166区 県選手権開幕
県選手権の当日、私はプログラムを見て驚いた。
「な……なんで清木千夏が800mにエントリーしてるのよ。って、1500mにまでエントリーしてるし」
競技場の玄関前でプログラムを由香里さんから受け取り、その場で確認をしてみたらこのありさまだ。
県総体で接戦を演じた相手と今度は2種目で戦うことになった。2種目ともまったく気が抜けない戦いとなりそうだ。でも、なんでだろう。すごくわくわくしている自分がいる。
「それよりも澤野聖香。なんであなたは、3000mにエントリーしてないのかしら」
私の驚いた声が聞こえたのだろうか。横を歩いていた城華大附属の集団から、山崎藍葉がやって来た。
「あなたは私と勝負する気がないのかしら。それとも、負けると分かって逃げてるわけ?」
「だから……。そっちはどうか知らないけど、うちの学校は監督が出場種目を決めるの。だいたいそんなに勝負がしたいなら、次の総体であなたが1500mに来なさいよ」
少しだけ口調を荒げる私とは対照的に、山崎藍葉は冷静に何度も頷いていた。
よく見ると、藍葉の後ろに貴島祐梨もいる。
「やっほー。あれ、澤野さん今日はあのエッチなメイド服じゃないんだね」
貴島祐梨はワザとらしく笑う。それとは逆に私は苦笑いをするしかなかった。
「プログラム見たよぉ。ゆーちゃんも1500mなんだ。まるで中学の時みたいだよぉ~」
紗耶が貴島祐梨を見て嬉しそうにはしゃぐ。よく考えてみると、紗耶が1500mに出場するのは高校生になって初めてだ。
藍葉と貴島祐梨と別れ、スタンドに上がり、ゴールの真上付近に荷物を置く。
ここが桂水高校のいつもの場所となっていた。
「昨年もそうだったけど、着いてすぐにアップってのは落ち着かないわね」
愚痴を言いつつも、私は自分のバックからスパイクやユニホームを取り出し、準備を始める。
「でも……。早く終わるから良いと思います」
「いや、私明日もあるから……。って、どうしたの朋恵? 表情がガチガチじゃない。もしかして緊張してる?」
「いえ……。そんなことないですよ。ほら、手だって叩けますし」
朋恵がパチパチと拍手をするが、いったい何の意味があるのかさっぱり分からない。
「それはお酒に酔いすぎたら、手を叩こうにも、両手が同じ場所に来なくて手が叩けないってやつでしょ? 那須川さん」
由香里さんに指摘され、朋恵は顔を真っ赤にして大人しくなる。
「さて、オチが着いたところで私は行ってきます」
みんなに笑顔でそう伝え、私はアップへと出かける。
アップ会場になっている補助競技場の前で千夏に出会った。
「ねえ聖香! あなた、800mと1500mのどちらにも名前があったけど……」
「色々あってね。どっちも出場するよ」
永野先生の記入ミスだということは、さすがに黙っておいた。
ふと千夏の体を見ると、心なしか、県総体の時よりも体が細くなっている気がした。
ハーフパンツから見える脚は、あきらかに前よりも引き締まっている。
きっと、相当練習をしているのだろう。
「そっかぁ……。本当に2種目出るのか……」
なぜか千夏は大きなため息をつき、肩を落とす。いったいどうしたと言うのか。
さっきプログラムを確認した時に気付いたが、千夏も800mと1500mの2種目にエントリーしていたはずだが……。気になったのでその件について聞いてみた。
「いや、あたしはどうしても聖香と勝負がしたかったから、800と1500のどちらにもエントリーして、聖香が出場しない方は棄権しようと考えてたのよ! まさか本当に、2種目とも出て来るとは!」
「だったら、千夏は私と勝負したい方に絞れば?」
「そんなハンデいらないわよ! あたしはあなたと同じ条件で勝負したいの。あなたが2種目出るならあたしも出る!」
千夏は強気に私の提案を跳ね除ける。
まぁ、私が逆の立場でも絶対にそうするだろう。それに、藍葉とえいりんでも同じことを言いそうだと思い、ふと笑いが出てしまう。
そんな私を見て千夏が不機嫌そうな顔をする。
「随分と余裕じゃない。まさか、あたしが2種目走れないとでも?」
「いや、違うわよ。どうして、私に勝負を挑んで来る人は、みんな素直と言うか、正面からドンとぶつかって来るのかなって」
私の回答の意味が分からなかったのか、千夏は不思議そうに首を傾げる。
だがすぐに、「ああ、そう言うことか」と納得し、何度も頷いていた。
と、今度は急にニヤッと笑顔になって、私を指差す。
その変わりようは、まさに『ネコの目のよう』と言うことわざがぴったりだ。
「聖香、黙っておこうかと思ったけど、良いことを教えてあげる! 総体の時に話したけど、あたしが通う野田川高校の長距離部員はあたしだけなの。当然駅伝になんて出場出来ない。だからあたしは、夏休みもスピード練習ばかりしていたわ! この意味が分かるでしょ?」
それを聞いて苦笑いするしかなかった。
通常、夏休みぐらいから、どの学校も走り込を始める。駅伝に向け体力をつけるためだ。
しかし走り込が多くなる分、スピードが若干落ちる。
それでも駅伝前には走り込をやらざるをえない。
なぜなら、駅伝では最低でも3000mを走らないといけないからだ。
その走り込み練習をせずに、スピード練習ばかりしていたと言う千夏。
これは強敵になるかもしれない。そう思いながら、いつも以上に念入りにアップを行う。
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