3歩後ろを付いて来ている状況だ。

祈るような気持ちで、私は食い入るように携帯の画面を見る。


「大丈夫、藍葉さんならいける」

工藤知恵は、もはや私の存在など気にすることなく、必死で応援をしていた。


「さあ、ラスト250mで再び城華大附属高校の山崎が先頭に追い付く。桂水高校の大和も先ほどと同様、意地を見せます。絶対に前には出させない! そんな気持ちが溢れた走りで懸命に並走する。しかし、山崎が、山崎が前に出る。ラスト200m。2区で澤野が先頭を奪って以来、ここまでそれを守り続けて来た桂水高校。ラスト200mで王者城華大附属高校がトップを奪い返した」


アナウンサーの実況に熱が入る。それとは対照的に、私は随分と冷静だった。

大丈夫です、葵先輩。まだ負けたわけじゃありません。落ち着いて付いて行きましょう。ラスト100mでまたチャンスがあります。


自分の思いがどうか届いて欲しいと願いながら、頭の中で必死に祈る。


祈りが通じたのだろうか、葵先輩は先頭こそ奪われたものの、藍葉の後ろにぴったりと張り付いていた。


ついにラスト100mの直線になる。それと同時に葵先輩がもう一度藍葉の横に並び、2人はそのまま並走して走り続ける。携帯で見ていても、2人の気迫が伝わってきそうだ。


私も県総体の1500mで千夏とラストまで競い合いながら走ったので分かる。

ここまで来たら、もはや走力ではなく、精神力の勝負だ。


残り50mを切ったところで、藍葉が一歩前へと出る。


「さぁ、城華大附属高校が前に出た。だが桂水も懸命に追う。桂水高校の大和が再び並ぼうとする。が……、距離が足らない! 先にゴールしたのは城華大附属高校! これで24年連続都大路出場。2位の桂水高校はわずかに1秒差。しかし過去24年の歴史で、これほどまでに城華大附属高校を追い詰めた学校は存在しません。創部2年目の桂水高校大健闘。優勝した城華大附属高校の記録が1時間7分16秒。これは城華大附属高校が全国制覇をした時、都大路で出した県記録にあと7秒と迫るものすごい記録です。もちろん歴代2位。そして1秒差の桂水高校の記録が歴代3位。本当に今年はレベルの高いレースでした」


歴代3位? 正直そんなものはどうでも良かった。

たとえ歴代何位だろうと負けは負けだ。

そう、私達は負けたのだ。たった1秒差で……。


あまりの悔しさに、隣に工藤知恵がいるのに……、いや、もっと言うなら、選手を輸送するバスの中だというのに、私は声を上げて泣き出していた。

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