10区 永野綾子の指導方針

先輩達との食事会から三週間近く経ち、私達1年生もジョグと流しと筋トレだけの練習だけでなく、先輩達とのポイント練習も加わる。


「3人とも引退してからあまり走ってないようだしな。まずは体作りからだな」

私が入部した日から、永野先生の指示で、1年生3人は別メニューが組まれていた。


この一ヶ月で気になったのは、永野先生はあきらかに陸上経験者なのではないかということだ。

私達へのアドバイスなどは非常に的確で、何度も感心することがあった。


例えばある日、部室に入って来たかと思うと、壁に大きな紙を張り出した。


そこには大きな文字で、

『自ら考える・自ら行動する・自らをアピールする』

と書かれていた。


「走るうえで私が大切だと思ってるのが、この3つだ」

一言前置きをして、永野先生が私達全員に説明をしてくれた。


まず『自ら考える』だが、駅伝はバスケや野球などの球技と違い、監督がレース中に適時指示を出すのが難しいという特性があるそうだ。


つまり、「選手が自らで考え、レースを作っていかなくてはならない」と永野先生は断言する。


だからこそ、普段の練習などで自ら考える力を養う必要があるそうだ。


そのために、桂水高校駅伝部では練習前のミーティングで、その日の練習を自分はどういった目的意識を持って行うのか、1人1人が発表することになっている。


例えば1000mのタイムトライだった場合、3000mのラスト1キロを意識するのか、1500mの入りの1000mを意識するかによって走りも違ってくる。


自分に必要なものが何か。足らないものは何か。


そういうことを意識して目的を考えなければならないので、なかなか大変だ。


でも、これをやり始めて、明らかに練習の質が高くなった気がする。


中学生の時は、与えらえたメニューをこなすだけで精一杯だった。今はメニューをこなすのは当たり前。こなした上で、さらに目的まで持って行うのだ。


「与えられたメニューをただこなすだけでは、一切身に付かないからな」

日々、口癖のように永野先生は言っている。


次の『自ら行動する』は、さらに難しい。


「走るってのは、他のスポーツと違って、技術的なことが非常に少ない。その分、日々の生活がもろに影響するんだ。だからこそ、普段から自ら積極的に行動しろ。日常生活で自ら行動できないやつは、レースでも絶対に積極的な走りは出来ない。あいさつを進んでする。他の生徒の模範となる行動を進んで行う。苦手なことに積極的にチャレンジする。普段からそういったことを自らの意志で行っていけば、レースでも一番苦しいところで動けるようになる」


つまり、365日24時間すべてが練習へとつながることを意識しろというわけだ。


最後の自らを表現するは説明をされてやっと理解出来た。


「これには2つの意味がある。まずは走りで自分をアピールして欲しい。自分はこれだけ走れるんです。こんな走りが出来るんですというのを日々私に見せてくれ。もう1つは自分の状態に関することだ。例えば、練習できつい、苦しいというのは岩にでも噛り付く気持ちで耐え抜け。でも、痛みに関しては積極的にアピールしろ。痛みを無理して走っても意味がない。私の持論だが、一日無理して一週間走れなくなるより、一日走るのを我慢して一週間練習出来た方が、後々のことを考えると良いからな」


中学生の時、痛いのを我慢して故障してしまい、レースを棄権した経験のある私にとっては耳の痛い話だった。


ちなみに永野先生の考えで、桂水高校女子駅伝部では朝練をおこなっていない。


「確かに走行距離が強さに比例するという事実はあるがな。でもそれは、実業団選手レベルでの話だ。お前らはまだ高校生。体もまだまだ成長途中だ。まずはしっかりとした睡眠と朝食を優先しろ。その分夕方の部活で、集中して目的意識を持って練習すれば総合的には強くなれる」


中学生の時は朝練もやっていた私にとって、最初は信じられない話だったが、今ではこのやり方がいかに素晴らしいかを、身に染みて感じている。本当に睡眠と朝食は大切だ。


そんなこともあり、私はふと永野先生の経歴が気になったのだ。


そのことを思いだし、部活終了後、着替えている最中に、先輩達に聞いてみたのだが、先輩方2人も何も知らないらしい。


「先輩達も知らないんですね。明日、永野先生に直接聞いてみましょうか?」


「あら? 聖香は4月ボケのようね。明日から学校も部活も三連休よ」

葵先輩の一言に私はハッとする。

そういえば4月も淡々と過ぎて行き、気が付けば明日から5月の大型連休だ。


「高校生になってもう一ヶ月かぁ。あっという間なんだよぉ~」

私も紗耶と同じ気持ちだ。


入学してすぐはドタバタして目まぐるしかったが、それをとおり過ぎると日々充実していて、あっという間に時間が過ぎたように感じる。


「油断するとすぐに大学受験かな」

「部活的にも駅伝がすぐ来そう。もっと日々、努力しないと」

麻子が大きなため息をつく。

私から見ればかなり頑張っていると思うのだが。


「いや、十分やってる。すでに自分より速い」

久美子先輩が言っているのは、先日行った3000mのことだろう。


「そうだよぉ。わたしも先日負けちゃったし、あさちゃん高校から走り始めたってのに、もう部内で3番手なんだよぉ~」

紗耶が悔しそうに不満を口にする。


「さやっち、唇を尖らせて、まるでアヒルのようかな」

晴美の一言に全員が頷き、大笑いをする。

一瞬で部室の中が、夏の日差しを浴びたかのように明るくなる。


私は駅伝部のこの雰囲気がすごく好きだった。


だからこそ、このメンバーで都大路を走れたら最高だろうなと思う。


そう考えると、今まで以上に練習をして、もっともっと速く走れるようになろと言う決心が湧いて来る。

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