いつも心にDoki Dokiを

 自分がオープンカフェに座れる日が来るなんて、思ってもいなかった。


 クラブハウスサンドというものも初めてだけど、正直大きすぎて食べずらい。おいしいのは間違いないけれど、ターキーと普通のチキンの差はよくわからなかった。コーヒーは普段飲むインスタントコーヒーと比べて、液体の隅々にコーヒーの味がしみこんでいて、こちらは違いがよくわかった。母親に昔連れてってもらっていた喫茶店の味に近いかもしれない。母親がその喫茶店でよく口ずさんでいた歌も思い出す。

 周りを見ると、白いブラウスと黒のジャケットが美しいコントラストを描く女性がタブレットとにらめっこをしていたり、近くの国立大学の学生と思われる男性のグループが楽しく話しながら4人でスパゲッティとサラダをそれぞれシェアして食べていた。そのうちの一人が自分をいじめていた同級生に似ていて、一瞬胸が詰まった。昔ならここで下を向いてしまったり、そもそもこんな気持ちになるのが怖くて来ることさえしなかったであろう。こういう時はいつものように右手で左胸を抑える。そこに変わらずある固い感触に安堵する。


 ここには、爆弾が入っている。


 パソコンを自作する動画を見るのが好きだった。それで動画に出てくる部品を調べているうちに、「この部品は爆弾に使われることもある」という記述を見て不思議とひきつけられた。そこから、ネットを徘徊して小さな爆弾を市販品だけで作る方法を理解した。日本語のサイトだけでは情報は全く足りなかった。強引に通わさせられた英語塾がこんなところで役に立つなんて思いもしなかった。100均で買って5回使ったら壊れたモバイルバッテリーをケース代わりにして、中に部品を詰め、安売りしていた花火を爆薬代わりにして、胸ポケットに入れた。

 初めて爆弾を胸に入れて歩いた日、近所の雑居ビルの三階に変な宗教っぽい施設があることに気づいた。明らかにここ数日でできたようには見えない古さだし、「宇宙との和解が世界を救う」なんて言葉を自分が見落とすなんてありえないだろう。そのまま歩いていると、いつもなら避けられそうな道路のへこみに足がひっかかって、そこで自分がいつもより上を向いていることに気づいた。自然と左胸を抑えていた。プラスチックの板が心音を遮る。その瞬間、さっきの雑居ビルが自分ごと吹っ飛んでいく瞬間が頭によぎり、中から髪の長いバンダナとサングラスをした、昔のヒッピーをコールドスリープさせてたのを今だとばかりに出してきたかのような男が空の彼方へ吹っ飛んでいく姿まで浮かんできた。それを考えるとおかしくて、笑わないよう口を結び、一度伸びをして、そのまま歩きだす。鳥のさえずりが聞こえたような気がして、空も青く見えた。

 それからの私は、前よりも明るくなったとみんなから言われた。前はちょっとしたことで落ち込み、そこからは何かを言おうとすると心臓と喉と腹のちょうど間に重い石のようなつかえが生まれたような感覚がして、それが自分のすべてを邪魔して何も言えなくなったり体がうまく動かなくなったりし、それでまた変なことをして周りに指摘されたり迷惑をかけたりして余計落ち込んだり、一人で人の多いところに行くと周りの楽し気な空気に気おされ帰ってしまったりしたものだが、胸に爆弾をしまい込むようになってから、ちょっと誰かが叱ってきたり、賑わう歩行者天国を目にした時は左胸のプラスチックを意識して、それらが爆風とともに自分ごと吹っ飛んでいく姿を想像するだけで心のつかえが取れて楽に過ごせるようになったし、人ごみの中でも彼らに負けずに歩けるようになった。今まで苦手だった服屋にも長い時間いれるようになってファッションにも気を使えるようになったのも、変わったと言われた理由としては大きかっただろう。いざとなれば自分にはこれがある。縁起でもないお守りが自分を変えてくれた。

 だから、今こうしてカフェの会計中に後ろにカップルが並んで何かしら囁きあっていても、おととい、清掃員のパートがコロナウイルスをきっかけにオフィスの閉鎖が進んで仕事がないからということで解雇されたことも、その度に左胸に手を当てればなんとかなった。実際にこの爆弾が爆発するとも、仮に爆発してもそんな大きなことになるなんてありえないだろうけれども、それでも「自分にはこれがある」という思いが何度も、自分の顔を上向きにしてくれた。こういったカフェの間接照明をよく使った暗めの店内にも少しずつ慣れてきている。両手両足が同時に出るなんてこともない。この前はたまたま会った高校の同級生とも普通に話して、LINEを交換することまでできた。きっとこれからも少しずついろんなところにいけるようになるだろう。自動ドアが開く。一人で駅前のタワー展望台にでも行ってみようか。そう思っているとき、買ったばかりのローファー越しに右足に軽い衝撃が届き、それが体全体に広がると共に上半身が大きく揺れる。


 しまった。自動ドアのでっぱりにひっかかった。


 すでに足は浮いていた。受け身を取ろうと手を伸ばす自分の動きがはっきり見えることに気づく。音を感じなくなっている。こういう状況は本やテレビで知っている。交通事故とか、本当に危険な時は周りがスローモーションに見えるというやつだ。本当にこんなにゆっくり考えられるのか。しかし、今自分は単につまづいて転んでいるだけなのに。そう思った瞬間、自分の意識は左胸に移った。脳内に、あの時詰め込んだ花火の粉が浮かび、どう考えてもそこまでの威力はないはずの火薬が色とりどりに大爆発する姿と、すっかりしけっていて何も起きない矛盾した二つの姿が交互に浮かぶ。しかし、どう考えても本来正しいであろうしけった火薬のイメージは薄れていき、それとともにその爆風が自分の左胸を吹き飛ばし、心臓と体が別の方向に飛んでいく姿が見えてくる。ぽよよよーんというアニメみたいな音まで聞こえてきた。それでも、仮にどうあれ受け身さえ取れればと手を伸ばすが、まるで犬かきをするようにバタバタと宙で両手が回る。遠くに爆発音が聞こえてきたようにさえ感じると、視界にさっきまで座っていたオープンカフェの席と、そこに座っている女が見え、次の瞬間にはタイトスカートより上の体が吹っ飛んでいく映像が浮かぶ。それに笑いそうになってしまうがそれどころではない。体はいよいよ地面と水平になり、まるであの時体の奥に潜んでいたあのつかえが自分の背中に乗っているかのように地面へと押し込まれていく。自分の目はもう何かをとらえることはできなくなり、そこに母親がよく歌っていた子守歌、給食を残すのを許してくれなかった小学校の先生、何も言えなかった初恋の相手、あの同級生、就活で最初に会ってぼろくそ言ってきた面接官、その面接の次の日に喧嘩した時の父親、つまらなかった映画のヒロイン、初恋の相手の長女、そしてさっき浮かんだ宗教施設にいそうなヒッピーなどが境目なく頭の中に浮かび、そのすべてのイメージが左胸にある白い長方形に集まり、その中からあふれ出した火薬が自分の頭を埋め尽くしいよいよそれがはじけ、小学5年生、初めて両親ではなく同級生と見に行った花火大会の時のあの、必死に背と首を伸ばして見た花火の姿に近い輝きを感じたと思った時、自分の視界は床と自分、そして自分と世界の間にある爆弾が重なったことを認識させる。


カチッ。

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