167区 女子800m決勝

そして迎えた800mタイム決勝最終組5組目。いよいよ私の出番だ。 


私は3レーンからという絶好の位置からスタートとなっていた。すぐ目の前にある4レーンには千夏がいる。


相手が千夏で距離が800mと短いため、一瞬の油断も出来ない。幸いにも私が3レーンから追いかける側だ。


スタートと同時に、千夏を追いかけるようにスピードを上げて駆け出す。


100m走り、セパレートからオープンになった所で、千夏が4レーンからインへと入って来る。私も千夏と並走しながらインへと入っていく。


バックストレートの直線。私がイン側、千夏がアウト側で私達はぴったりと並走して先頭を走る。横にいる千夏は息をほとんど乱すことなく走っている。夏休みにスピード練習をやっていただけのことはある。私は若干息が切れ気味になっているというのに。


200mを走り、カーブになった所で、千夏はあっさりと私の後ろに下がった。カーブを並走するとその分距離が長くなる。それを嫌ったのかもしれない。


偶然なのか、作戦なのかは分からないが、千夏がぴったりと付いて来ると、すごくプレッシャーがあった。


正直、先頭を走っているというより、先頭を走らされている感じだ。


ヘビに睨まれたカエルの気持ちがほんの少しだけ分かる気がした。


ホームストレートを駆け抜け、ラスト1周の鐘が鳴る。ここで仕掛けて来ると思ったが、千夏はまだぴったりと私の後に付いたままだ。


なぜか私はこの時、自分の走り方について考えていた。


私が先頭で走り続け、相手がひたすら付いて来る。その相手と最後まで競り合い続けて勝つのが、私の勝ちパターンと言っても良い。


多分、この走り方は中学生の時から変わっていない。このレースも完全にそのパターンだ。


千夏は夏もスピード練習をしていたらしい。もちろん私に勝つためだ。


もしかしたら、勝つために私の走り方を研究しているかもしれない。つまり、ひたすら先頭を引っ張り続ける私のレースパターンを熟知している可能性もある。


ふと思った。

それを自分から崩したらどうなるのだろうと……。


思いついた瞬間、私はギアーを一段落とすように、一気にスピードを緩めた。


「ちょっと……」

後ろから千夏の声がした。どうも、私がペースを落としたため、ぶつかりそうになったのだろう。その証拠に、私が地面を蹴った足に千夏の足がコツンと当たる。


私はもう一段ペースを落とす。千夏も一緒にペースを落とすが、我慢しきれなかったのだろう。30mも行かないうちに私を抜いて先頭へと出た。


先頭に出た千夏の後ろに今度は私がぴったりと付く。でも……。その後ろ姿には、県総体で戦った時のような凄みがまったくなかった。なんと言うか、気迫が全くなく、ただ走っているだけという雰囲気だ。


バックストレートを抜けラスト200mになる。


ここでもう一度勝負を仕掛けようと千夏を抜き返す。前回同様、ラストでの争いになることを覚悟して。


だが、千夏はほとんど抵抗することなく、あっさりと私に先頭を明け渡し、後ろを付いて来ることもなかった。


ラスト100mの地点で、後ろからの足音も息遣いもまったく聞こえなかった。

油断しないようにしつつ、千夏が追い付いて来たら対応出来るように気を張りながら、いつものラストスパートよりは一段ペースを落とし、ラスト100mを駆け抜ける。


明日の1500mに備えて少しでも体力を温存しておきたかったのだ。

私がゴールして一息つくと千夏がゴールする。


「やられた! 完全に予想外だった。あれで完全にリズムが崩れたわ」

千夏が悔しそうに私を睨む。


「いや、私もあそこまで効果があるとは思わなかった」


「完全に想定外だった! 夏休みも県総体の1500mを思い出しながら、ひたすらあなたに付いて行くイメージで練習してたの。もちろん、自分が前に出ることも想定してたけど、それは聖香と競り合って競り合って、前に出るイメージだったのよ!」


千夏が悔しそうに大きなため息をつく。


「まさか、自分からペースを落として来るとは思わなかった。正直、完全にあそこで気持ちが切れてた……。あたしもまだまだね」

スタンド下に移動しながら千夏は笑っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る