189区 聖香の戦略

工藤知恵を引き連れた状態で1キロを通過する。


自分の時計を見ると3分3秒というタイムを表示していた。

私より6秒前に工藤知恵が中継所を出たので、彼女の1キロがおよそ3分9秒だろう。


どうやら、私も工藤知恵も3000mの自己記録とほぼ同じペースで最初の1キロを入ったようだ。


まぁ、私は1度しか3000mを走っておらず、あくまで3000m障害のタイムから永野先生が計算した予測上の記録だが。


タイムが分かった瞬間に工藤知恵はすぐに離れていくだろうと思った。お互いのペースがあまりにも違いすぎるからだ。


しかし、その予想はあっけなく外れてしまう……。


離れるどころか、私の影のように張り付いている。さらには歩幅とリズムまで合わせているのが足音で分かる。2人で走っているのに道路を蹴る音は一つしかしないのだ。


中継所で待つ時に見た限りでは、私の方が彼女よりも身長が10㎝近く高い気がした。それだけの差があれば、当然歩幅にも差が出て来るはずである。それなのに、私の真後ろで歩幅まで合わせているあたり、工藤知恵は無理矢理に歩幅を広げているのかもしれない。


もうすぐ2キロ地点というのに、相変わらず工藤知恵は私の真後ろにいた。


自分の区間で1秒でも突き放したい私にとっては、予想外の出来事と言っても良い。

予想外の展開に、焦りが出ているのか、自分の体から出る汗が妙に冷たい気がする。

ぞくに言う、冷や汗だろうか。


ただ、朝の散歩でも感じたとおり、私自身の調子は良い。

しっかりと脚も動いている。

ここで焦ることはないはずだ。


今はしっかりと自分の走りに集中しなくては。

自分に言い聞かせるようにしながら、後ろにぴったりと張り付いている工藤千恵にばれないように、ゆっくりと静かに深呼吸をする。


もうすぐ2キロと言うところで急に応援が増える。ちょうど道路の反対側が第3中継所なのだ。つまりは4区のスタート。紗耶と付添いの朋恵がいる場所だ。


「せいちゃん、頑張ってぇ!」

「澤野さん、ファイトです」


2人の声が聞こえるが、そちらを向く余裕がなかった。

工藤知恵が真後ろにいるせいだ。


「工藤、上出来だよ。そのまま頑張れ」

誰かが後ろを走る工藤知恵を応援している。聞いたことがない声だ。

もしかしたら城華大附属の4区を走る西真奈美さんかもしれない。


2キロを通過し、時計を確認する。この1キロは3分5秒。私のペースは決して遅くない。むしろ、ペースが早過ぎて若干きついくらいなのだが。


速いペースで走るきつさと、工藤知恵にぴったりと付かれると言う予想外の展開に、焦ってはダメだと分かっていても、心が落ち着かない。


ふと、頭の中でいつだったか山崎藍葉が言っていた言葉が蘇る。


工藤知恵は練習中でも藍葉にぴったりと付いて来ると愚痴をこぼしていた。言われてみれば、総体と選手権、工藤知恵はどちらも3000mに出場していたが、自分でレースを作るというよりは、ひたすら付いて行くレースをしている。


そして、そのどちらも後半で力尽きたのか、先頭集団から離れていた。


つまり、今のこの状況も別段不思議なことでもなく、もしかしたら後半で工藤知恵が失速する可能性もあると言うことなのだろうか。


一瞬、前を引っ張る私がワザとペースを緩め、工藤知恵に先頭を引っ張らせたらどうなるのだろうと思った。


県総体で私が千夏にしたことをもう一度やってみようと思ったのだ。


思い立つと同時に、すっと私がペースを緩める。


それに合わせて工藤知恵もペースを落とし、私の後ろに付いたまま走る。

ペースを落とせば先頭に出てくれると思ったのだが、どうやら相手は徹底的に後ろについて粘る作戦のようだ。


それだったら仕方ない。こっちも振り払うのに全力を使うのみだ。

気持ちを切り替え、私はペースをトップスピードに戻す。


元のペースに戻した時にあることに気付く。工藤知恵も同じようにペースを上げ、ぴったりと付いて来るのだが、先ほど違い、足音のリズムが微妙にずれ出していた。


私がペースを変えたせいでリズムが崩れたのだろうか。


試しにもう一度ペースを緩めて50mほど走り、またペースを元に戻す。


ペースを戻した時には、今以上に私と工藤知恵の足音がバラバラになる。


ペース変化でリズムが崩れる辺り、やはり私のペースは工藤知恵にとって、かなり速いペースだったのだろう。もしかしたら、無理を承知で付いて来ていたのかもしれない。さらにはぴったりと付いてくるために、身長差がありながら歩幅を合わせていたようだし。


そんな状態のなかで、私がペースを上下させ揺さぶったので、リズムが崩れたようだ。


元に戻したペースで200m走り、また工藤知恵の足音が私の足音と重なるようなら、もう一度揺さぶってみようと考えていた。


だが、その必要はなかった。


偶然の結果ではあるが、さきほどの揺さぶりで工藤知恵は耐えきれなくなったらしく、100m走ったところで足音が少しずつ遠のき始めた。


でも、これで安心してはいけない。


私のするべきことは、先頭に立ち1秒でも城華大附属との差を広げることだ。


付近に距離表示はないが、先ほど2キロ地点を通過したところから考えると、残りは1500mを切ったところか。


ふと、永野先生が一ヶ月前に言っていたことを思い出す。


「今季山口県の1500mは、今のところ澤野がランキング1位だな。3000m障害で全国高校ランキング1位の上に、1500mでも県1位とはさすがだな」


もちろん、紘子や住吉慶が1500mを走ったらどうなるかは分からない。でも公認記録上では私が県で1位なのだ。


そう考えると、残りの距離をますます頑張ってやろうと言う気になった。

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