69区 麻子初陣!

大会2日目は朝からバタバタしていた。朝食を6時に食べ、7時には旅館を出発する。葵先輩と麻子が出場する1500mのタイム決勝が9時から始まるためだ。


「さぁ、今度はあさっちのデビュー戦かな」

私の横に座っている晴美は、プログラムを見ながらちょっとだけ嬉しそうにしている。


大会中、晴美はマネージャーとしてフルに活動しており、私達のラップや記録を全て計測している。マネージャーとしての立派な仕事ぶりに、永野先生も随分と上機嫌だった。


「あさちゃん毎日頑張ってるから、努力が報われて欲しいなぁ~。それにしても、やっぱり城華大附属はすごいよぉ。3000mに続き、1500mも最終組に3人いるんだよぉ~」


紗耶の言葉どおり、スタートラインには蛍光オレンジのユニホームを着た選手が3人いる。1人は昨日会話をした貴島祐梨だが、それ以外の選手の名前が分からないので晴美に聞いてみると、2人とも2年生で岡崎澪、三輪さくらと言う名前が返って来た。


それから少し経ち、スタートを告げるピストルが鳴る。麻子と葵先輩のタイムを計ろうと自分の腕時計を押し、動いていることを確認するために画面を見た瞬間だった。


「あ! あさっちがこけた!」

晴美が極めて冷静に、最悪の事実を告げる。


トラックに眼をやると、スタートラインからわずか3mの所に、華麗に飛び込んだ競泳選手のごとく、両手を前に出して寝そべる無残な麻子の姿があった。


その姿を見た瞬間、私は気付く。


「よく考えたら麻子って、こんな大人数でスタートするの初めてよね」

それを聞いて、紗耶と久美子先輩どころか、永野先生までもが「あぁ……」と納得する始末。


私の一言が聞こえていたのだろうか。「うるさいわね。ちょっと油断したのよ」と言わんばかりに麻子は立ち上がり、再び走り出す。だが、一つ前の選手ともすでに30m程差が付いていた。


そんな麻子の事情とは関係なく先頭が400mを通過する。なんと先頭は葵先輩だ。

葵先輩はスタートと同時に先頭に立ち、ここまでレースを引っ張り続けていた。


葵先輩が400mを通過する時に、私は振り返り、後ろに座っていた永野先生を無言で見つめる。私が見つめた理由が分かったのだろう。永野先生がすぐに口を開く。


「あれは私の指示だ。オーバーペースでもなんでもいいから、いける所までは力を使い切ってでも先頭で走り続けろと言ってある。力尽きて順位もタイムも途中でガタ落ちしても良いから、とにかく先頭で行けと」


その意味するところが私には分からなかった。

なぜそんなことをする必要があるのか。

どうしても知りたかった私は、永野先生に尋ねてみる。


「簡単なことだ。澤野が1区で区間賞を取ったら、2区を走る大和は城華大附属に追われる展開になるからな。今のうちにそういう状況を経験しておいた方が良いだろう」


色々とツッコミたいことがあった。私が区間賞を取ることが前提なこと、葵先輩が2区を走ることになっていること……。


それを再度尋ねると「普段の練習の走りを見て、湯川はアンカーの方が良いと判断しただけだ」と、あっさり答えが返ってくる。


「そのあさっちが頑張ってるかな。これはすごいよ」

ラップをプログラムに書き込んでいる晴美の言葉どおり、麻子はこけた遅れを取り戻そうと懸命に走っていた。そのペースはあきらかに先頭を走る葵先輩よりも速い。


「澤野は別として。うちの駅伝部で一番才能があるのは、間違いなく湯川だろうな」

レースを見ながら永野先生がしみじみと言う。


なぜ私が例外なのかはよく分からなかったが、先生の意見は正しいと感じていた。


なんと、先頭が800mを通過するのと同時に、麻子は先頭集団に追いついてしまったのだ。先頭集団は麻子を含め6人となる。


「後必要なのは経験だな。あきらかに湯川、先頭に出ようとしてるだろう。ここは落ち着いて行くべきなんだが……。そもそも根本的に、こんなに焦って先頭集団に追いつく必要もなかったのだがな」


永野先生の言うとおり、麻子は先頭集団に追いついてもペースを緩めることなく、どんどんと前へと出て行く。


だが……。


「麻子の電池が切れた」


久美子先輩が手のひらサイズのパソコンのキーボードをタイプするのを止め、トラックを見て心配そうな声を出す。

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