188区 一歩目から全力疾走

私がアップを終え荷物置き場に戻って来ると、付き添いで来ている晴美が走ってやって来た。


「紘子ちゃん、無事にスタートしたかな」

晴美が喋りながら私の顔に携帯を近付けて来る。


携帯にはテレビ中継の映像が映っていた。


「さあ、各選手が総合運動公園の敷地を抜け、県道へと出て行きます。昨年はこの付近ではまだ団子状態でしたが、今年はすでに2校が飛び出しております。昨年度優勝のゼッケン1番城華大附属高校、同じく昨年度2位の桂水高校。2校とも1区を走るのは1年生。これからどのようにレースを展開して行くのかが注目されます」


映像を見る限り、紘子の調子は問題なさそうだ。


私は晴美にお礼を言って更衣室へと行き、汗を全部ふき取ってユニホームへと着替える。その上からジャージを着て、さらにベンチコートを羽織る。


更衣室から出ると、ちょうど最終点呼が始まるところだった。


まずは城華大附属が呼ばれる。工藤知恵がコートを開け、ゼッケンを見せる。次に私が呼ばれ、係員にゼッケンを見せに行く。その時工藤知恵とすれ違うと、向こうが軽く会釈をして来たので私もそれを返す。


ゼッケンを見せ終わ、時計を見ると、先頭到着予定時刻まであと10分となっていた。


晴美の所に戻り、中に着ていたジャージを脱ぎ始める。

10分間ならベンチコートだけで十分だし、なによりゼッケンを呼ばれてからではジャージを脱ぐ暇なんてない。


「紘子ちゃんがもうすぐ中間地点かな」

晴美が携帯の音量を上げる。


「さぁ、先頭の城華大附属高校、住吉が間もなく中間点を通過。タイムは9分27秒。2位の桂水高校は若干差が開いたか。とは言うものの、桂水高校も中間点通過は9分30秒。後続とはかなり差を広げています。今年の県高校駅伝は1年生がなんとも元気です。そう言えば昨年の1区で区間賞を獲得した澤野も1年生でした。その澤野が2区に待ち構えている桂水高校。1年生の若宮、なんとしても良い位置で澤野にタスキを渡したいところです」


急に名前を呼ばれ、恥ずかしさのあまり赤面しそうになる。

それをごまかすように、荷物置き場から中継地点に行こうとすると、晴美も携帯をベンチコートのポケットに入れ、立ち上がった。


2人して歩き始めると、後5分で選手が到着することを係員が拡声器で伝えて来る。


さっきの映像を見る限り、紘子の脚はよく動いていた。

住吉慶と紘子はそんなに差が付くことなく来るとだろう。


もちろん、差がどうであれ、私のやるべきことはただ一つ。


城華大附属と1秒でも差を広げ、先頭で麻子にタスキを渡すのみだ。


広報車が中継所を通過して行き、中継所内の緊張は最高潮に高まって来る。


「はい、先頭が入ります。ゼッケン1番、2番」

城華大附属と桂水高校が同時に呼ばれる。


予想どおり差はそこまで大きく広がっていないようだ。


晴美にベンチコートを渡し、中継所へ入ると、工藤知恵がすでに立っていた。


中継所で軽く体操をしながら待っていると、先導の白バイが入って来る。


1区はラストの1キロで小刻みなアップダウンがあり、中継所の手前は下り坂になっている。


その下りに住吉慶が姿を現す。

遅れること約5秒、紘子の姿も見える。

2人は相当速いペースで走っているのだろう。

グングンとその姿が大きくなって来た。


「慶ラスト!」

「紘子、ファイト!!」

工藤知恵の大声に負けないように、声を張り上げて紘子を応援する。


まずは住吉慶が中継所に入って来る。


「ちっち、あとお願い」

「任せて」

住吉慶と工藤知恵は、短い言葉を交わしタスキリレーを行う。


すぐに紘子も中継所に入って来た。


「紘子、お疲れさん」

「聖香さんファイト」

紘子に声を掛けてタスキを受け取ると同時に、私は一歩目から全力疾走で走り出す。


「聖香、前と6秒差」

姿は見えないが晴美の叫ぶ声がする。


6秒差か。

1キロ以内に工藤知恵に追いついてやる。

私は晴美にお礼を言うように、少しだけ左手を上げた。


走り出してすぐにタスキを肩に掛ける。タスキは紘子の汗で濡れていた。

紘子の汗と一緒に、紘子の走りと思いもタスキに染み込んでいる気がした。

このタスキに、今度は私が思いを込めて麻子へ渡すのだ。


ぎゅっとタスキを握り、自分がやらなければならないことを確認する。


まずは前に追いつかなければならない。

自分のペースが若干オーバーペースなのは十分に分かっている。

それでも今はスピードを緩めるわけにはいかない。


まだ走り出して200mも行っていないが、スタート時に比べ、工藤知恵の姿はあきらかに大きくなっていた。お互いの差は3、4秒しかないのではないだろうか。


工藤知恵が前へと進むたびに、ショートカットの髪がリズムよく跳ねている様子が確認出来る程までに、私は差を詰めていた。


おそらく向こうも、足音や周りの声援で、差を詰めれていることを知っているはずだ。


いや下手をすると、レース前から詰めれてしまうことを覚悟しているかもしれない。


それが確信に変わったのは、1キロ直前で工藤知恵に追い付いた時だった。


元々工藤知恵と並走する気がなかった私は、一切スピードを緩めることなく、そのまま彼女を追い抜く。


それと同時に、工藤知恵が私の後ろにぴったりと付いて来た。


私が抜く瞬間も、焦りでフォームが崩れることもなく、息遣いも一切変化がなかった。それどころか、後ろから聞こえる息遣いや足音からは、絶対に離されてなるものかという気迫すら感じる。


こういう走りが出来るということは、間違いなく最初から抜かれる覚悟があったと言うことだ。その上でいかに頑張るかを考えていたのだろう。

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