187区 紗耶の不安
「よし! 出来たわよ」
麻子が私にタスキとペンを渡して来る。
昨年同様、ミーティング前にタスキへ思いを込めて行く。ちなみに昨年使ったタスキを今年もそのまま使っている。ただよく見ると、昨年とは違うお守りが付いていた。
「まさに伝統って感じがするわね」
永野先生が昨年のタスキを出した時、葵先輩は妙に嬉しそうだった。
麻子からもらったタスキを見ると『一走懸命』と書かれていた。
思わず、昨年の部分を見返してしまう。昨年の麻子は『一走不乱』と書いていた。
今年はきっと、一生懸命が元ネタなのだろうが……。正直麻子のセンスが分からない。
私を含め全員が書き終わると永野先生の話があり、昨年同様葵先輩に出番が回って来た。
「今年必要なのは、落ち付いた気持ちだとうちは思うの」
そんな出だしで葵先輩は私達に語り出す。
「今年綾子先生が組んだオーダーは、先行逃げ切りのオーダー。つまり早い段階でうち達が先頭に出る可能性があるってことね。城華大附属に追われながら先頭を走るって、きっとかなり緊張すると思うの。でも、だからこそ落ち着いて行きましょう。緊張や焦りは体に余計な力が入って動きを硬くするしね。もしかしたら、先行逃げ切りが上手く行かずに追う展開になるかも知れない。そんな時も焦らずに前を追いましょう。常に落ち着いていつもの走りをすれば、きっと良い結果が付いて来るわ」
昨年もそうだったが、葵先輩の言葉には不思議な力が込められている気がする。今の話を聞いただけで、明日のレースはしっかりと良い走りが出来る気がして来た。
次の日の早朝、目を覚ますとまだ辺りは暗かった。携帯で時刻を確認すると5時半。
昨年もこの時間に眼が覚めた気がするのだが……。
二度寝する気にもなれず、みんなを起こさないように、そっと部屋を出て散歩に出る。
空を見上げるといくつもの星が瞬いていた。きっと今日は快晴になるのだろう。
今日やるべきことは、しっかりと理解している。
城華大附属との差を1秒でも広げる。それだけだ。
城華大附属2区の工藤知恵とはこれが初対戦。しかし特に問題はない。走力的にみても絶対に私の方が上だ。もちろんそれを分かって、永野先生は私を2区にしたのだろうが。
試しに50m程度軽く走ってみる。
それだけで脚が随分と軽いことが分かった。
大丈夫、今日はやれそうだ。
「せいちゃん。待ってぇ~」
呼ばれて振り返ると、紗耶が走って追いかけて来ていた。
「せいちゃんが部屋を出て行ったから、わたしも出て来たんだよぉ~」
私の横に並ぶと紗耶も一緒に歩き出す。
そう言えば、県総体の時もこうして2人で散歩に出かけた。あの時は今日とは逆で、紗耶が出かける物音で私が目を覚ましたのだが。
「今年こそ都大路行こうねぇ~」
まるで独り言のように紗耶がぽつりとつぶやく。「行こうね」と私も静かに返す。
「正直わたし、ちょっとだけ不安なんだよぉ~。ほら、4区だけ城華大附属のメンバーがまったく知らない人でしょ。実はめちゃくちゃ速い人だったらって昨日から考えてて……。だからあまり寝られなかったんだよぉ~。わたしが足を引っ張ったらどうしようって。せいちゃんが部屋を出たのにすぐ気付いたのも、それが理由なんだよねぇ~」
いつもは部のムードメーカと言えるくらいに明るい紗耶。
だが、今の声はかなり沈んだ声だった。
そう言うポジションに立っているせいか、紗耶は自分の悩みごとや弱音などをあまり部活では喋らなかった。いや、そうしないからムードメーカーなのかもしれないが……。
そんな紗耶から不安の声を聞くのは随分と変な感じだが、やはり紗耶でも悩みや不安は人並にあるんだなと思った。
「大丈夫だよ紗耶。昨日葵先輩も言ったとおり、あとは私達の走りをするだけよ。それに駅伝は何が起こるか分からない。もしかしたら私が大ブレーキをするかもしれないよ」
「あはは。せいちゃんに慰めてもらうなんて変な感じなんだよぉ。てか、せいちゃんがブレーキをするってのは現実味がない例え話なんだよぉ~」
私の言葉を聞いて、紗耶はいつもの明るさを取り戻していた。
私に慰められるのが変な感じなのは、根本的に紗耶が普段悩みを語らないせいなのだが、それは黙っておいた。
紗耶は現実味がないと言うが、実際私も大ブレーキを起こしたことがある。あれは中学1年生の県駅伝だった。
1500m1年の部で県4位だった私は駅伝でエース区間を走ることになった。1年でエース区間というのは、自分が思った以上にプレッシャーだったようで、10位でタスキをもらい、途中7位まで順位を上げたものの後半大失速。結局、次の区間に渡す時には12位にまで順位を下げてしまった。
今となっては懐かしい思い出だが、当時は相当落ち込み、部活の先輩や晴美にずいぶんと慰められたものだ。
2人で旅館に帰って来ると、みんなもすでに起きていた。いや、よく見ると紘子だけはまだ寝ている。1区を走るなら、早く起きておかないと体が動かなくなるだろうに……。紘子レベルになると、そう言ったことはあまり関係ないのだろうか。
そんな紘子も朝食時間直前にはきちんと起き、全員で朝食を取って予定どおりの時間に競技場へと向かう。
駅伝もトラックレースも同じ陸上競技場を使っているのに、不思議と駅伝の時だけは陸上競技場の雰囲気が違うように感じる。
なんと言うか、トラックレースの時に比べ、静かにどっしりと構えて見える。
そのせいか、競技場に集まる各学校の選手や、あちこちに立てられた各学校ののぼりが、余計にでも華やかに見えてしまう。
「2区以降の選手及び付き添いの方、バスの準備が出来ましたので乗車をお願いします」
役員の声が拡声器をとおして響き渡る。
「いよいよね。次に全員がそろうのはゴール後よ。もちろん今年は笑顔で集まりましょう」
葵先輩はそれだけ言って昨年同様に右手を出す。昨年は少しだけ恥ずかしかったが、今年はそんな気持ちは一切なかった。
私達が次々に手を重ねて行く。全員が手を重ね、円になって集まった所で、葵先輩が大きく息を吸い込む。
「絶対に最後まであきらめない。自分のをすべてを出し切ろう。行くわよ都大路! 桂水高校女子駅伝部! ファイト!」
「「「「おー!!」」」
昨年もそうだったが、こうするとやる気が湧いてくる来るのだから不思議なものだ。
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