194区 『大和 葵』

バスが到着すると、工藤知恵は「お疲れ様でした」と気まずそうに挨拶をして席を立った。


私もずっとここで泣いているわけにもいかず、気合いを入れて立ち上がり、バスを降りる。


そのまま真っ直ぐにゴール付近へと向かう。そこには紘子と永野先生、由香里さん、晴美がいた。葵先輩の姿が見当たらないが、着替えに行っているのだろうか。


「聖香さん、すいませんでした。自分がもっと慶に喰らい付いていれば」

謝って来る紘子の眼からは、取り留めなく涙が溢れていた。


「別に紘子が悪いわけじゃないでしょ。紘子はよく頑張ったよ。気持ちを切り替えて来年また頑張ろうよ」

紘子を落ち着かせようと優しく笑おうとするが、私自身、涙が止まらずまったく笑えていなかった。


しばらくすると麻子と紗耶も帰って来る。


麻子が紗耶の荷物を持ち、肩を貸すような状況でこっちに歩いて来る。

紗耶がどこか脚でも痛めたのかと思ったが、そうではなかった。


「みんなぁ、本当にごめん。わたしのせいだよぉ~! わたしがすべてをぶち壊してしまったんだよぉ!」


自分では立てないくらいに、紗耶は泣きじゃくっていた。

ふと、いつか見た大泣きする永野先生のインタビューを思い出す。

だが、今の紗耶はそれ以上に酷い状態だった。


「ひろちゃんとせいちゃん、あさちゃんが作ってくれたリードを、わたしがすべて台なしにしちゃったんだぁ~。本当にみんなごめんなさい! わたしが情けない走りをしたから。あおちゃん先輩にも負担を……」


そのまま紗耶は麻子の肩から崩れ落ちる。その場に正座するような形で座り込み、ひたすら泣き続けた。


いつもなら、こう言う時は麻子の出番となるのかも知れない。でも、その麻子も唇をぎゅと噛みしめて涙を流しており、もはや誰も紗耶に声を掛けられない状態だった。


「お前ら、とりあえず泣くのを辞めろ。別に誰が悪いとかじゃないだろ。藤木だって、3キロの自己記録を塗り替えるペースで走っているじゃないか。悔やむことなんてないだろう」


永野先生の言葉が耳に入って来るのだが、本当に入って来るだけ。

頭の中では言葉の内容がまったく理解出来ていなかった。


「まったく、みんなどうしたのよ? そんなに泣きじゃくって。ここはお通夜会場なわけ?」

後ろを振り返ると、葵先輩が着替えから戻って来ていた。


「ごめんねみんな。最後抜けなかった。せっかくみんながうちにタスキを繋いでくれたのに、台なしにしちゃった。本当に一生恨んでくれてもいいからね」

葵先輩が胸の前で両手を合わせ、苦笑いしながらペロと舌を出す。


私はふと、葵先輩が涙ひとつ流していないことに気付いた。


他のみんなも気づいたのだろう。

みんなの顔が驚きと戸惑いへと変わって行く。


「だいたい、泣く必要なんてないでしょ。確かに都大路に行けなかったのは残念だったわ。でも、あの城華大附属をあそこまで追い詰めたのよ。胸張りなさいよ。それにあなた達にはまだ来年があるんだから。来年また頑張ればいいじゃない。ね、そうでしょ?」


葵先輩の一言に私を含め全員が泣くのを辞める。


「分かりました葵さん。来年こそは、絶対に都大路に行ってみせます」

やはりこう言う時、真っ先に返事を返すのは麻子だ。


「さすが麻子。次期部長は切り替えが早いわね」

「はい?」

言われた麻子が自分で自分を指差す。


「もう今年の駅伝は終わったのよ。だから麻子、あなたが今から部長よ。まぁ、うちは前にも言ったとおり防衛大に行きたいから、体力を落とさないためにも、当分の間部活には出続けるけど……。でも、部活を引っ張って行くのは麻子に任せるわね」


「それはそうですが、なぜあたしなんですか? 聖香の方が足が速いですよ?」


「いや湯川。別に速い奴がキャプテンになるシステムを作るつもりはないぞ。今年は大和1人だったが、毎年、3年生の話し合で次のキャプテンを決めてもらおうと思ってる。と言うか、私自身、お前たちの代で一番キャプテンに相応しいのは湯川だと思うしな」

永野先生の説明に誰もが頷く。


気付くと、もう誰も泣いてはいなかった。泣いてばかりはいられないのだ。

常に私達は前へと進まなければならない。




そして駅伝の次の日……。





葵先輩は学校へ来なかった……。





さらに次の日、部活にやって来た葵先輩は、「いったいどれくらい大泣きしたのですか?」と、聞きたくなるほど 目元が真っ赤に腫れていた。


でも葵先輩はそのことについて何も語らないし、私達も聞くことが出来なかった。

ただ、駅伝のゴール後に涙ひとつ見せなかったのは、葵先輩なりの優しさだったのだと、この時初めて感じた。


あの場面で自分が泣いたら、私達が責任を感じてしまうと思たのだろうか。

真相は分からないが、私はこの時、葵先輩のすごさを改めて感じた気がした。


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